誰しも忘れられない「あの時」をもっているはずだ。
それは人によってたくさん持っているかもしれないし、強烈なあの時が他の時をかすめてしまっているかもしれない。
人は忘れやすく、忘れ難い。
記憶なんて曖昧なのに、記憶こそがあらゆる物の存在証明であるからどうも軽視できそうもない。
私が群馬の大学生だった頃だからほんの数年前である。
アルバイト先に仲のいい年上の女の人がいた。
彼女はいつも体の不調を訴え、その痛みが心まで到達してしまっているようだった。
肩には大きな石がどっしりと乗っかり、腰痛からくる体全体のけだるさは周りが思うよりずっとひどいものだった。
実際のところ体から心という流れなのか、それとも逆の流れで壊れていくのか私には分からなかった。
彼女は過去の恋愛に大きなトラウマを持っていて、いつもそのことを口に出しては私は馬鹿だとこぼす。
彼女自身もなんでそんなに体と心の具合が悪いのか分かっていなかった。
でもきっと答えが欲しかったのだと思う。
その矛先が過去の恋愛だった。
私には何も分からなかった。
自分という存在さえこんなにもあやふやなのに、人のことなんて分かるわけがない。
私はひたすら話を聞くことしか出来なかった。
それでも大学時代は長い時間を一緒に過ごした。
ある夜に彼女が「奇麗な工場を見に行かない?」と誘ってきた。
彼女の車はいつもthe pillowsが流れていた。
山中さわおの独特な声と優しい歌詞。
奇麗な工場なんてあまり想像できなかったけど、本当に奇麗だった。
大友克洋の「スチーム・ボーイ」に出てきそうな入り組んだ工場で、いたるところからうっすらと煙が立ち上り、それはちょっとしたファンタジーのようであった。
窓を開けて「奇麗だー」なんて大きな声をだして、この時を記憶にとどめておこうなんて思ったのだった。
帰り道、忘れもしない。
きらびやかでぼんやりとした人工的な光が道路を挟み、街のまぶしさの中で彼女は言った。
「神がみた夢なんだよ。これ全部。」
突然の言葉にはっとし、そして意味もなく泣いた。
意味なんてない。
意味なんてどこにもないのだ。
彼女はすぐ泣くし、暴言も吐くし、いつも疲れた顔をしていた。
できるだけ寄り添ったつもりでいたけど、それも単なる自己満足だったのかもしれない。
大学を卒業し群馬を離れてから、彼女とはいろいろあったりなかったりであんまり連絡を取らなくなっていた。
というか一番の原因は私の非常識なほどの連絡無沙汰にあったのかもしれない。
しかし今でも彼女のあの時の言葉をふと思い出すことがある。
そして何とも言えない感情にとらわれるのだ。
雨上がりの湿っぽい匂いと、窓ガラスに張り付いた水滴に滲む街の光。
忘れられない「あの時」。
厳密には「忘れられない」というほど傲慢でなく、「忘れたくない」というほど志向的でもなく、もっと自然でもっと優しい記憶。
彼女に手紙でも書こうかしら。
それは人によってたくさん持っているかもしれないし、強烈なあの時が他の時をかすめてしまっているかもしれない。
人は忘れやすく、忘れ難い。
記憶なんて曖昧なのに、記憶こそがあらゆる物の存在証明であるからどうも軽視できそうもない。
私が群馬の大学生だった頃だからほんの数年前である。
アルバイト先に仲のいい年上の女の人がいた。
彼女はいつも体の不調を訴え、その痛みが心まで到達してしまっているようだった。
肩には大きな石がどっしりと乗っかり、腰痛からくる体全体のけだるさは周りが思うよりずっとひどいものだった。
実際のところ体から心という流れなのか、それとも逆の流れで壊れていくのか私には分からなかった。
彼女は過去の恋愛に大きなトラウマを持っていて、いつもそのことを口に出しては私は馬鹿だとこぼす。
彼女自身もなんでそんなに体と心の具合が悪いのか分かっていなかった。
でもきっと答えが欲しかったのだと思う。
その矛先が過去の恋愛だった。
私には何も分からなかった。
自分という存在さえこんなにもあやふやなのに、人のことなんて分かるわけがない。
私はひたすら話を聞くことしか出来なかった。
それでも大学時代は長い時間を一緒に過ごした。
ある夜に彼女が「奇麗な工場を見に行かない?」と誘ってきた。
彼女の車はいつもthe pillowsが流れていた。
山中さわおの独特な声と優しい歌詞。
奇麗な工場なんてあまり想像できなかったけど、本当に奇麗だった。
大友克洋の「スチーム・ボーイ」に出てきそうな入り組んだ工場で、いたるところからうっすらと煙が立ち上り、それはちょっとしたファンタジーのようであった。
窓を開けて「奇麗だー」なんて大きな声をだして、この時を記憶にとどめておこうなんて思ったのだった。
帰り道、忘れもしない。
きらびやかでぼんやりとした人工的な光が道路を挟み、街のまぶしさの中で彼女は言った。
「神がみた夢なんだよ。これ全部。」
突然の言葉にはっとし、そして意味もなく泣いた。
意味なんてない。
意味なんてどこにもないのだ。
彼女はすぐ泣くし、暴言も吐くし、いつも疲れた顔をしていた。
できるだけ寄り添ったつもりでいたけど、それも単なる自己満足だったのかもしれない。
大学を卒業し群馬を離れてから、彼女とはいろいろあったりなかったりであんまり連絡を取らなくなっていた。
というか一番の原因は私の非常識なほどの連絡無沙汰にあったのかもしれない。
しかし今でも彼女のあの時の言葉をふと思い出すことがある。
そして何とも言えない感情にとらわれるのだ。
雨上がりの湿っぽい匂いと、窓ガラスに張り付いた水滴に滲む街の光。
忘れられない「あの時」。
厳密には「忘れられない」というほど傲慢でなく、「忘れたくない」というほど志向的でもなく、もっと自然でもっと優しい記憶。
彼女に手紙でも書こうかしら。