☆二台のわんこカート
クルマの後方のラゲッジスペースに常時二台のわんこ用のバギーカートを積んでいる。シェラとルイのためである。休日にどこかへ出かけたときに重宝する。ルイがきてから増えた外出用の荷物も積めるし、シェラが途中で疲れたらすぐに乗せてやれる。
ルイが使っているのはむぎに買ってやったものである。買ったのは、むぎの死の直前だった。
梅雨が明け、夏を迎えるとシェラがバテた。足元がおぼつかなくなり、いままで歩いていた散歩コースを歩けなくなった。普段の散歩は、家の近所の短い距離をゆったりと歩くスタイルに変わっていたが、週末ごとのお出かけ散歩に限界を感じていた。
そんな矢先、近所のアウトレットモールでバギーカートに大型犬が乗せられているのを見た。これならシェラも乗せてやれる。すぐにモール内のペットショップへ向かった。
小型犬のみならず、中型犬、大型犬用サイズのカートがあるのをはじめて知った。さっそく、シェラ用のカートを買い求めた。
シェラが乗ってくれないかもしれなとの危惧はあったが、豈図らんや抱きかかえて乗せてみると落ち着いて乗ってくれているではないか。暑さにバテ、歩き疲れていたからでもあったろう。これなら、お出かけ散歩でバテたら、クルマまで乗せてやれるし、夏の太陽で灼けた路面からの輻射熱からも護ってやれる。なぜもっと早く気づかなかったのだろう。
☆むぎにも買ってやろう
シェラを乗せたカートの脇をむぎがトコトコとついてくる。いつも決まってシェラの横を歩いているのにひとりで歩かされている姿がなんとも不憫だった。ぼくたちは、すぐにペットショップへ戻り、むぎ用のカートも買った。
カートの上でシェラはホッとした顔を見せ、むぎは「ラッキー!」とでもいわんばかりのうれしそうな顔で乗っていた。
むぎがこのカートを使ったのはこの日一度だけ、ショップから駐車場までのほんの数分足らずだった。それから5日後にむぎは帰らぬわんこになってしまった。上の写真は、はからずもむぎの最後の写真になってしまった。
乗れたのはたった数分だったけど、むぎにもカートを買ってやれてよかったとぼくは自分を慰めてきた。むろん、なぜもっと早く買ってやらなかったのだろうとの悔いは残った。しかし、あの日、むぎにはまだ早いと見送っていたらきっともっと烈しい悔いが残ったに違いない。
実際、ほんとうはもっと早く買ってやるべきだった。きっと、むぎは辛いのをがまんして歩いていたのだろう。そういう子だった。
歩いて弱音を吐いたことが一度もなかった。シェラと違って途中でバテて、座りこんだりする姿を見せない子だった。短い脚でどこまでもシェラについてきた。根性のある子だった。それが命取りになった。
もう歩きたくないというシェラのほうへ戻っていくむぎ(年越しキャンプにて)
☆カートの中から……
あの日も辛さを隠して散歩につきあったのを家に戻ってからぼくは知った。いかにも苦しげな姿に医者へ連れていこうと思ったのである。
あの朝の散歩を途中で引き返していたら、死なせずにすんだかもしれない。ぼくはいまも悔いている。
むぎという主のなくなったカートだったが、ルイに使わせることにした。
折りたたんであるカートを開いてみたら中からむぎの毛が出てきた。それを手にしたとき、思わずこみ上げてきた熱いもので目がかすんだ。
「ごめんよ、むぎ……」
ぼくの不注意で死なせてしまった悔恨が湧き上がり、またむぎに詫びた。
休日、ルイをカート乗せてショッピングセンターなどへ出かけると、そこにむぎを濃密に感じる。むぎも一緒に入っているような錯覚がぼくにはとってもうれしい。まだむぎを感じることができる。
「このカートなら、歩いても辛くないだろ」
心の中でむぎに語りかける。ぼくにしか見えないむぎがうれしそうな表情で応えてくれる。
