早朝新聞を開いて、読書欄をすーっと見ると、興味ある新刊書が紹介されていた。
女たちのアンダーグラウンド著者は、京都府出身の同年の山崎洋子さん。
戦後のどさくさの中での女性の姿が書かれているようです。
戦後生まれの私達はみんなが貧しい時代の中で少女期を過ごし、あまり興味も持たなかったけれど、
高齢になった今、もう一度女性達が生きてこられたのか興味がわきます。
ふっと思い出したのが、アメリカへ行った時、触れ合った人々の事でした。
先ず、アルゼンチナ丸では、サンダーズホームからの所謂ハーフと言われる少年が二人、彼等は優秀でアメリカで教育を
受けるのだと聞いていました。ほんの少し話をしたことがあったけれど、何を話していたのか覚えていません。
アメリカのホームステイ先のサンフランシスコのEdona Gropeさんは、戦後従軍看護婦として働き、近衛さんの家で住んでいたと
話されていました。まだ20才の私にはピンとこないのと、英語ももどかしいので、何を語っておられたのか定かでない。
アメリカでは、日本を懐かしがって、家に呼んでくださる所謂戦争花嫁と言われる女性達にも出会った。
テネシーでは、エノラ・ゲイが製造されたオークリッジにも何故がいったことがあった。
すべて戦争に関する土地や人に出会っていたのであるが、戦争を知らない世代の一人は、それほど、関心もなく、
無知であった。
今、もっと、もっと話を聴いておくべきだったと残念です。
皆のお顔が懐かしく思い出されるが、戦争の話をもっともっとよく聞いておくべきだった。
同船していた南米移住される人々の話をもである。
20才の私は、あまりにも無頓着で、無知であったと思う。
若さゆえとは言え、もっと知っているべきだったと後悔します。
サンフランシスコの高層レストランで エドナと食べた大きなクラブサンドイッチだけがやけに印象深いというのも情けない。
戦争に関係することが、あと一つあったわ。
1969年夏フィラデルフィアで、私達学生は黒人の若い家庭に招かれ、見たお土産の障子や弥勒菩薩の置物に、想像外の
印象を受けた。所謂アイデンティ問題だった。ベトナム戦争後の事です。
色んな出会いをしているのに、話がよく聴けていなかった。
関心事が他にあったからだが、今、残念に思う。
朝一冊の書評から苦い思いを噛み締めています。
話、こころを澄まして真剣に聞くべきだった。
ふわっと聞いていた二十歳の私でした。
こぼれ落ちるようになった砂時計に感じる高齢期にあって、話はこころを拓いてよく聴く。
出会った人々の顔だけが鮮やかに浮かびます。
不思議です。
さあこれから村の協同作業の草刈に出かける準備です。
昨夕は、「村の虫送りの行事で松明を振って、少女時代にスリップしていました。
女たちのアンダーグラウンド著者は、京都府出身の同年の山崎洋子さん。
戦後のどさくさの中での女性の姿が書かれているようです。
戦後生まれの私達はみんなが貧しい時代の中で少女期を過ごし、あまり興味も持たなかったけれど、
高齢になった今、もう一度女性達が生きてこられたのか興味がわきます。
ふっと思い出したのが、アメリカへ行った時、触れ合った人々の事でした。
先ず、アルゼンチナ丸では、サンダーズホームからの所謂ハーフと言われる少年が二人、彼等は優秀でアメリカで教育を
受けるのだと聞いていました。ほんの少し話をしたことがあったけれど、何を話していたのか覚えていません。
アメリカのホームステイ先のサンフランシスコのEdona Gropeさんは、戦後従軍看護婦として働き、近衛さんの家で住んでいたと
話されていました。まだ20才の私にはピンとこないのと、英語ももどかしいので、何を語っておられたのか定かでない。
アメリカでは、日本を懐かしがって、家に呼んでくださる所謂戦争花嫁と言われる女性達にも出会った。
テネシーでは、エノラ・ゲイが製造されたオークリッジにも何故がいったことがあった。
すべて戦争に関する土地や人に出会っていたのであるが、戦争を知らない世代の一人は、それほど、関心もなく、
無知であった。
今、もっと、もっと話を聴いておくべきだったと残念です。
皆のお顔が懐かしく思い出されるが、戦争の話をもっともっとよく聞いておくべきだった。
同船していた南米移住される人々の話をもである。
20才の私は、あまりにも無頓着で、無知であったと思う。
若さゆえとは言え、もっと知っているべきだったと後悔します。
サンフランシスコの高層レストランで エドナと食べた大きなクラブサンドイッチだけがやけに印象深いというのも情けない。
戦争に関係することが、あと一つあったわ。
1969年夏フィラデルフィアで、私達学生は黒人の若い家庭に招かれ、見たお土産の障子や弥勒菩薩の置物に、想像外の
印象を受けた。所謂アイデンティ問題だった。ベトナム戦争後の事です。
色んな出会いをしているのに、話がよく聴けていなかった。
関心事が他にあったからだが、今、残念に思う。
朝一冊の書評から苦い思いを噛み締めています。
話、こころを澄まして真剣に聞くべきだった。
ふわっと聞いていた二十歳の私でした。
こぼれ落ちるようになった砂時計に感じる高齢期にあって、話はこころを拓いてよく聴く。
出会った人々の顔だけが鮮やかに浮かびます。
不思議です。
さあこれから村の協同作業の草刈に出かける準備です。
昨夕は、「村の虫送りの行事で松明を振って、少女時代にスリップしていました。