3月20日という日

2010-03-20 04:31:49 | 雑感
今日は3月20日です。この日何があったか覚えておいででしょうか。1995年、今から15年前になるのですね。地下鉄サリン事件が起きました。そして8年後の2003年、イラク戦争が始まりました。

1995年。私は2月1日付で八十二銀行軽井沢支店から長野経済研究所に転勤になりました。営業職から研究職への大転換でした。娘はちょうど高校受験の発表日でした。妻が家に帰ると父と母がテレビを見ていて、大変なことになったと言ったそうです。私も職場でテレビを見ていました。弟が大手町の官庁街に勤務していましたので心配しましたが、幸い通勤の時間帯がずれていました。

地下鉄サリンとは、1995年3月20日午前8時ごろ、東京都内の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布され、乗客や駅員ら13人が死亡し負傷者数は約6,300人にも及ぶ大事件でした。日本において戦後最大級の無差別殺人行為であるとともに、松本サリン事件に続き、大都市で一般市民に対して化学兵器が使用された史上初のテロ事件として、全世界に衝撃を与えました。

そして2003年3月20日、アメリカ合衆国などが加わる有志連合が大量破壊兵器があるとしてイラクに侵攻しました。日本も当時の小泉首相がすぐさま支援を表明。自衛隊初の海外派兵が行われました。その後大量破壊兵器がなかったことがわかり、今なお戦争そのものの正当性が問われています。

あの年の1月、父はころんで骨折。小諸厚生病院に入院していました。新聞を読んで戦争になったことを「馬鹿なことを!」と憤っていたことを思い出します。そんな父も4月6日に亡くなりました。

歴史的事件が自分自身の個人的な思い出とともに記憶に刻み付けられています。

平成22年度予算が成立しました

2010-03-20 03:56:00 | 議会活動
19日はお彼岸の二日目。午前中お団子をつくりお墓参りをしました。2003年に父が、2007年には母が亡くなり、今年はそれぞれ8年目、4年目です。お天気も良く絶好のお彼岸日よりでした。

午後からは3月議会最終日ですした。委員会に付託されていた議案が報告され採決が行われました。提出された議案はすべて全員一致で成立しました。いよいよ平成22年度が始まります。

今回の議会の特徴はこれからの東御市のグランドデザインを形作る重要な施策をスタートさせたことです。市庁舎の耐震化・バリアーフリー化、そして図書館との合築、保育園の統合・新築、助産所のオープンなどがそれです。こうした方向が市会議員全員一致で認められてことはきわめて重要だと思います。

今後詳細設計に入り、平成22年度末から平成23年度にかけて工事が本格化します。これに伴い借り入れも増大してきます。市の財政への影響についても注目して行かなければなりません。

もう一つの特徴は、こうしたビッグプロジェクトを進めるにあたり住民との合意の取り付け方にが問題になったことです。田中保育園の用地選定にあたっては、これに異を唱える加沢地区の方々が大勢傍聴にお見えでした。こうした中で、市は「田中駅南口振興計画」の中から田中駅南口への田中保育園建設をはずし別個に検討するそうです。住民との合意の取り付け方について今後考えて行かなければならないと思います。

議会終了後、それぞれの委員会ごとに担当部局の方々と懇親会を開催しました。私の所属する社会福祉委員会では市民生活部・健康保健部・北御牧総合庁舎・市民病院の方々と懇親しました。今回多くの市職員の方が退職されます。これまで長い間市民のためにご活躍いただき、ありがとうございました。今後ともそれぞれのお立場で市のためにお力添えをいただきたいと思います。

滋野小学校の卒業式でした

2010-03-19 02:46:17 | 雑感
18日は午前中私の地域の滋野小学校の卒業式に出席しました。やはり地域の学校だけあって区長さんや公民館長さん、民生児童委員の皆さんなど大勢の方々が来賓でお見えでした。

卒業生は2クラスで41名。一人ひとり名前を呼ばれ、校長先生から直接卒業証書を授与されていました。東部中学校の代表が授与されるやり方と比べてとてもいいと思いました。小規模校の良さとも言えるでしょう。教育委員会からは「いのちを大切にすること、自分の力を発揮すること、ふるさとを思うこと」の3つを大切にしてほしいとの言葉がありました