クルマの後方のラゲッジスペースに常時二台のわんこ用のバギーカートを積んでいる。シェラとルイのためである。休日にどこかへ出かけたときに重宝する。ルイがきてから増えた外出用の荷物も積めるし、シェラが途中で疲れたらすぐに乗せてやれる。
ルイが使っているのはむぎに買ってやったものである。買ったのは、むぎの死の直前だった。
梅雨が明け、夏を迎えるとシェラがバテた。足元がおぼつかなくなり、いままで歩いていた散歩コースを歩けなくなった。普段の散歩は、家の近所の短い距離をゆったりと歩くスタイルに変わっていたが、週末ごとのお出かけ散歩に限界を感じていた。
そんな矢先、近所のアウトレットモールでバギーカートに大型犬が乗せられているのを見た。これならシェラも乗せてやれる。すぐにモール内のペットショップへ向かった。
小型犬のみならず、中型犬、大型犬用サイズのカートがあるのをはじめて知った。さっそく、シェラ用のカートを買い求めた。
シェラが乗ってくれないかもしれなとの危惧はあったが、豈図らんや抱きかかえて乗せてみると落ち着いて乗ってくれているではないか。暑さにバテ、歩き疲れていたからでもあったろう。これなら、お出かけ散歩でバテたら、クルマまで乗せてやれるし、夏の太陽で灼けた路面からの輻射熱からも護ってやれる。なぜもっと早く気づかなかったのだろう。
☆むぎにも買ってやろう
シェラを乗せたカートの脇をむぎがトコトコとついてくる。いつも決まってシェラの横を歩いているのにひとりで歩かされている姿がなんとも不憫だった。ぼくたちは、すぐにペットショップへ戻り、むぎ用のカートも買った。
カートの上でシェラはホッとした顔を見せ、むぎは「ラッキー!」とでもいわんばかりのうれしそうな顔で乗っていた。
むぎがこのカートを使ったのはこの日一度だけ、ショップから駐車場までのほんの数分足らずだった。それから5日後にむぎは帰らぬわんこになってしまった。上の写真は、はからずもむぎの最後の写真になってしまった。
乗れたのはたった数分だったけど、むぎにもカートを買ってやれてよかったとぼくは自分を慰めてきた。むろん、なぜもっと早く買ってやらなかったのだろうとの悔いは残った。しかし、あの日、むぎにはまだ早いと見送っていたらきっともっと烈しい悔いが残ったに違いない。
実際、ほんとうはもっと早く買ってやるべきだった。きっと、むぎは辛いのをがまんして歩いていたのだろう。そういう子だった。
歩いて弱音を吐いたことが一度もなかった。シェラと違って途中でバテて、座りこんだりする姿を見せない子だった。短い脚でどこまでもシェラについてきた。根性のある子だった。それが命取りになった。
もう歩きたくないというシェラのほうへ戻っていくむぎ(年越しキャンプにて)
☆カートの中から……
あの日も辛さを隠して散歩につきあったのを家に戻ってからぼくは知った。いかにも苦しげな姿に医者へ連れていこうと思ったのである。
あの朝の散歩を途中で引き返していたら、死なせずにすんだかもしれない。ぼくはいまも悔いている。
むぎという主のなくなったカートだったが、ルイに使わせることにした。
折りたたんであるカートを開いてみたら中からむぎの毛が出てきた。それを手にしたとき、思わずこみ上げてきた熱いもので目がかすんだ。
「ごめんよ、むぎ……」
ぼくの不注意で死なせてしまった悔恨が湧き上がり、またむぎに詫びた。
休日、ルイをカート乗せてショッピングセンターなどへ出かけると、そこにむぎを濃密に感じる。むぎも一緒に入っているような錯覚がぼくにはとってもうれしい。まだむぎを感じることができる。
「このカートなら、歩いても辛くないだろ」
心の中でむぎに語りかける。ぼくにしか見えないむぎがうれしそうな表情で応えてくれる。