栃木県はが郡の

陶工のつぶやき

古い日記から

2007-09-04 08:08:47 | 自分のこと
修行中の話です。

以下古い日記から引用。

窯つくりもだいぶ進んだころ、益子の長老格、G氏が韓国へ陶芸の指導に行くと言う話が聞こえてきた。

かばん持ちに、暇な若い者を連れて行きたいと言う。

S氏からの話で、僕に言ってみないかと言う。

窯の方は大丈夫だからと言ってくれたので、いく事にした。

幸い、パスポートも持っていたので、行くのであればすぐにでも出かけられる。

G氏の方も、いつでも出かけられると言う事で、それでは明日行くかということになった。

とんとん拍子と言うが、海外行くのに明日だなんて、そんなに簡単に行けるものとは思っていなかった。

G氏は東京にでも行く調子で成田に向かい、切符を買って飛行機に乗り込んだ。

僕もそれに続いた。

目的地は釜山。

釜山の近郊に金海と言うところがあってそこは、韓国の有名な陶産地である。

釜山に着くと、出迎えの人が待っていて、車で市内へ。

当時韓国では、光州事件というのが三ヶ月前にあったばかりで、戒厳令というのがしかれていた。

僕は焼物を見に行くのだし、G氏が付いているからとお気楽に考えていたのだが、釜山空港に着陸する時、空港に戦闘機ならんでいてぎょっとした。

G氏は「あれは飾りだよ。」と言った。

大事な戦闘機を雨ざらしにしておくわけが無い、と言った。

なるほど、と思いながらそれでも戦闘機を飾っておくと言うことにお国柄を感じ、心して行かなければと思った。

外国は二度目だった。

空港には、その国の臭いがある。

韓国はたぶん朝鮮ニンジンの臭い。

ともかく迎えのK氏の車に乗って釜山の市街に向かった。

僕はすぐに陶産地にいくものだと思っていた。

しかし、釜山の街を案内してもらい、食事をごちそうになり、その日は韓国式旅館に泊まることになった。

オンドルの宿であった。

街の中は、僕が子どもの頃の日本と言う感じ。

懐かしさを感じながら、韓国の人々のエネルギーを感じた。

自転車の荷台に二階まで届くかと思うほど荷物を積んで通り過ぎてゆく人。

さまざまな種類の唐辛子を売っている店。

唐辛子は体に良いという。

日本人は塩を取りすぎるから、体に悪いと言う。

唐辛子なら良いのかと思いながら、体に良いを連発する韓国の人々の話を聞きながら、街を歩いた。

確かに、韓国の人々は締まった体をして、肥満の人はいない。

戒厳令で9時以降は外出できないので、僕も8時半ころには宿に戻った。

本当に9時を過ぎるとぴたっと、通りに人がいなくなるのであった。

今でこそ、韓流ブームがあり、いろんな情報が入ってくるけれど、当時韓国は近くて遠い国だった。

韓国について、調べる間もなく着いてしまった釜山。

英語ならば、学校の成績は悪かったが、見当はつく。

しかしハングル文字はまったくわからなかった。

街中の看板に時々漢字がある。

漢字ならばある程度見当がつく。

でもそれは、少なかった。

ボディーランゲージで意思の疎通をはかるよりなかった。

G氏はK氏と仕事に出かけてしまった。

二日ほど自由にしてよいと言う。

そこで僕は韓国の陶産地、利川(イーチョン)と韓国の首都ソウルに行って見ることにした。

バス停で釜山駅を目指す。

運よくと言うか、年配の男性が声をかけてくれた。

日本語が通じる!

そうだった!第二次大戦の前は日本だったのだ。

年配の人は日本語教育を受けていたのだ。

戦争を知らない僕は、申し訳ないような、ありがたいような、気持ちでその男性に行き方を教えてもらった。

バスに乗ったものの、本当にこのバスでよいのだろうか?

乗ったバスはまったくの、定期便。

車内は通勤通学の人たちでいっぱいだった。

もし、このバスが釜山の駅に行かないで、どこか知らないところに行ったら、僕はどうしたらよいのだろう。

もし、日本人に反感を持っている人たちに囲まれてしまったらどうしたら良いのだろう。

一度不安を抱くと、次々に不安がでてくる。

そう思うと、さっきの親切な男性も本当に親切な人だったのだろうか?

僕は、近所に座っている人に、

「プサンステーション!?」

と聞いてみた。

車内の視線がいっせいに集まった。

だが恥ずかしがっている場合ではない。

一つおいた隣の席に座っていた二十歳くらいの女性が、バッグの中から辞典を取り出した。

どうも英韓辞典らしい。

その辞典を差し出してくる。

僕は必要なところを指差し、真剣に見つめた。

その女性は、僕を見て、うなずいた。

そして、運転手さんになにやら話しかけ、運転手さんも僕を見てにっこりした。

しばらく走ると、駅のような所に停まった。

運転手さんは手招きをする。そして、なぜか通路の人たちが道を空けてくれた。

バスの中の人たちみんなが、僕を目的地に送ってくれたのだった。

僕は精一杯手を振って、去っていくバスを見送った。

まぎれもなく、そこは釜山駅だった。

僕は懐疑心を持ったことに恥、さっきの男性に心の中で謝った。

そして、バスの中の人たちに改めて感謝した。