宮沢校長先生はラジカセで「いきものがかり」のYELL の曲を流し、その一節「サヨナラは悲しいことばじゃない、それぞれの夢へぼくらを繋ぐエール」を引いて卒業生へ激励の言葉を述べられました。(注)YELLをクリックしてください。どんな曲か聴けます。

卒業式でラジカセの曲を流すということも初めてでしたし、「いきものがかり」は知っていても「YELL」は知らなかったし、とても新鮮でした。子供たちと同じ目線で語ろうという校長先生の姿勢をとても好ましく感じました。

卒業生全員による「呼びかけ」も6年間の思い出を読み込んであり、とても感動的で涙がこぼれそうになりました。あんなに小さかった子供たちがこんなにもたくましく成長したと思うと感慨無量です。いま世の中で子供たちの非行やモンスターペアレンツが取りざたされていますが、少なくとも滋野の子供たちはすこやかに育ってくれていると感じました。先生方ありがとうございました。ご両親の皆様、おめでとうございました。

議会だより第6号をアップしました

2010-03-18 03:18:51 | 議会だより
議会だより第6号をアップしました。ブログの左側の「議会だより」の欄の第6号をクリックするとご覧いただけます。PDFファイルですから印刷も可能です。今回は3月議会での一般質問などを掲載してあります。

第6号の記事内容は下記のとおりです。
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1、巻頭言-萌え出ずる春になりました
  コラム「とうみ」がいちばん-松江で「雷電」に会いました
  議員日誌(1~3月)
2、一般質問から-生活弱者に寄り添う市政であってほしい!
3、第一回定例会-市民の目線に立ったやさしい市政を!
  平成22年予算成立 129億3800万円
4、市民の手で新しいまちづくりを進めましょう!
  編集後記
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東部中学校の卒業式でした

2010-03-17 12:45:59 | 雑感
17日は午前中、東部中学校の卒業式でした。東部中学校は全校生徒846人、野県内でも有数の大規模校です。今年の卒業生は7クラスで274人でした。

卒業式で校長先生は「人との絆を大切にし、相手を思いやる人になってほしい」と述べられました。在校生からの送る言葉、卒業生代表のあいさつもしみじみとした心に残るものでした。その後生徒全員で卒業の式の歌を合唱。私たちの頃のような蛍の光や仰げば尊しではありませんでしたが、すばらしい歌声でした。感動的な卒業式でした。

式は厳粛な中にも整然と進められましたが、風邪などひかれたのか空席も目立ちました。せっかくの卒業式に参加できずとても残念だったろうと思います。

今年は東部中学校創立50年を迎えるそうです。その頃昭和の大合併で田中町と和村、祢津村、そして滋野村が合併して東御市の前身である東部町ができました。そして町の統合の象徴としてひとつの中学校をつくることになりました。最初は部校制で発足し「東部中学校滋野部校」などと呼ばれました。

その後、現在の地に統合校舎が建設されました。私はこの統合校舎で1年間だけ過ごしました。中学校2年生の春、トラックに山と積まれた荷物の上に乗って学校の引越しを行ったことを覚えています。トラックに乗ったことなどなかったのでとても新鮮でした。いまだったらありえないことです。

担当の清水先生、他の地区から来た新しい同級生は1年間だけでしたが思い出深いものがあります。市会議員になってその時の同級生に市役所で再会しました。そしてその同級生の一人が今月末、市役所退職です。ご苦労様でした。

春の雨が降っています

2010-03-16 07:24:09 | 雑感
夜ふと目を覚ますと屋根にあたる雨粒の音が聞こえます。夕方から降り始めた雨がまた一段と強くなったようです。春の足音がひたひたと進んでくるのが感じられます。春はすぐそこまで来ています。

15日は午前中確定申告の会場に順番をとりに行きました。会場は超満員。受付で聞くと午後になりそうでした。その足で市民病院へ知人のお見舞いに行きました。そして健康福祉センターで助産所の開設準備室を訪問。「要望を語る会だより」の取材をさせていただきました。「語る会だより」は市民有志でつくる市民病院へ要望を語る会の広報紙です。昨年秋に創刊号を出し、この春には第2号が計画されています。私もそのお手伝いをさせていただいています。

