ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

古都を訪ねて

2007-11-01 21:44:00 | 紀行

  法隆寺 金堂と五重の塔

 

 三重4日目、土曜日。雨が降っている。急に発生した小型台風が急速に接近しているとの予報もでていた。そんな中、レンタカーで高速道を斑鳩の里へ向かった。運転は同行のO君だ。つい最近、天草でも一緒に行動した人だ。松阪を9時半に発ち、法隆寺に着いたのが12時前。目論見通り雨は小雨になっていた。

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 法隆寺は中学の修学旅行で来たきりだから、もう45年前の話だ。けれど、何にも変わっていない! 砂利道、石段、5重の塔、金堂、それに夢殿・・・懐かしいと感じた。小雨で煙っている中を、修学旅行生の集団がガイドさんに案内されていたが、皆さん神妙な顔立ちで聞いている。やはり、我が国初の世界遺産の価値が分かっているのだろう。

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  右足を痛めていたので、ぎこちない足取りだったが、精力的に歩き回った。「柿食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」の句を思い出したりもしたが、隣の中宮寺では柿が供えられていて、ほ~っと思った。<o:p></o:p>

 

 回り終えたのが2時だったので、昼食を食べることにした。思い出になると思って法隆寺の目の前の茶店で柿うどんを食べることにした。ざるうどんの絵が気に入ったのだったが、実際に食べたのは柿色の麺をした普通のうどんだった。注文の仕方が悪かったのだろうか。けれど、結構おいしかった。<o:p></o:p>

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 今度の出張期間中に私が行きたかったのは法隆寺と箸墓古墳と石舞台古墳だった。趣味とまではいかないが、邪馬台国を代表とする我が国の古代史に興味があったので、卑弥呼の陵墓と云われる箸墓と曽我氏の石舞台古墳はぜひとも観たかったのだ。

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  蘇我入鹿の墓と云われる石舞台古墳

 

 ところが、箸墓をカーナビで探しても見つからない! 奈良の地理は不得手なので、カーナビの協力なくしては、どこにも行けない(涙) このため、箸墓は断念して明日香に行くことにした。石舞台古墳だ。

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 カーナビのおかげで明日香村には無事についた。やはり大きい! 玄室に入ってみたが、夕方だったので真っ暗だった。雨もすっかり止んで、周りの稲穂や紅葉などの秋の景色が石舞台と夕暮れの中で調和して、何とも云えない落着きを醸し出して、心地よかった。日本人の原風景の1種なのかもしれない。

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 すっかり満足して、高松塚古墳に向かった。例のカビ問題で封鎖されているのは知っていたが、せっかくここまで来たのだから、寄らないのは悔いを残すと思ったのだ。

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高松塚はなんの変哲もない棚田の奥の雑木林の一角にあった。農作業していて見つけた、というのが無理なく実感できた。けれども玄室はアルミの簡易建屋に覆われ景観が台無しになっていた。文化庁が威信をかけて復元しようとしている気構えが、空回りしている様な気がしてならない。

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明日香村はちょうど柿の季節で、山のあちこちに点在する柿の赤い葉と実が収穫前の稲穂と幻想的な風景を提供してくれていた。古代の人も同じ景観の中で生きていたのだ、となぜか郷愁を感じたのでした。

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コメント (15)
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