久しぶりに家族がそろいました

2010-03-12 03:20:32 | 雑感
10日の夜、東京で働いている下の娘が帰省しました。そして11日の午前、近くに嫁いでいる上の娘が孫二人を抱えてやってきました。久々にわが家にいる息子と子供たちが3人そろいました。3月はわが家にとっての記念日の目白押しの月です。5日は下の娘の誕生日、7日は我々の結婚記念日、13日は息子の誕生日。一度に全部のお祝いをしました(!?)。なぜかケーキのろうそくの火を消したのはもうすぐ3才になる孫でした。

10日、11日と二日間にわたって議会の社会福祉委員会の予備審査でした。今日も午前中引き続き審査があり、午後からは現地視察があります。産業廃棄物最終処分場と祢津保育園の仮園舎建設現場、そして4月にオープンする助産所「とうみ」です。

予備審査では入れ替わり立ち代わり、担当者の方がやってきて予算説明をしてくれます。それに対し分からないことを質問したり、意見や希望を述べたりします。これまでいろいろお話しをお伺いする中で感じたことは、行政には実に様々な制度があり、その一つひとつを着実に行っているということでした。とりわけ福祉の関係の制度は複雑で多岐にわたり、しかも改廃が著しく、そして拡大しています。担当される方のご苦労も察せられます。

三日間にわたる予備審査も今日でおしまい。来週は月・火と予算特別委員会が開かれます。そこで最終的な議論を行い、19日の午後には本会議があり採決が行われます。予算議会も最終盤です。

新しい事業を始めるためにはとにかくお金がない。そこでこれまで行われてきた事業のうち、あまり利用されていないもの、政策的に最初は補助をつけていたけれど軌道に乗って、これからは補助もあまり必要とされないものなど、これまでの事業を見直し予算を捻出する、そんな現場の苦労も感じてきました。

そんな中で委員会の中で議論されたことに臨時職員の皆さんの待遇の問題がありました。正職員とさして変わらない仕事をしているのにボーナスもないし賃金も安い。これではやる気を出して働けない。待遇改善を図るべきだという意見です。私も基本的には賛成です。しかし待遇改善するための財源をどうするのかという問題があります。

待遇改善すればどこかの予算を削らなければならなくなります。人件費は変えないというのであれば人数を絞り込み少数精鋭で行かねばなりません。行政の仕事は保育園の先生や看護の仕事などマンパワーを必要とするものが多く、人を減らせば住民サービスの低下が心配です。あちらを立てればこちらが立たずといった状況です。

反面、行政の仕事をたくさんの方々で「ワークシェア」(仕事の分かち合い)していると前向きにとらえることもできないわけではありません。いずれにしてもすべて税金です。考えれば考えるほど悩ましい問題です。

本当のことは書かれない

2010-03-11 05:14:28 | 雑感
「雲太、和二、京三」(うんた・わに・きょうさん)という言葉をご存知でしょうか。これは古くから言い習わされてきた言葉で大きな建物を順番に並べたものです。すなわち出雲太郎とは出雲大社のことですね。大和二郎は東大寺大仏殿、京都三郎は平安京大極殿です。この三つの建物が平安時代として最大の建物であり、その中でも出雲大社の本殿が一番巨大であるというものです。しかし実際の出雲大社はそう大きな建物ではありません。言い習わしが誤っていたというのでしょうか。

ところが平成12年(2000年)に出雲大社の工事中に、巨大な3本組の柱が発見されました。世紀の大発見としてマスコミで大々的に報道されました。その後の調査でここに掲げたような高さ40メートルにも及ぶ巨大な神殿があったことが分かってきています。まさに「雲太」の正しさが証明されたのです。

ではなぜ出雲大社が時の権力者の象徴である大内裏の大極殿よりも大きかったのでしょうか。これに対し独特の歴史観を持っている作家の井沢元彦さんは、「怨霊信仰」のなせるわざだと言っています。大和朝廷によって滅ぼされた大国主(おおくにぬし)の鎮魂のためであったというのです。

しかし怨霊信仰なんて歴史のどこにも出てきません。これに対し井沢さんは歴史の真実は残されないと言います。すなわち時の権力者にはばかり文書などで残すことができない。しかし当時の人にとっては「あのこと」といえば誰でも分かっていたのです。歴史を実証的に検証することはとても大切です。しかし証拠がないから事実ではないとすることもあやまちです。歴史のひだに隠された真実を見通す確かな目が必要です。

