青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

バーボンに酔いしれる ~お薦め4大バーボン

2018-10-10 | 雑学(教養)の部屋

前回の記事に引き続き、僕がお薦めするバーボン4選をご紹介します。

ワイルド・ターキー

1850年代のこと。とあるハンティング・グループのメンバーの1人が、自分の所持するサウスキャロライナの農園でのハンティングに3人のメンバーを招待した。彼はそれぞれ何か珍しい物を持って集まることを提案する。そしてその中の1人、トム・マッカーシーが考えついたのは酒だった。そこで選んだのが当時ブルックリンにあったオースチン・ニコルス社のケンタッキー・ストレート・バーボンのまだ名も無い8年ものだった。1適の水を加えること無くフィルターに通しただけの、そのバーボンは101プルーフというクッキリした味わいで、仲間たちはいたく気に入った。それから毎年七面鳥の狩りのシーズンになると欠かせないものになり、オースチン・ニコルス社も七面鳥狩りのシーズンになると毎年注文がくるため、本格製造に乗り出し、名前も「ワイルド・ターキー」と名付けたのだという。

ワイルド・ターキーといえば、「8年貯蔵、101プルーフ」が売り文句だが、101という数字は中途半端に思えます。しかしこれは保税倉庫に入れる基準のアルコールの強さ100プルーフからはずれないようにと念を入れて1度高くしたため。アメリカのシンボルでもある七面鳥は、バーボンの象徴でもあったのです。

オールド・フォレスター

そのテイストはライトで、さっぱりした辛口が身上。ところでこのラベルには「This bottle is the History of Kentucky Straight Bourbon Whisky.Bottled first in 1874. Still standing the test of time, nothing better in the Market.」と筆記体で書かれた文章が全面に並んでいますが、「このボトルはまさにバーボンの歴史そのもの。1874年、アメリカで初めて瓶詰めされて売られたバーボンである。長い時の試練に耐えて、今も市場にこれに勝るもの無し。」という意味です。

このバーボンを生み出したブラウン・フォアマン社の創業者、G・G・ブラウンの書いたコピーです。1868年、ブラウンはケンタッキーの薬剤卸問屋に奉公、当時麻酔薬・鎮静剤の代わりに使われていたウイスキーに出会う。ブランド名の由来は当時彼が崇拝していた南北戦争の南軍の将軍「ナタン・ベッドフォード・フォレスト」にちなんだもの。当時このような商標を持つウイスキーは珍しかったが、さらに画期的だったのは品質管理を徹底したことで、それは瓶に詰めることだった。特定の瓶に詰めるだけでは完全とはいえないと考えたブラウンは、キャップにシールドすることも実践した。シールドされた中身は、完全に保証するということだったのです。

ヘンリーマッケンナ

ヘンリー・マッケンナの名前は創始者にちなんだもの。彼は1819年にアイルランドに生まれ、アイルランドの蒸留所で働いていたが、18歳の時にアメリカに渡り、1855年ケンタッキー州フェアフィールドでバーボン造りを始める。ヘンリーはウイスキー発祥の地からの移民だった。当時の設備は蒸留機もパイプラインも全て木製で、1日の生産量もわずか1樽という細々とした家内工業だった。当時の愛飲家たちは「オールド・ファッションド・ハンドメイド・ウイスキー」と名付け、親しんでいた。

やがてこのバーボンの人気は口伝えで評判を呼び、宣伝もしないのに噂はボストンからNYまでにも広がり、引き合いも殺到するようになっていった。しかしヘンリーは量産で質が低下することを恐れ、あくまでも1日1樽のハンドメイド体制を崩すこと無くその姿勢を貫く。さらには「本当に良さを分かってもらえる人にだけ飲んでもりたい」とまで言い切り、販売店も限定。自分の気に入った店にだけ販売許可証を発行するという念の入れようだった。なかなか手に入らないことで、かえって人気は煽られ、ヘンリーマッケンナは「幻のバーボン」とまで謳われるようになる。当時の謳い文句にこんな言葉がある。「二日酔いになりたくなければ、ヘンリーマッケンナを飲みたまえ。」ヘンリーの蒸留所にはバーボン造りには最高といわれる良質の「ライムストーン・ウォーター」の水源が4ヶ所もあり、常に良質の水を豊富に使うことが出来た。だからこそ悪酔いもしないという訳なのです。

ジャック・ダニエル

アメリカの酒場でジャック・ダニエルを指差して「バーボン下さい」と言おうものなら、大笑いされるか白い目で見られるかのどちらかだと言われる。特にテネシーの人間の前では間違ってはならない。彼らにとっては「バーボンとは格が違う」と言わしめるウイスキーなのです。しかしジャック・ダニエルはバーボンと呼ばれず「テネシーウイスキー」と呼ばれる。ダニエルはテネシー州リンチバーグで蒸留されているため、ケンタッキー州で作られたものに限るという定義に外れ、バーボンとは厳密には呼ばれない。

