☆油断のできないルイ
脱力したようにして倒れたシェラに大事はなくてひと安心できたものの、シェラと新入りのルイとの関係が解決できたわけではない悩みが残った。
シェラがルイを受け容れないまま一週間を迎えようとしている。ぼくたちが想像した以上にうまく運ばないシェラとルイの関係に胸を痛めていた。
ルイがリビングルームの一隅に置いたケージの中にいるというだけで、シェラはリビングに入ってこない。以前は開け放ったベランダの前で外気を感じながらのんびり寝ていたいうのに、いまは寝室や玄関付近からこようとしないのである。
シェラの姿を見るとルイが吠えるのがいやなのだ。キッチンの前にある水の入った容器のところまでくるのさえ、ルイから見える位置なのでひと騒動である。
ルイもわが家に慣れたのだろう、だいぶおとなしくなってきて、会社から戻ったぼくがいてもケージから出してくれとせがむ頻度が減った。日々、聞き分けのいいわんこになっているが、いつまた豹変するか油断できない。なんせ、ケージの中であまりにおとなしくしているので、体調でも崩したのかと心配になってケージから出すと、たちまちやんちゃなわんこに変わってしまうからだ。
☆シェラよ、何を見ているのだ?
今日は、いつもより早めに帰れたので、夕食後、おとなしくしているルイをケージから出して遊んでやった。奥の部屋に避難していたシェラが顔を出してぼくとルイが綱引き遊びをしているのを眺めていた。
そんなシェラに気づいたルイは大喜び。シェラの許へかっとんでいった。たちまち、シェラに吠えつかれ、また全力疾走でリビングへ戻り、ひと回り走ると再びシェラの許へ……。そして、むろん、また吠えられられる。
ルイにしてみればなんとも楽しい遊びだが、やられるシェラにとってはたまったもんじゃない。イラついているのがよくわかる。ただの威嚇ではなく、だんだん本気で怒りだした。
適当なところでルイを捕まえ、ケージに収めると、シェラがそっとやってきてたっぷりと水を飲んだ。ルイとぼくの遊ぶ姿を見ていたわけではなく、水が飲みたくてのぞいていたようだ。気の毒なことをしてしまった。
しかし、ぼくはもう悩んではいなかった。
今日、いただいているジュリーさんとREONAさんのコメントのおかげである。レスコメにも書いたが、これからのち、シェラが寝てばかりの刺激のない生活よりもチビを怒ることで元気が湧いてくれば、それが生きる活力になってくれるだろうから。それを教えてくださったジュリーさんのコメントだった。
REONAさんの「食べること=生きること」というフレーズも、ぼくの心に安心を植えつけてくれた。この食欲こそがシェラの生きる意欲の表れだと気づかせていただいた。
☆かけがえのないぼくのシェラ
この駄文を書くに当たり、自分の部屋へ入るために寝室の横を通った。ベッドの上でシェラが寝ていた(写真=上)。ぼくは寝ているシェラの横に座り、しばらく身体をやさしく撫でてやった。
頬に自分の頬を重ね、「愛してるよ」といった。ぼくにとって、シェラは16年前に出逢ったときからずっと愛人のような存在のままである。「愛してる」という歯の浮くような言葉をごく自然に囁ける。
むぎは恋人のような存在だった。抱きしめる度に、「なんて可愛いんだ」といってきた。数えきれないほど、抱きしめ、「世界一可愛い子だ」といってきた。
男の子のルイに対しては、愛人や恋人のような感情を抱けるないという寂しさがある。それでも、頼もしい子になってくれることだろう。