(写真)塚穴古墳で参加者全員で記念撮影。前列右側が私です。
11日は終日曇りがちのお天気、時折雨がぱらつくこともありました。そんな午後、中屋敷郷土史研究会による滋野地区の史跡めぐりを行いました。参加したのは9名。乗用車2台に分乗し片羽・赤岩・芝生田・井子・原口・大石の順に回りました。10数年前にも史跡めぐりを実施したそうです。
まず最初に訪れたのは片羽の塚穴古墳です。これは横穴式の石室を持つ円墳です。玄室の西側の壁に祭壇として利用されたと見られる棚があることが大きな特徴となっています。初めて訪れた方もおり、実際に古墳の中に入り感激していました。しかし、古墳を覆う岩がなくなり、表土が流出するなど古墳の傷みも進んでいます。このままでは崩落の危険性もあり、全面的な修復が求められています。
次に訪れたのは赤岩の長野県指定史蹟である山浦真雄宅跡です。真雄は江戸時代の刀匠。松代藩の藩工として鍛刀に励みました。ご子孫は八十二銀行の山浦頭取です。いつもは長野市に在住でお留守ですが、ちょうどご在宅でご親切にご案内していただきました。何の連絡もせずに訪問し、大変ご迷惑をおかけしてしまいました。ありがとうございました。
その後、片羽のめがね橋を見学。大石沢川にかけられたこの石橋は地元の有志の発願により建設されたもので明治14年に竣工。費用は地元はもちろん長野県内外からの寄付金でまかなわれたそうです。この大事業を推し進めた地域の篤志家の方々のご努力にはただ頭が下がるばかりです。
赤岩の民家の庭先にある西宿古墳は初めて見ました。表土はほとんど流出し石室だけが残っています。井子では寺ノ浦遺跡を、原口では戌立遺跡を見学しました。この二つの遺跡はいずれも昭和5年に発掘調査され、竪穴式住居跡が発見されています。そして昭和8年にはいずれも国の史跡として指定されました。戌立遺跡には竪穴式住居が復元されています。ほかにもいくつか史跡をまわりましたが最後に雷電為衛門のお墓にお参りしました。
滋野地区にある史跡をまわるだけでも半日がかりとなりました。最後に公民館で懇親会を行い、滋野の歴史について語り合いました。来週の土曜日には群馬県の富岡製糸工場へ春の修学旅行が計画されており、楽しみにしています。
11日は終日曇りがちのお天気、時折雨がぱらつくこともありました。そんな午後、中屋敷郷土史研究会による滋野地区の史跡めぐりを行いました。参加したのは9名。乗用車2台に分乗し片羽・赤岩・芝生田・井子・原口・大石の順に回りました。10数年前にも史跡めぐりを実施したそうです。
まず最初に訪れたのは片羽の塚穴古墳です。これは横穴式の石室を持つ円墳です。玄室の西側の壁に祭壇として利用されたと見られる棚があることが大きな特徴となっています。初めて訪れた方もおり、実際に古墳の中に入り感激していました。しかし、古墳を覆う岩がなくなり、表土が流出するなど古墳の傷みも進んでいます。このままでは崩落の危険性もあり、全面的な修復が求められています。
次に訪れたのは赤岩の長野県指定史蹟である山浦真雄宅跡です。真雄は江戸時代の刀匠。松代藩の藩工として鍛刀に励みました。ご子孫は八十二銀行の山浦頭取です。いつもは長野市に在住でお留守ですが、ちょうどご在宅でご親切にご案内していただきました。何の連絡もせずに訪問し、大変ご迷惑をおかけしてしまいました。ありがとうございました。
その後、片羽のめがね橋を見学。大石沢川にかけられたこの石橋は地元の有志の発願により建設されたもので明治14年に竣工。費用は地元はもちろん長野県内外からの寄付金でまかなわれたそうです。この大事業を推し進めた地域の篤志家の方々のご努力にはただ頭が下がるばかりです。
赤岩の民家の庭先にある西宿古墳は初めて見ました。表土はほとんど流出し石室だけが残っています。井子では寺ノ浦遺跡を、原口では戌立遺跡を見学しました。この二つの遺跡はいずれも昭和5年に発掘調査され、竪穴式住居跡が発見されています。そして昭和8年にはいずれも国の史跡として指定されました。戌立遺跡には竪穴式住居が復元されています。ほかにもいくつか史跡をまわりましたが最後に雷電為衛門のお墓にお参りしました。
滋野地区にある史跡をまわるだけでも半日がかりとなりました。最後に公民館で懇親会を行い、滋野の歴史について語り合いました。来週の土曜日には群馬県の富岡製糸工場へ春の修学旅行が計画されており、楽しみにしています。