9日、文筆家・劇作家の井上ひさしさんが亡くなられました。井上さんは「ひょっこりひょうたん島」や「吉里吉里人」など数多くの著作を残され、最近では「9条の会」の呼びかけ人となり憲法9条を守る活動を進めてこられました。
新聞紙上で多くの方々が追悼の言葉を載せていました。そんな中報道の中で井上さんが好んで書いていたという言葉が載っていました。
むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
ゆかいなことをいっそうゆかいに
むずかしいことをむずかしく書くのはたやすい。しかし、それでは人に伝わらない。むずかしいことを人がわかるようにやさしく書く。これは自分自身が十分理解していないと書けない。人が読んだときどこがむずかしいと感ずるのか。どのような表現だったら理解してもらえるのか。書き手の立場からいったん読み手の立場にならないと書けない。
しかしやさしいだけでは人は限界がある。これまでにない視点や切り口などといった掘り下げがなければそれだけのものだ。ふかみが必要になってくる。これまでの2次元的な広がりから3次元の世界への飛躍だ。やさしいだけでも大変なのにさらにふかさまで問われる。これは大変なことだ。このあたりで私は完敗だ。
しかし、ふかみが必要だといっても眉間にしわをよせるようではいけない。ユーモアの精神が必要だ。こんな切り口もあったんだと目からウロコのような面白さがなければならない。そしてまじめさとゆかいさの共存。いよいよ4次元の世界へ未知への飛翔がはじまる。
一つの文章をここまで突き詰めて推敲し、一つの作品に仕上げる努力。これは並大抵のものではありません。だから井上さんのもう一つの筆名、「遅筆堂」も理解できます。常に自分自身に対し最高のレベルのものを課してこられたんだと思います。
私は以前からこの言葉を聞きかじっており、及ばないこととは知りながら心がけてきました。前の職場で私は企業研修のインストラクターを努めていました。私は研修に際しその都度のテキストの見直しを行い、常により良い研修をめざしてきました。しかしそれが研修直前にまで及び、まわりの方々に多大なご迷惑をおかけすることもありましたが(反省
)・・・。
今回この言葉が井上さんのものであることを始めて知りました。井上さんのご冥福を心からお祈りいたします。
新聞紙上で多くの方々が追悼の言葉を載せていました。そんな中報道の中で井上さんが好んで書いていたという言葉が載っていました。
むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
ゆかいなことをいっそうゆかいに
むずかしいことをむずかしく書くのはたやすい。しかし、それでは人に伝わらない。むずかしいことを人がわかるようにやさしく書く。これは自分自身が十分理解していないと書けない。人が読んだときどこがむずかしいと感ずるのか。どのような表現だったら理解してもらえるのか。書き手の立場からいったん読み手の立場にならないと書けない。
しかしやさしいだけでは人は限界がある。これまでにない視点や切り口などといった掘り下げがなければそれだけのものだ。ふかみが必要になってくる。これまでの2次元的な広がりから3次元の世界への飛躍だ。やさしいだけでも大変なのにさらにふかさまで問われる。これは大変なことだ。このあたりで私は完敗だ。
しかし、ふかみが必要だといっても眉間にしわをよせるようではいけない。ユーモアの精神が必要だ。こんな切り口もあったんだと目からウロコのような面白さがなければならない。そしてまじめさとゆかいさの共存。いよいよ4次元の世界へ未知への飛翔がはじまる。
一つの文章をここまで突き詰めて推敲し、一つの作品に仕上げる努力。これは並大抵のものではありません。だから井上さんのもう一つの筆名、「遅筆堂」も理解できます。常に自分自身に対し最高のレベルのものを課してこられたんだと思います。
私は以前からこの言葉を聞きかじっており、及ばないこととは知りながら心がけてきました。前の職場で私は企業研修のインストラクターを努めていました。私は研修に際しその都度のテキストの見直しを行い、常により良い研修をめざしてきました。しかしそれが研修直前にまで及び、まわりの方々に多大なご迷惑をおかけすることもありましたが(反省

今回この言葉が井上さんのものであることを始めて知りました。井上さんのご冥福を心からお祈りいたします。