午後は再度確定申告会場を訪れ申告を済ませました。私の計算ミスと制度が変わったことなどが重なり、還付金が予定していた額より少なくなってしまいました。その後要望を語る会の編集委員会に参加。4月中旬の発行目指して原稿の割り当てをしました。助産所で赤ちゃんを出産した若いお母さんを取材したらどうかなどという意見も出ました。いいものができればと思っています。

夜、一人で佐久まで映画を見に行きました申告が終わり気分転換です。妻も誘ったのですが俳句の締め切りとかで結局ひとりになってしまいました。見たのは3Dの映画でいま話題になっている「アバター」という未来のおはなし。メガネを掛けて見る3Dの立体画像は迫力満点でした。先日上田で見たので2回目ですが3Dは初めてでした。

今頃になって確定申告です

2010-03-14 23:28:13 | 雑感
14日は一日確定申告に取り組みました。少し前から領収書を整理し書類をまとめ始めていたのですが、やはり追い込まれないとどうしても後回しにしてしまいます。いよいよ明日は最終日。必要な書類をそろえて申告書を書き終わりました。

昨年はブドウが不作でした。ちょうどブドウの開花期に気温が低かったため受精がうまく行われず、そのため親子ブドウになるものが多かったのです。同じブドウの房の中でも受精できた粒は大きく育つ反面、受精できなかった粒は小粒でしかも種ができません。

こうして生育がうまく行かなかった不ぞろいな房のことを親子ブドウと呼んでいます。当然品質が落ちる分だけ価格も下がり、作業も余分にかかり収穫時の痛みも早くなります。結果的に減収になります。昨年の夏は雨が多く病気も発生しました。まさに泣き面になんとか。最近にない悪い結果となりました。

「百姓を殺すに刃物はいらぬ。雨の三日も降ればいい」と昔の人は言ったそうですが(?)、まさに昨年はその通りでした。天候が回復したのはお盆過ぎでした。ですから収穫当初は酸味が残らないか心配でした。そんなこんなで確定申告に嬉々として取り組む気分になれなかったのです。

今年もブドウの仕事が始まっています。いつもいいブドウができることを願っているのですが、今年は昨年のことがあるから余計にそう感じます。さて明日は気を取り直して、一番で申告会場に出かけましょう。

住民自治が問われています

2010-03-13 02:52:36 | 議会活動
今回の議会一般質問の特徴は大勢の住民の方が傍聴においでになったことです。これまでにも議員それぞれの支持者の方が傍聴に訪れていましたが、傍聴席が一杯になるのは久々でした。それは3月4日の加沢選出の議員さんの代表質問の時のことでした。

昨年末から加沢区では田中保育園の移転問題をめぐって異論が出ていました。いま市では現在8つある公立保育園を小学校区ごとに5園に統合するための取り組みが進められています。すでに北御牧地区と滋野地区では統合の目処がつき、和(かのう)地区でも話し合いが進められ、祢津地区では現地建替えが始まっています。

田中保育園では地元の区長さんや保護者の皆さんが一緒になって検討委員会を立ち上げ、昨年12月に田中駅南口への移転・新築案が全員の賛成で決定されました。しかし、加沢区の皆さんはこの決定過程があまりに性急で住民に周知されていなかったと異論を唱えています。そして保育園の用地選定に当たっては交通の利便性だけでなく、歴史的経過や地域特性なども考慮に入れるべきだと述べています。これに対し、加沢区以外の方からは全員一致で決まったことだ、自分の都合だけ言うべきではないという声も聞こえてきます。

まさに協働のまちづくりが試されていると感じます。地域の中には様々な意見があります。保育園用地選定では地域によっては近くなるか遠くなるかによって利害得失が生じます。そうした問題を一つにまとめるということは生半可なことではありません。お互いに自分の都合だけ言っても通りません。十分話し合って納得して合意することが大切です。今回の問題では十分議論を尽くしたといえるのでしょうか。地域の問題を地域の住民自身が自ら主体的に決められるかどうかが問われているのだと感じます。

