晩秋の上信路に行ってきました。標高の高い地域なので、もう紅葉は終わっているようですが、さてどうでしょうか。
11月18日金曜日、朝7時過ぎに出発します。平日の朝なので外環道の混雑は激しく、東北道~圏央道経由のルートを選択しましたが、久喜白岡JCTで圏央道に入ったところで立て続けに二台故障車があり渋滞しており、結構時間がかかりました。
今日も非常に良い天気に恵まれましたが、東部湯の丸SAに到着するあたりから、急に靄がかかり始めました。
比較的暖かい日でしたが、ここまで来るとかなり気温が低く、陽が当たると暑く、日陰は寒いという着るものが難しい天気です。
ここで高速を降りてまずは海野宿に向かいます。
海野宿の駐車場に到着。天気は悪くなることはなく、雲一つない晴天になりました。
海野宿は旧北國街道の宿場町で、明治になって鉄道が開通し、宿場町としての役割を終えると養蚕で栄え、江戸時代~明治時代の建物がよく保存されています。
宿場町になる前は海野氏の城下町として栄えていたようで、真田信繁(幸村)の祖父、幸綱は海野氏の出身といわれています。有名な真田六文銭の家紋はもともと海野氏の家紋だったとのこと。
まずは宿場の入り口にある白鳥神社へ。かなり大きな神社です。
木曽義仲が挙兵した白鳥河原はこの神社の前といわれています。
神社の前を流れるのは千曲川です。千曲川は不思議で、信濃の国では千曲川ですが、越後の国に入るとなぜか信濃川と名前を変えます。
御朱印も種類が多いですが、書置きの物が多く、御朱印帳に書いてもらいたかったので、オーソドックスなものをいただきました。
神社の前から、海野宿散策を開始します。平日ですが、観光客はそこそこいます。年配の方が多いようです。
その前に、もうすぐお昼なので、軽く昼食をとることにします。
宿場町にある福嶋屋というそば屋さんに入ります。
奥に座敷がありますが、満席とのことで、入り口に一個だけあるテーブル席に案内されます。運よく最後の一席に滑り込めました。それほど席数は多くないようです。
それにしてもこの席、かなり寒いです。
くるみそば。待っている間に結構冷えたところに冷たい蕎麦でますます冷えてしまいました。しかし蕎麦湯で回復。当然おいしい蕎麦です。大根のザラメ漬がおいしくて、売っていたら買って帰りたいくらいでした。
こちらは暖かいかけそば。これもおいしいですが、蕎麦は冷たいほうがやはりおいしいと思います。
さて改めて海野宿を散策します。
他の古い町並みに比べ、新しい建物がほとんどなく、統一感があります。
平坦ではなく、大屋駅側から田中駅に向かって緩やかな上り坂になっています。
この漢字は何て読むのだろう、と思いましたが、多分蚕ですね。
天気も良く、幸先の良い旅のスタートとなりました。
<その2に続く>