昨年秋に出雲大社を訪れあらためて「雲太、和二、京三」を思い出しました。

真冬に逆戻りの一日でした

2010-03-09 11:50:47 | プロフィール
9日は終日真冬を思わせる天気となり、夕方からは吹雪になりました。春の足音はなかなか聞こえてきません。どこかで足踏みばかりしているようです。

議会は一日総括質疑でした。総括質疑とは議案について質問し審議する場です。最初に補正予算の総括質疑が行われ可決。続いて平成22年度予算の総括質疑が行われました。本予算については補正予算と異なりその場で採決するのではなく、各常任委員会に付託されます。その後予算特別委員会で審議し、本会議で採決されることになります。

東御市議会の常任委員会には、私の属している社会福祉委員会のほか、総務文教委員会、産業建設委員会があります。今週は行政から詳細な予算説明が行われます。来週には各常任委員会の正副委員長などによって構成される予算特別委員会が開催されます。その後本会議に報告され、審議・採決となります。

社会福祉委員会は、子育て支援課、同和政策課、北御牧総合支所、市民課、健康保健課、福祉課、市民病院を担当。明日から3日間にかけて説明を受け審議することになります。私たちも大変ですが、市の職員の皆さんもその準備に忙殺され大変です。

予算審議はこれで2回目です。私はこれまでビジネスの現場におり社会福祉は全くの素人でしたので、昨年初めて審議した時は右も左もわからずとまどうことばかりでした。今年はさらに勉強したいと思います。

朝から早鐘がなりました

2010-03-08 22:44:12 | 議会活動
3月8日は前日の雪の上にさらにうっすらと新雪が積もっていました。朝食中に公民館前の火の見で半鐘がなりました。「カンカンカン」という連打。「すわっ、火事だ!!」とばかりに長靴を履きジャンパーを引っ掛けて飛び出しました。しかし消防車はもう出動したあとでした。消防団のお宅で火事は原口だと聞きかけつけました。すでに現場には消防署のポンプ車が来ていました。もう煙もおさまり水も出していませんでした。不幸中の幸いでたいしたことにもならず本当に良かったと思いました。

本会議は9時からでした。一般質問3日目は2人でしたので11時ごろまでには終わりました。帰りに相談を受けた方を訪れ中間報告を行ってきました。今日は曇りで肌寒い一日でした。

明日は総括質疑で、明後日からは委員会審議が始まります。今週は毎日議会に出勤です。

巨峰は地域を変えた(その2)

2010-03-08 01:51:46 | 趣味・野良仕事
私の住んでいる東御市滋野地区、中屋敷が巨峰の産地として発展してきたことはすでに述べました。巨峰の産地形成が成功したのは、年間降水量が特に少なく、南向きの傾斜地と昼夜の温度差が大きい気象条件が大きかったと言えます。秋の朝晩の冷え込みは、糖度が高く高品質の巨峰を実らせました。しかしここまでの道のりは、決して簡単なものではありませんでした。当初はまだ栽培方法が確立しておらず、さまざまな試練や研究を経て、現在の巨峰産地が築かれてきました。

1975年(昭和50年)、そんな地域の努力に対し朝日新聞社から「朝日農業賞」が贈られることになりました。受賞したのは「東部町中屋敷ぶどう組合」です。

日本の農業はきわめて重大な転換期に直面しており、これに対応して、朝日新聞社は新たに朝日農業賞を設定し、昭和38年から実施しました。毎年、全国より新しい農業発展の事業と地域社会の向上に顕著な業績をあげた集団のなかから、とくに優秀なものを選出して「朝日農業賞」を贈り、その集団の業績をひろく社会に紹介して、わが国の農業の振興と発展に寄与しようとしたのです。(朝日新聞社農業賞事務局『朝日農業賞』から)

写真は朝日農業章の受賞に立ち会った私たちの先輩です。

構想日本加藤秀樹特別講演会

2010-03-07 12:59:27 | 議会活動
7日のブログにも書きましたが松本市で開かれた構想日本の加藤秀樹氏の特別講演会「いま語る、本当の事業仕分け」に参加しました。その時の講演録を掲載します。長文です。よろしかったらお読みください。

■ なぜ事業仕分けなのか

事業仕分けは構想日本が8年前から始めてきたものです。昨年民主党政権が事業仕分けを行うということで大騒ぎになりました。会場には1万5千人の方が傍聴に訪れ、ネット中継ではピークで2万人の方にアクセスしました。国がいろいろな事業を行っています。それには必ずお金がついています。そのお金が町の人のためになっているのか、喜ばれているのか、機能しているのか、それを職員の人と構想日本のメンバーが向き合い会って議論する。それを市民が聞いている。そして続けるかやめるか仕分ける。これが事業仕分けです。
私はかつて大蔵省(現財務省)に勤務していました。分権とか行政改革とかこれまで議論されてきましたがなかなか実行には移されません。10年前には橋本行革、もっとさかのぼれば土光臨調がありました。行政改革は議論することが目的ではなく実行することです。そこでどうしたら進むか考え、8年前に大蔵省をやめて事業仕分けを始めたわけです。

