秋分の日スペシャルでブログをもう一丁(汗)
横澤彪さん・・・ご存知の方も多いかと思います。1980年代に制作された『笑っていいとも!』『オレたちひょうきん族』などを手掛けたフジテレビの名物プロデューサーです。その後は吉本興業東京支社に転職、お笑いの現場に身をうずめた御大です
先日、NHKのインタビュー番組に登場 現在はご自宅で悠々自適の生活のよう・・・というか、数年前に体調を崩されていましたが、画面を見る限りお元気のようで安心しました
そんな横澤さんの現在の肩書は「家事手伝い」。横澤さんらしい素敵なセンスです
俳優を目指した僕がドラマの世界に入れるきっかけを作ってくれたのが、横澤さんでした。
前職を辞めた1988年の春。戦前の中国を舞台にしたドラマ『さよなら李香蘭』(フジテレビ開局30周年記念)の制作情報をキャッチした僕は「エキストラとしてぜひ勉強させてください!」と直訴。「中国語が出来るなら、スタッフとして裏方をやって勉強しなさい」と快く受け入れてくれたのが横澤さんでした。
翌日からスタッフルームで掃除、お茶くみ、コピー取り。時には横澤さんの肩揉み(笑)をして俳優修業が始まったのです 昨年、電話で久しぶりに“師匠”の声を聞き、そのお元気な様子に嬉しくなった僕でした
横澤彪さん・・・ご存知の方も多いかと思います。1980年代に制作された『笑っていいとも!』『オレたちひょうきん族』などを手掛けたフジテレビの名物プロデューサーです。その後は吉本興業東京支社に転職、お笑いの現場に身をうずめた御大です
先日、NHKのインタビュー番組に登場 現在はご自宅で悠々自適の生活のよう・・・というか、数年前に体調を崩されていましたが、画面を見る限りお元気のようで安心しました
そんな横澤さんの現在の肩書は「家事手伝い」。横澤さんらしい素敵なセンスです
俳優を目指した僕がドラマの世界に入れるきっかけを作ってくれたのが、横澤さんでした。
前職を辞めた1988年の春。戦前の中国を舞台にしたドラマ『さよなら李香蘭』(フジテレビ開局30周年記念)の制作情報をキャッチした僕は「エキストラとしてぜひ勉強させてください!」と直訴。「中国語が出来るなら、スタッフとして裏方をやって勉強しなさい」と快く受け入れてくれたのが横澤さんでした。
翌日からスタッフルームで掃除、お茶くみ、コピー取り。時には横澤さんの肩揉み(笑)をして俳優修業が始まったのです 昨年、電話で久しぶりに“師匠”の声を聞き、そのお元気な様子に嬉しくなった僕でした