そしてこれには「チャコール・メロウイング」という独特の濾過工程が加わっている。蒸留されたばかりの原酒が、深さ3.7mもの木桶にぎっしり詰められたシュガー・メイプルの木炭層で、1滴1滴ゆっくりと濾過されるのです。ジャック・ダニエルが「シッピング・ウイスキー」(いつくしみながら味わうウイスキー)と形容されているのは、この工程によるためです。創始者ジャック・ダニエルは1846年テネシー州リンチバーグの近くに生まれるが、継母との折り合いが悪く、6歳で家出をし、蒸留所を持つ農園に住み込みで働き17歳で独立。1866年、弱冠20歳でジャック・ダニエル蒸留所を設立する。創立当時はジャック自身が馬車で売り歩いたが次第に話題を呼び、1904年のセントルイス世界博覧会で、最高のウイスキーとして金賞を受賞。以来世界の銘酒としての地位を確立したことは、テネシー出身者でなくとも知っています。


バーボンに酔いしれる

2018-10-08 | 雑学(教養)の部屋

アメリカ人はよく酒を飲む。もちろんそれはルビー色の赤い酒、バーボンです。歴代大統領にもバーボン党は大勢います。あの16代大統領リンカーンからしてそう。南北戦争当時、「北軍司令官・グラント将軍が飲み過ぎて困る」と注進された時も、将軍を叱るのではなく、こともあろうに「彼の飲んでいる銘柄を教えて欲しい」と答えたという。それは後年調べたところによるとオールド・クロウでした。グラント将軍も18代大統領に選ばれています。

あるいは初代大統領ジョージ・ワシントン。彼は自宅にバーボン蒸留機を備え、晩年はそれで作ったバーボンを販売していたといわれる。アイゼン・ハワーはワイルド・ターキーをこよなく愛した。バーボンが人々を酔わせるのは、その赤い色の中に生きるアメリカン・スピリットのためです。WhiskeyであってWhiskyでない酒「バーボン」に、我々も酔いしれたい。

バーボン・ウイスキーのスペルのほとんどが「WHISKY」ではなく「WHISKEY」と「E」が入っています。(ご存知でしたか?)これを語るにはまず、バーボンを産み出した人々のルーツを説明しなければなりません。アメリカ大陸発見後、真っ先に移住したのはイギリスからの清教徒で、マサチューセッツやNYに住みました。18世紀になると、スコットランド人やアイルランド人も渡って来ましたが、清教徒たちは宗派が違うため同じ地に住む事を嫌った。そこでスコットランド人やアイルランド人は、ペンシルバニア、メリーランド、ヴァージニアなどに移り住み、開拓民となる。彼らがその地に移り住んで最初に作ったのは、ラム酒やリンゴのブランデーだったが、次第に簡単に手に入る、ライ麦やコーンを主原料としたウイスキー造りに励むようになる。といっても、この酒は飲むためより、通貨の代わりでもあった。

ところが、1776年独立戦争が終わると、無税だったウイスキーに税金がかけられるようになる。これに反発した開拓民たちは、税金から逃げるため、それまで住んでいた土地を後にして、さらに奥のケンタッキーに移り住む。そこはトウモロコシを作るには絶好の土地で、しかも石灰層から流れる良質の水「ライムストーン・ウォーター」が豊富に湧き出る所でした。

1789年バプティスト派のクレイグ牧師が、家計の足しにと庭先で造ったウイスキーが、香りよく、真っ赤な美しいルビー色をしていることで評判になる。(バーボンの始まりには諸説紛々)その色の理由は、内側が焼けた樽で熟成させたことにあった。この技術の発見については、うっかり焼いた樽に入れてしまったとか、魚を入れてあった樽を使うため、匂いが移らない様に樽を焼いた、等いろんな説がある。いずれにせよ、この焼いた樽のおかげでバーボンの原型が出来上がった。「バーボン」の名前の由来は、アメリカ独立を助けたフランス軍に感謝の意を表し、フランス王家の名「ブルボン」(バーボン群)が現在のケンタッキー州の一部に付けられたことから「バーボン・ウイスキー」と名付けられたらしい。

さて、肝心のwhiskeyの「e」です。バーボンの父と呼ばれるのはクレイグ牧師であるが、実際に蒸留元となったのは、開拓者の多数を占めた北アイルランドの人々だった。彼らの故国ではウイスキーをウイスケ「Hwiske」と発音し綴っていた。そのため「e」はここからきているのではないかという説が強い。現在でもアイリッシュ・ウイスキーは「Whiskey」と綴られ、スコッチ・ウイスキーは「Whisky」である。もっともバーボンの中にも「アーリー・タイムズ」など一部は「whisky」と綴られているが、これは蒸留者がスコットランド系だったのかもしれない。ウシュクベーハー(命の水)と呼ばれるウイスキーが作られたのは12世紀、北アイルランド人によってといわれる。このウイスキー造りの元祖の血を受け継ぎ、フロンティア・スピリッツから生まれたのが、「火の酒」バーボンなのです。

