大阪二日目。今日はフィギュアスケート全日本選手権のチケットは、昨年同様取れませんでした。男子FSと女子SPが開催される二日目は一番競争率が高いのです。
なので、今日は観光をすることにします。大阪から日帰りで行ける観光地の選択肢は非常に多く、しかも国宝、世界遺産がたくさんあります。
今回は姫路城に行くことにしました。
まずは朝食です。今回は朝食付きプランなので、ホテルのレストランを利用します。今日は和朝食ブッフェにしました。和食だけのブッフェは他ではあまり見たことはありません。
3階の弁慶という日本料理のレストランが会場です。
和食のみのブッフェですが、品数は多彩です。
大阪名物のおでんやお好み焼きもあります。味も非常によく、つい朝から食べ過ぎてしまいます。
地下鉄で梅田へ行き、JR大阪駅でまたしばし撮影タイムです。
USJ仕様の201系。
225系100番台。
223系0番台。
201系。
さて、大阪から新快速で姫路に向かいます。
京阪神間は阪急、阪神、京阪と競合し、値段の安さと、特に京阪間は京阪3000系、阪急6300系の転換クロスシート装備の料金不要特急を運行しており、サービス面で国鉄は大きく後れを取り、乗客を奪われていました。
それに対し国鉄がとった作戦は単純明快、スピードで勝負することでした。私鉄に比べ線形がよく、すでに複々線化されていたので条件はそろっていたということもあります。
かくして1970年に新快速が登場します。料金不要で15分間隔で運転、京都~大阪間42.8kmを新大阪を通過し29分、表定速度88.6km/hは当時の在来線特急より早いという衝撃のダイヤで、京阪神間の乗客の奪還に成功します。
1972年には急行型の153系が投入され、1980年には2扉転換クロスシート装備の117系が新快速用として新製投入され、サービス面でも競合私鉄に引けを取らなくなり、関西国鉄の看板列車となっています。
1978年の時刻表を見ると、当時の新快速は大阪~姫路間87.9kmを三ノ宮、神戸、明石、加古川の4駅に停車し、大体1時間15分で結んでいます。
現在の新快速は尼崎、芦屋、西明石にも停車しますが、130km/h運転の恩恵もあり、1時間2~3分と約10分短縮されています。
東京からだと小田原(83.9km)に相当する距離ですが、東京~小田原間を料金不要の列車で行こうとすると早くて1時間22分程度かかります。しかも4扉ロングシート(申し訳程度に4人掛けシートがありますが、あれに座るならロングシートのほうがマシ)。
要するにJR東日本ではグリーン料金か特急料金を払わなければならないレベルのサービスをJR西日本では料金不要で提供している訳です。
この新快速の223系、速いだけではありません。振動、騒音は少なく乗り心地は良好で、転換クロスシートの座り心地もなかなか良いです。姫路までの1時間はあっという間でした。
姫路駅はきれいな高架駅で、高架下にはみやげ物店や観光案内所が整備されています。外国語対応もしており、さすが世界遺産姫路城の玄関口です。
姫路駅は姫路城の正面にあります。バスはたくさん出ていますが、1km程度の距離なので、歩いていくことにします。
今日はクリスマスイブですが、結構観光客は多いです。外国人も多いですが、城の場合、アジア系だけではなく欧米系の外国人も多くなるのが特徴です。
姫路城は現存する最大の天守ですが、城郭建築としても当時の姿を残しており、残されている建物の多くが国宝、重要文化財に指定されています。また、日本で最初に世界遺産に登録されています。
2015年に平成の修理が終了し、白すぎるとか言われていましたが、近くで見る限り、それほど真っ白という感じではありません。
入場料を払い、城内に入ります。
当時の構造がほぼ残されているため、実際に城攻めをする間隔で天守に向かうことができます。
そうすると、防御の工夫が見えてきます。高井石垣と塀に囲まれた細い通路、足元が微妙に傾いており、平衡感覚がずれてきます。
先の見えないつづら折りの道ですが、常に高い建物が見えています。つまり、常に監視されているということです。
「に」の門。門の中で直角に曲がりながら登る構造になっています。ここを障害物で閉鎖し、待ち構えていれば敵は一網打尽でしょう。
天守の下に来てもこの威圧感です。
この先、下り坂を抜け、西小天守を回りこんで天守に入ることになります。
天守の中も広いです。そして最上階の6階からは瀬戸内の海、島々を見ることができます。
本丸広場。ここにはベンチがあり、天守を見ながら休憩することができます。城見学は整備されているとはいえ、攻め難くつくられたものを見学するので、非常に疲れます。
帰りは備前門から。門の横にある大きな石は古墳の石棺とのことです。
本丸横の通路を通り、二の丸へ。
播州皿屋敷のお菊井戸があります。
姫路城は明治、昭和そして平成と大修理を受けており、その時のしゃちほこが展示されています。
良くわかりませんが、文化財の修理の場合、同じ形にしなくてもよいのでしょうか?
続いて西の丸へ。
西の丸は、城主本多忠政の息子、忠刻に嫁いだ徳川家康の孫、千姫の御殿がたてられた場所ということです。
大坂夏の陣で落城した大阪城から救出された千姫は、徳川四天王の一人、本田忠勝の孫、忠刻に嫁ぎます。しかし、忠刻は30才で死去、千姫は江戸に戻り出家します。
千姫は7歳で秀頼に嫁ぎ、29歳で出家したことになります。
西の丸からは姫路城がきれいに見えます。
結局姫路城見学には2時間以上かかりました。じっくり見るのであれば、丸一日見ておいたほうがよいでしょう。
<その2に続く>