☆家に帰ると待っているのは
7月の突然のむぎの旅立ち以来、わが家に生まれたぽっかりと暗くて深い穴を埋めるべく、パピィのコーギーがやってきて三週間になろうとしている。
エネルギッシュで、やんちゃで、向こう見ずで、およそ懲りないちっちゃなオス犬ルイ(写真=上)にぼくも家人も振りまわされっぱなしの三週間でもあった。怒り切れない家人など、まだ生まれて三か月になるやならずの仔犬にすっかり見透かされてしまい、手、腕、足を噛まれて傷だらけになっている。傷は、ほぼ毎日増えて、古い傷の癒えるのが追いつかないありさまである。
ぼくが会社へ出かけて姿が見えないときのルイは、トイレもちゃんとシーツの上でやっているというのに、夜、ぼくが帰ってくると、興奮するせいか、気を引くためか、それともほかの理由からか、ケージ内とはいえシーツの外でオシッコをしてしまう。その上を動きまわり、耳を伏せ、抱いてほしいとケージの中でジャンプする。
着替えるや否や、ぼくはルイの足を洗って水気を拭き取り、オシッコがかかっているであろうお腹も拭いてからケージの中を丁寧に掃除する。その間、ルイはバスルームで待たせる。
ルイのオシッコ騒ぎが終わって、風呂場から出したルイをきれいになったケージに入れてやり、ぼくが洗面所で手を洗って帰ってくると、ケージの床には大きいほうの排泄物が転がっていたりするのも珍しくない。
ときには、踏んづけてしまってケージの床のあちこちにルイの汚れた足跡が散りばめられているなんて日もある。
☆とりあえずはぼくがボス
同じコーギーでも死んだむぎのパピィ時代には、こんな手間をかけさせなかった。パピィのときのシェラのほうは、ケージの外で遊ぶのに夢中になり、リビングの床におもらしをしてソファーの下に隠れてしまったりしてはいたが、ルイほどに手こずらされた記憶はない。
ルイの生来の性格もあるだろうが、オス犬ならではの強さ、タフネスぶりを痛感する。
とりわけ、シェラやむぎで経験してこなかったのがルイの持っている闘争心である。ぼくに向けられたオス同士としての優位性をめぐる闘いはすでにはじまっているように思えてならない。
ルイは、何度かぼくと壮絶に闘って(?)完膚なきまでに敗退し、いまは潔くぼくへの従服の態度を崩していない。遊んでいて、ぼくの手や足をついはずみで噛んでしまうこともあるが、家人と違い、血を流すまでには至っていない。
とりあえず、ぼくはルイのボスとして君臨できているが、シェラは家人並みに舐められっぱなしである。大きなシェラが、もう、すっかり凌駕されて威嚇の声も情けない響きである。すぐに吠えるので、最初から負けている。
遊んでいるチビ助のルイに大きなシェラがいいように翻弄され、あしらわれ、揶揄されている図は情けないほどである。
☆悲しみが紛れても……
「おかげで、むぎのいない悲しみが紛れるわね」
つい、一週間前にはそんなのんきな感想を述べていた家人だったが、いまや、「会いたい、むぎに……」と涙ぐんでいる余裕さえないほどルイに圧倒されてしまっている。
ぼくのほうは、むしろ、むぎを偲ぶ機会が増えた。比較してはいけないと自分に言い聞かせつつ、「むぎよ、ルイはおまえの代わりにやってきた天使だと思っていたけど、あいつは悪魔かもしれないぞ」と語りかけている。
昨日のエントリーの写真に、今日の昼、むぎの写真を加えた。
写真を眺めているうちに、一気にむぎへの思いがほとばしり、胸がわしづかみされたように痛んだ。
哀しみの質が、すっかり変わっている。
もう一度、むぎを抱きたい。おとなしく抱かれているむぎをこの腕に感じたい。
どんなに可愛い小悪魔のルイがいようとも、やっぱりむぎへの哀惜は一朝一夕に遠ざかってくれるわけではないらしい。
情けないほどの未練がましさだが、なぜかぼくはそれが恥とは思わない。
