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私より1歳年下で、私と同じように定年と同時に関連会社に移籍させられていたが、その重役の椅子を蹴って、町工場に勤め始めたH君が、挨拶に来た。 昼食後は慰安室でへぼ将棋を指していた私の将棋友達でもある。急に止めると挨拶に来た時には驚いたが、職場の上司に合わない技術屋らしい一本気な性格なので、さもありなんと思ったことでした。
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3年ぶりのH君、色つやは良く元気そうで溌剌としていた。年商数億円の会社に技術担当として勤めているが、社長から気に入られて、頼りにされているようだ。我が社で培った設計技術と品質管理の知識が重宝されて、中国にも4回ほど出張に行ったらしい。実にうらやましい話だ。南の方で香港の近くと言っていた。
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我が社とも商取引があって、営業担当は時々来ているが、H君は面映ゆいのでなかなか来られなかったが、今回は製造に関して打ち合わせがあったので、製造担当と同行した、といっていた。
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H君と積もる話を交わしたが、印象に残ったのが、働けるうちは働いた方がいい、ということだった。わが社をやめて8ヶ月ほど遊んでいたが、その時に働けることが一番だと実感したと言っていた。今の会社でも、社長はもっと待遇をあげて責任者として能力を発揮して欲しいと言っているが、彼は給料は現状でもいいので、気楽にマイペースで仕事ができる今の仕事で充分だと、社長にお願いしているそうだ。 何となく、私の待遇に似ている。
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私を見て、ふっくらしてきた! と云った。気苦労が無くなったんでしょうね、とも言った。3年の年月、やはり長い。元気に働いている姿を見て、嬉しかった。
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