私自身住民運動で市議会に陳情した経験もあり、地域の皆さんの要望に対してはその実現のために最大限の努力をしなければならないと考えています。ですから加沢の皆さんのご意見も良く分かります。なんとかいい方向で解決することはできないかと願っています。

委員会最終日、行政視察でした

2010-03-12 20:19:06 | 議会活動
(写真)廃棄物最終処分場

(写真)祢津保育園仮園舎建築現場


(写真)東御市立助産院「とうみ」

12日は午前中は議会社会福祉委員会でした。病院会計についての説明、その後特別会計と陳情の採決がありました。午後は行政視察で最終処分場と祢津保育園の仮園舎、そして助産院「とうみ」を訪問しました。

最初に訪れたのは千曲川沿いにある最終処分場でした。ここでは焼却場で出た焼却灰とともにビニールなどの不燃物を埋め立てていますが、処分場の満杯も近づいてきていました。昨年、社会福祉委員会では処分場の延命を図るため、かつて埋め立てたビニールを掘り出して処理することを提言しました。その後市は処理予算を計上し、ビニールなどの不燃物を掘り起こし別途処理しています。これであと2~3年延命できそうです。

その後東部湯の丸インター近くの流通団地空き地に移動しました。ここには祢津保育園の仮園舎が建設されます。祢津保育園は今年度建替えが計画されており予算計上されています。建替え中の6月から来年3月まで子供たちは仮園舎で生活します。すぐ北には高速道路が走っていますが南向きの陽あたりのよい広い敷地です。昨年の予算議会で社会福祉委員会は、保育園の建設推進を付帯決議しましたので感慨無量でした。

最後に訪問したのは市民病院に隣接して建設されている助産院「とうみ」です。ほぼ外装の工事は終わり内装工事にかかっています。全体にゆったりと造ってあり、個室も南向きで明るくベランダもついています。4月10日には10時から見学会があり、22日にはオープンになります。すでに80人の予約が入っているそうです。これも市長が選挙の際公約したもので、当選以来2年という最短で実現することになりました。

私たちが議会で審議した結果、こうしてひとつ一つ実現してきていることはうれしい限りです。今回の議会にも本庁舎の改修・増築、新図書館の建設、保育園の統合建替えなど懸案が目白押しとなっています。市民益実現のためにさらに取り組んでいこうと思っています。

いろは歌をご存知ですか?

2010-03-12 05:11:22 | 雑感
先日郷土史研究会があり、私がレポーターとして報告しました。そこで江戸・元禄時代の赤穂浪士事件についてクイズを出しました。赤穂事件を題材とした人形浄瑠璃をなぜ「仮名手本忠臣蔵」と名づけたのでしょうかというものです。

正解は2つあります。一つは赤穂四十七士をいろは四十七字にかけたこと、二つはいろは歌に秘められた「浅野内匠頭は無実」というメッセージを伝えようとしたというものです。ではなぜ「いろは歌」は無実につながるのでしょうか。

いろは歌は、いろは四十七文字を一文字ずつ使って諸行無常を歌ったものだと言われます。すなわち

   色は匂えど 散りぬるを  
   我が世誰ぞ 常ならむ
   有為の奥山 今日越えて  
   浅き夢見し 酔ひもせず

これをひらがな書きして、なおかつ7文字ごとに分かち書きすると

   いろはにほへ
   ちりぬるをわ
   よたれそつね
   らむうゐのお
   やまけふこえ
   あさきゆめみ
   ゑひもせ

この句の一番下の語を拾って読みこなすと以下のようになります。
  「とかなくてしす」→「咎(とが)なくて死す」
 
一つの歌の中にもう一つのメッセージが秘められているのです。誰が何のためにこのような句を作ったのでしょうか。柿本人麻呂という説もありますが確かなことは分かっていません。しかし、江戸時代ではこのことは常識だったのですね。そして誰でも知っているからこそ「仮名手本」と記すことで「無実」というメッセージを伝えることができたのです。

それにしても誰でも知っている有名な言葉の中にこのような秘密があったとは驚きです。ところで先の質問に答えられた方はどなたもいませんでした。

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