愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

奇蹟の兆しが見えてきた

2011-10-10 23:29:10 | シェラの日々


☆短かったむぎとのスキンシップの時間 

 シェラが急速にルイとの距離を縮めつつある。
 むぎのときと同様に一週間めにして変わった。年が年だけにむぎのときのようにはいかないかもしれないとなかば覚悟していたが、少し楽観できそうである。もっとも、耳がかなり聞こえず、つい最近、目のほうも視力が減退しつつあるようで、こうした身体の衰えがあるだけに、むぎを迎えたときと同じにならないのはいたしかたあるまいと思っている。
 
 あのころのシェラは、ようやく大人になったばかりの3歳のわんこだった。甘えることに慣れてしまい、母性の萌芽さえ感じられなかった。そこへむぎがやってきて、シェラの母性を揺さぶり、灯をともした。
 今年の初夏あたり、突然のように身体の衰えが顕著になるまでの13年間、シェラはむぎのよき母イヌとして生きてきた。母イヌの役割からのシェラの離脱にむぎは置いてきぼりを食らったように困惑しているのを、ぼくたちは薄々感じていた。

 その戸惑いはむぎを家人に向けさせた。13歳にして、シェラだけでなく、飼主にも心を寄せようとしたのである。だが、結局、むぎが家人に寄り添ったのは、たかだか2、3か月でしかなかった。
 「ようやくむぎがわたしにきてくれたと思ったら死んじゃった」
 家人の嘆きはぼくと趣を異にする。

 彼女はシェラがもう母親の役割を果たせないのを承知してルイを連れてきた。シェラができなければ、自分がやればいいと無意識のうちに決めていたのかもしれない。むぎがやってくるまではシェラの母親役をやっていたのだから。



☆もしかしたら期待していいのかもしれない 

 三連休の最初の土曜日がルイがきた1週間めにあたる。ルイを忌み嫌うかのように避けていたシェラだったが、ルイが入っていないときにケージのにおいを嗅ぎにいった。
 ようやくルイをまっすぐ見るようになった。今夜は、2メートルほど距離を置いてはいたが、座り込んでケージの中のルイをしばらく見つめていた。

 昼間出かけたとき、行きつけのわんこOKのカフェテラスでは、ぼくがルイを抱いて世話しているのをシェラはあきらかに嫉妬し、家人に目で訴えかけていた。
 「お父さんはルイちゃんのお父さんになっちゃったのよ。これからはお母さんがシェラちゃんを守ってあげるからね」

 そんなシェラを見た家人が戯れに余計なことをいったからでもないだろうが、夜、しきりに家人のところにいってまた何かを訴えかけた。
 「大丈夫よ。お母さんはあなたを愛しているんだから。心配しないでいいの。大好きよ」
 顔を近づけてそういう家人の顔を、珍しくシェラが舐めた。いままでぼくの顔しか舐めてこなかったというのに……。

 ぼくもまた同じようなことをいってシェラを落ち着かせた。
 いつのまにかシェラは居間を去り、奥の部屋に退いていった。きっと安心して眠るためだろう。むぎのときは、似たような情況から一変してシェラがむぎを受け容れていった。
 なかば奇蹟を期待しつつ、いや、むぎのときのようにうまくいくはずなんかないとなかば諦めながら、今夜はとても満ち足りた気分で、またたくまに終わった連休最後の夜を迎えている。