7月の突然のむぎの旅立ち以来、わが家に生まれたぽっかりと暗くて深い穴を埋めるべく、パピィのコーギーがやってきて三週間になろうとしている。
エネルギッシュで、やんちゃで、向こう見ずで、およそ懲りないちっちゃなオス犬ルイ(写真=上)にぼくも家人も振りまわされっぱなしの三週間でもあった。怒り切れない家人など、まだ生まれて三か月になるやならずの仔犬にすっかり見透かされてしまい、手、腕、足を噛まれて傷だらけになっている。傷は、ほぼ毎日増えて、古い傷の癒えるのが追いつかないありさまである。
ぼくが会社へ出かけて姿が見えないときのルイは、トイレもちゃんとシーツの上でやっているというのに、夜、ぼくが帰ってくると、興奮するせいか、気を引くためか、それともほかの理由からか、ケージ内とはいえシーツの外でオシッコをしてしまう。その上を動きまわり、耳を伏せ、抱いてほしいとケージの中でジャンプする。
着替えるや否や、ぼくはルイの足を洗って水気を拭き取り、オシッコがかかっているであろうお腹も拭いてからケージの中を丁寧に掃除する。その間、ルイはバスルームで待たせる。
ルイのオシッコ騒ぎが終わって、風呂場から出したルイをきれいになったケージに入れてやり、ぼくが洗面所で手を洗って帰ってくると、ケージの床には大きいほうの排泄物が転がっていたりするのも珍しくない。
ときには、踏んづけてしまってケージの床のあちこちにルイの汚れた足跡が散りばめられているなんて日もある。
☆とりあえずはぼくがボス
同じコーギーでも死んだむぎのパピィ時代には、こんな手間をかけさせなかった。パピィのときのシェラのほうは、ケージの外で遊ぶのに夢中になり、リビングの床におもらしをしてソファーの下に隠れてしまったりしてはいたが、ルイほどに手こずらされた記憶はない。
ルイの生来の性格もあるだろうが、オス犬ならではの強さ、タフネスぶりを痛感する。
とりわけ、シェラやむぎで経験してこなかったのがルイの持っている闘争心である。ぼくに向けられたオス同士としての優位性をめぐる闘いはすでにはじまっているように思えてならない。
ルイは、何度かぼくと壮絶に闘って(?)完膚なきまでに敗退し、いまは潔くぼくへの従服の態度を崩していない。遊んでいて、ぼくの手や足をついはずみで噛んでしまうこともあるが、家人と違い、血を流すまでには至っていない。
とりあえず、ぼくはルイのボスとして君臨できているが、シェラは家人並みに舐められっぱなしである。大きなシェラが、もう、すっかり凌駕されて威嚇の声も情けない響きである。すぐに吠えるので、最初から負けている。
遊んでいるチビ助のルイに大きなシェラがいいように翻弄され、あしらわれ、揶揄されている図は情けないほどである。
☆悲しみが紛れても……
「おかげで、むぎのいない悲しみが紛れるわね」
つい、一週間前にはそんなのんきな感想を述べていた家人だったが、いまや、「会いたい、むぎに……」と涙ぐんでいる余裕さえないほどルイに圧倒されてしまっている。
ぼくのほうは、むしろ、むぎを偲ぶ機会が増えた。比較してはいけないと自分に言い聞かせつつ、「むぎよ、ルイはおまえの代わりにやってきた天使だと思っていたけど、あいつは悪魔かもしれないぞ」と語りかけている。
昨日のエントリーの写真に、今日の昼、むぎの写真を加えた。
写真を眺めているうちに、一気にむぎへの思いがほとばしり、胸がわしづかみされたように痛んだ。
哀しみの質が、すっかり変わっている。
もう一度、むぎを抱きたい。おとなしく抱かれているむぎをこの腕に感じたい。
どんなに可愛い小悪魔のルイがいようとも、やっぱりむぎへの哀惜は一朝一夕に遠ざかってくれるわけではないらしい。
情けないほどの未練がましさだが、なぜかぼくはそれが恥とは思わない。