■ 広がってきた事業仕分け
始めたのは2002年2月から、最初は改革派といわれた知事を口説いて始めました。当時はまだノウハウもなかったので全部の事業をやりました。一項目5分ぐらい。あまり精緻な議論はできませんでした。しかし全部やると見えてくることがあります。都道府県であれば継続したほうがいいというものは6割、市町村で7割。やめた方がいいというものが1割でした。しかし精緻な議論でなかったので使えません。そこで事業を絞って一つひとつていねいに議論していこうということになりました。昨年は国の3千事業のうち450事業を行いました。
最初は事業仕分けは大変だと感じました。あまり人気がよくないんです。外部の人間が職員に向かってその事業が必要なんですかと突っ込んでいくんですね。その職員にしてみれば不愉快なんですね。ですからやりたくない。よっぽど上から強力に言われないとやらない。しかし2007年から状況が変わってきました。やりたいというところが増えてきました。財政が厳しくなってきたんですね。誰しも自分の仕事は大事です。大事でないものはないんです。それを外の人間に、贔屓目で見ない人に議論してもらったほうが切りやすいということになったんですね。
2008年には自民党が事業仕分けをやりました。あまり報道されませんでしたが大事な出来事だったと思います。自民党の中にムダ撲滅チームができ、4人の中堅の国会議員が担当になりました。その担当の一人に河野太郎さんがいました。そこで事業仕分けやろうということになり、文科省、環境省、財務省、外務省をやりました。その中に出て来て不要になって有名になったものがアニメの殿堂です。河野さんの言葉によれば国営漫画喫茶だというんです。こんなものはいらないと仕分けの対象になりました。

■ 外の視点・現場感覚・公開の場
事業仕分けには大事な3つの必ず守らなければいけない原則があります。1つは外の人間が行うことです。市の職員同士で仕分けをしてもダメなんですね。中の人同士ではなかなか切り込んで行けない。
2つ目は仕分け人自身現場を知らないとダメなんですね。例えば生涯学習の事業がある。3千万円の予算がついたとしてもそれで実際に1年間何をしてきたかを知らないと役に立たない。そこが非常に大事なんです。構想日本には事業仕分けのコアメンバーがいます。我々は彼らを必殺仕分け人と呼んでいますがよく現場を知っています。このメンバーは神奈川県内の自治体の職員が多いんです。市の職員で財政を担当していましたから現場のことがわかるんですね。そういう人たちをチームを組んで60余りの自治体で事業仕分けをしてきました。
3つ目に大切なことは公開の場で行うことです。みんなが見ているところでやることが大事です。みんなが見ていないところでやるとこれまでの審議会と同じになるんですね。いい議論ができたとしても報告書を書くのはお役人です。あとは如何ようにも書けます。ですから役人があとに引けないという状況をつくることが一番大事です。 議論している時からフルオープンにし、みんなが見ている場面をつくることにより、のっぴきならない状況においてしまうということが大事です。フルオープンにはこれまでにも抵抗を受けてきました。しかし絶対に守らなければいけない原則です。そしてそこで必ず結論を出すことが大切です。みんなが見ている場面で少々乱暴なこともありますがとにかく結論を出すことです。
すなわち外部の目、現場のことを判っている人、みんなが見ているところで結論を出す、これが鉄則です。

■ あたらない事業仕分けへの批判
仕分けに対してたくさん批判もありました。その中にはあれでは公開処刑だ、劇場型政治の典型だという批判もありました。しかしこれまでの60いくつの事業仕分けでは問題にはなっていません。今回の国の事業仕分けで始めて出てきたことです。ですから劇場型にするもしないもそれはマスメディアの責任です。
国については1事業1時間でやりました。1時間で結論を出すのは乱暴だという議論がありました。しかし1時間で議論してもあんまり説得力がある議論は少なかったと思います。必要だから必要ですという議論が多かったと思います。だからもう1時間増やしたら説得力のある議論がなされるかとは思えません。よっぽど説得力があったら増やしたらいいんですね。