<バーボンウイスキー>

原料となる穀物の51%以上(80%以内)がトウモロコシであること。160プルーフ以下で蒸留。新品で内側を焦がしたホワイトオーク材の樽で2年以上熟成させる。熟成は125プルーフ以下。プルーフは、蒸溜酒のアルコール度数を表す際に使われる単位。 アメリカンプルーフは、0.5倍するとアルコール度数になります。120プルーフなら、アルコール度数60%ということです。 

ところがこれだけの条件を満たしても、ケンタッキー州以外で造られたものは正確には「バーボン」とは呼ばれない。このことは、合衆国特許局に正式登録されています。だから、ジャック・ダニエルはアルコール法によればバーボンウイスキーだけれど、テネシー・ウイスキーと呼ばれるのはこのためでもあります。

<飲み方>

器にこだわったからといって、別に味が変わるわけではありません。しかし味わうことを楽しむなら、酒に合ったグラスを選びたい。バーボンをストレートで楽しむなら、まずショットグラス。ロックのためにオールド・ファッションド・グラス。そしてタンブラーがあれば、とりあえずはOK。好みもあるが、装飾の多いグラスよりもシンプルなグラスの方が、個性的なバーボンには似合うと思います。ズッシリとしたロック・グラスも1つ欲しいところです。

氷で酒の味は変わるのか?といえば当然変わります。家庭の冷蔵庫で水道水で作ったものより、コンビニで売っている氷の方が水割りも美味しいのは常識。透明で気泡のない氷が、バーボンを始めとした酒の香りを損なわない。バーなどで飲むロックや水割りが美味いのも、氷屋で作る大きな氷の塊を砕いて作るから。一時南極の氷が流行ったし、試してみましたが、あれは気分の問題が大きいと思う。とにかく喉に熱いバーボンを固くするためにも氷にはこだわりたい。

割るというと水割りだが、バーボンと水割りは実は大抵相性が悪いと思います。(水割りが美味しいバーボンもある)バーボンはソーダなどの発砲性ウォーターで割ると美味しい。炭酸のガスが香りを引き立てるような気がするからです。他にもジンジャーエールやコーラで割るのも美味しい。甘すぎる場合はソーダを加えると、味がしまる。自分の好みのバーボンに好みの割り方を重ねる。また美味くなる。これはバーボンに限らないが、無理してストレートでいくより楽しまなくては、酒がもったいないと思う。実際本家アメリカで、ジャック・ダニエル(テネシー・ウイスキーだが)の正式な本家がカクテル版が発売していました。


これは直りまへん ~関西人の話し方!

2018-10-03 | 雑学(教養)の部屋

海外でこれだけは聞きたくない・・・というのが、僕にとっては関西弁。(笑)海外で日本語を聞くだけでも雰囲気が壊れる時もあるのに、まして関西弁はキツイ!例えばルーブル美術館でお目当ての絵画を見ている時、「あ、あった、あった。こっちやこっちやで。」なんて聞こえてきたら・・・。しかもその声がでかい!大阪人の声は僕もそうですが、一般的にでかいのです!



僕が新卒で営業の道に入った時、販売しているものが高額商品ですので少しは上品に・・なんて思って話していたら、お客様の方から「あんた、もっと大きな声で話さな分からへんがな。しっかりしい!」と言われました。(笑)法人相手の商談でもおとなしくしていると、「なんや、こいつ。腹の中で何考えとんねん。」と不信感を持たれかねない。

大阪では、言いたいことは大きな声でハッキリと伝えるのが当たり前。しかも相手の目を見て!これって海外ではコミュニケーションに役立ちます。僕はこのおかげで、海外で損をしたことは全くありません。(笑)「あのなあ、ここだけの話やけどな」という声自体が、周りに丸聞こえの大阪人。どうかと思いながらも、愛嬌があります。

そして関西人には、「関西弁が好き」という人が非常に多い。「何語が話せますか?」と問われ、「英語と日本語と関西弁」と答える人が多い!(笑)ジョークとは言え、関西人が関西弁が好きである証拠だろうと思う。

次に関西人は擬音を使う会話が得意。例えば道を尋ねられた時。「ここをターっと真っ直ぐ行って、突き当りを右にガーっと行った所です。」なんて答える。仕事の最中でも「パッパーとやってしまおう!」とか。ぼやぼやしてると早くしろと言う時「サッサとせいよ!」とかね。

もう1つ関西人の言葉の特徴を。関西で友人を誘うと、返事がYESの場合、「行こ、行こ」という言葉が返って来る。「昨日阪神の試合見たか?」「見た、見た」。大人も子供も返事に繰り返し言葉を使う。YESを表す場合は、その嬉しさの度合いを表すためであろうと思われますが、心に弾みがあるから出る言葉遣いだと僕は思います。

逆に「これいらん?」と、何かを出された時、不要であれば関西人は怒っていなくても、「いらん、いらん」と言うし、興味がないことに対しては「知らん、知らん」とか「ちゃう、ちゃう」と実に冷たい反応です。(笑)そこを深追いすると、「もうええ、もうええ」ととどめを刺されますのでご注意を!(笑)