■ 事業仕分けから組織と制度の見直しへ
行政においては事業の裏に組織と制度があります。一つの事業がいらないといっても組織が残ればまた同じような事業が繰り返されます。事業と組織と制度を見直さなければならないのです。事業の後ろには制度があります。それを変えなければ事業は直りません。
例えば長野県の栄村の例があります。町の中の生活道路は幅が5mです。構造材は何を使うかすべて国がこと細かに決めています。これにもとづいて道路を作ると1mあたり、11万1000円かかります。国の補助はその半分ですから地元負担は5万5500円。しかし栄村では出せない。そこでとことん工夫したら1万9000円でできた。道路幅は5mもいらない、構造材も安いものでいい。そこで安くできたんですね。
栄村のように6分の1にまでいかなくても安くできる道路はいっぱいある。こうしたことを積み重ねていけば節約できる。しかし国の制度や基準に基づいたらできない。国から補助金が来なくても節約すればできるんですね。現場の裁量を増やして自由度を増やすことが必要です。それを地方分権といいます。そうすれば地方のコストはもっと減るんです。
国の補助制度も問題です。1万9000円でできたら9500円補助すればいいのにそれができない。もっというと1万9000円だったら全部補助してもいいのではないでしょうか。地方が節約すればするほど補助率をあげればいい。例えば半分にしたら補助率を8割にする。半分以下にしたら補助率は10割にする。そうすればみんな節約するわけです。そういう制度が望ましいと思うんです。国の言うとおりにやれば補助金は出すがそうでなければ出さないという仕組みが問題なんですね。

■ スパコンの事情とは
昨年の事業仕分けは予算査定のように見えたかもしれません。しかし事業仕分けとは予算が有効に使われたかどうかをチェックすることなんです。民主党がマニュフェストに言った高速道路の無料化や子ども手当をなぜ対象にしなかったのかといわれましたが、まだやってもいないことは事業仕分けできないんですね。
ある県で青少年育成事業という事業がありました。その内容は子供たちを公園に連れて行ってポニーに乗せるということでした。これが事業としていいんですかと聞いても、青少年育成事業はとにかく大切だという返事しか帰ってこないんですね。これでは議論になりません。
スパコンでもそうでした。スパコンの開発や科学技術を否定するという議論ではありませんでした。ノーベル賞の野依さんの言うように仕分け人で科学技術を否定した人はいません。スパコンを開発するという事業としてこれまで毎年260億、280億ものお金を使ってきた、神戸には建物もできた。それで3年後に世界最高速のスパコンができるんですかという議論でした。どうせ作れないんなら、そこで連坊さんの「世界第二位ではダメなんですが」という有名な言葉が出てくるんですね。
実は昨年文科省は世界最高速はとれないと内部文書を出しているんですね。先ほどの河野チームでもスパコンは不要となっているんですね。何で必要かと聞いても国民の夢ですなどという返答しか出てこなかったんです。実は最初富士通とNECと日立の3社が入っていたが、NECと日立は見込みがなく降りたんですね。
パソコンでも何でも新しいものが常に出てきます。ある瞬間に演算速度だけで一位を取ることにどれだけの意味があるのか。神戸に一台の世界最高速のスパコンを置くよりも、日本中に10台のスパコンおいた方がいいのではないか。なぜ神戸に1台だけ置くことに意味があるのか。それよりも使い勝手を良くする為に何台か置いたほうがいいのではないかという議論だったのです。
野依さんという人は実は利害関係者です。あれがもしゼネコンの社長が公共工事を否定するというのはおかしいとしたらそちらが叩かれたはずです。だから決してスパコンや科学が要らないという話ではなかったのです。
4月の末から5月にかけて公益法人、独立行政法人について行政仕分けします。お金を削減することが問題ではない。むしろそのなかで浮かび上がってくる制度、組織を問題にし、制度そのものを問題にすることのほうがより大事なことです。最近は事業仕分けに市民評定者に加わってもらうことも出て来ています。ぜひそういう目で見ていただきたいと思います。

一日雪降りでした

2010-03-07 12:43:42 | 雑感
7日は終日雪降りでした。昨日は雨、そして今日は雪。このところお天気がいまひとつです。この間まではお天気も良く暖かくなっていたのですが、ここに来てまた冬に逆戻りです。三寒四温といいますが、まさにその通りです。こうやって行きつ戻りつして季節は進んでゆくのですね。みぞれ交じりの雪で真っ白になりました。朝から確定申告に取り掛かりました。15日までですので今週中には何とかしなければなりません。午前中知人からファックスをいただきました。一般質問をCATVで見た感想でした。表を使っての質問も良かったけれど、表が小さく拡大して透明なケースにいれたらとのことでした。自分も家族もCATVを見ていないのでこうして忠告をいただくとありがたいです。国会論戦ではよくパネルを使っていますが東御市では少なくとも私が議員になってからはありません。また資料配布という制度はあるのですが、あまり使われていないと思います。今回はからずも櫻井議員と私が行うことになりました。市民の皆さんにとって分かりやすくするために必要であればまた挑戦したいと思います。

身もこころも頭もリフレッシュ

2010-03-06 21:18:46 | 雑感
3月6日は朝からあいにくの雨でした。一般質問の準備のため前夜は半徹夜だったため寝坊してしまいました。午後から松本に車で出かけました。あの「構想日本」代表の加藤秀樹氏の特別講演「いま語る、本当の事業仕分け」に出席するためです。以前から加藤さんの話を聞きたいと思っていましたのでとても参考になりました。1月には同じ構想日本の福島浩彦氏の話を聞いています。その後、元長野県副知事であった阿部守一さんと県会議員の下沢潤一郎さんの対談がありました。阿部さんは横浜副市長を経験し、いまは行政刷新会議事務局次長です。夕方、東御市に戻ってきて日帰り温泉で湯船に浸かり夕食。夜は地元のお菓子屋さんでシンガーソングライターの坂口ユキコさんのコンサートがありました。坂口さんには以前の九条の会の総会で歌ってもらったことがあります。その透き通った歌声に私も参加者された皆さんも超満足でした。今日は身もこころも頭もリフレッシュした一日でした。

生活保護はこれでいいの?

2010-03-05 20:59:41 | 議会活動
 

3月5日は代表質問・一般質問の二日目でした。私は午後一番で質問に立ちました。取り上げたテーマの一つは「生活保護」です。最近の不況の中、職を失って生活保護を申請する人が増えています。最後のセーフティネットとして生活保護の申請が増えています。事前に近隣4市を調査しました。

上記のグラフをご覧ください。東御市の生活保護受付状況を平成20年と21年を比較してみました。但し21年は4月から12月までの8ヶ月です。21年は前年と比べてが受理件数は半減しています。個別事情はあるかとは思いますが、時代と逆行しているように見えます。
 

それでは近隣3市はどうでしょうか。棒グラフに注目してください。いずれも相談件数伸び率は前年を上回っており、受理件数伸び率は東御市だけが前年割れです。他の市と比べて生活保護は狭き門となっているように見えます。

次に折れ線グラフに注目してください。相談者のうち申請者の割合を申請率、受理者の割合を受理率と言います。東御市の申請率・受理率が近隣4市中最低であること、申請率と受理率がまったく同じであることです。佐久市では相談に来た人のうち40%の方が申請し、36%の方が受理されています。東御市ではわずかに12%。ここでも東御市の厳しさが際立っています。 

東御市と他の市ではどこが違うのでしょうか。受理理由を調べてみました。増えているのは一番右側の赤い部分、「その他」すなわち離職・無職者です。東御市以外の市ではここが増えています。東御市では職を失った方に厳しいと言わざるを得ません。

とりわけ私が問題だと感じたのは申請率と受理率がまったく同じだと言うことです。どのような理由があるにしろ事前規制をすること自体問題だと思います。相談者の申請する権利をないがしろにするような取り扱いはすべきではありません。東御市に対し生活相談の適切な運用を求めます。

看板設置の後日談

2010-03-04 22:50:30 | 議会活動
4日から議会の代表質問・一般質問が始まりました。午前9時から午後6時近くまで終日代表質問を聞きました。最初は清和会、そして昼をはさんで私たちのさわやかな風の会、午後は公明党と日本共産党の順でした。聞く側の議員も大変ですが、それ以上に大変なのは花岡市長です。ほとんどすべての質問に自ら答えていました。あらゆる仕事に精通しており、聞かれたことに瞬時に反応して答える。これは生半可なことではできることではありません。

さて、昼に思い立って玄関先の受付に行きました。昨日私が見た真新しい看板がいつ立てられてのか興味があったからです(3月3日のブログ参照)。回答は「昨日」とのことでした。まさに私が見た当日に立てられたとのことでした。それは議会の一般質問の前日です。

何か手回しの良さを感じます。翌日から始まる一般質問で何か言われないように、とりあえず看板だけは「緊急雇用不況対策相談窓口」にしておこうと思ったのではないかと勘繰りたくなります。相談窓口が移ってからもう5ヶ月です。この間相談窓口は本庁舎からは消えてしまっていたのです。いまさらとってつけたような対応をしても空しいばかりです。

日めくりカレンダー