青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

50年前の“国道43号線”

2021-04-30 | 昭和・懐かしい大阪の風景

昔はゴールデンウィークと言えば、気になるのは道路の渋滞でした。僕が30歳前後の時は、バブル期にみんなが自動車を購入していたので、「大渋滞」という帰省を面白おかしく描いた映画が作られたほど、道路が渋滞していました。今年はどうなるのか?

感染を恐れて電車を避けて帰省する人が増えれば、渋滞が起きます。しかしながら、本当に今の状況を考えると動かないことです。誰もが動きを我慢すれば、1か月以内に新型コロナは理論的に日本から消えるのです。ウイルス登場から1年以上が過ぎても、変異株まで生まれて感染拡大するのは人が動くから。しかも他人の迷惑を考えない勝手気ままな動きが、ウイルスを拡散して行く。本人にとっては自由であり、必要だという行動が、実は客観的に見て無意味な動きであることが多い。

教育や躾をきちんと受けて育ち、考える力を持ち、他人を慮ることが出来れば、特定の職業の人だけが死活問題で泣くことなんか起きません。去年のGW中には人が街からかなり消えました。それをもう1度、ウイルスが強くなった分だけ、もっと正しくウイルスを怖がって動きを止めるだけで感染が止まるのに。それが出来ないのが戦争を止められないのと同じ、人間の性なのでしょうか。だとしたら悲し過ぎます。

この写真は50年前に、僕が撮影した大阪~神戸間を走る国道43号線です。全く車がいない。(笑)自家用車を持っている家が、まだまだ少ない時代でした。まだ「光化学スモッグ」という言葉も、聞いたことが無い時代の1枚です。現在の様子と比較したかったのですが、今はとても取材に行く気にならないので、ご容赦下さい。(笑)


梅田グランド・梅田花月

2021-04-29 | 昭和の映画館

以前「昭和の喫茶店」でご紹介した「喫茶アメリカン」の横にあった、梅田花月・梅田グランドの写真がありました。

画面右端に写っている喫茶アメリカンは、火事の後で焼け焦げています。アメリカンがローストされていて、洒落になりません。

「曽根崎お初天神通り」の商店街アーケードの看板は、現在の看板とは勿論違います。あの看板は何度もデザインが変更されています。

梅田花月は最初は地下で、映画館が地上だったのですが、70年代後半には集客が逆転し、映画館が地下になりました。(結構知らない人がいます。でも、そもそもこの場所を知っている人が、今では少ないですね。)



この映画館で観た思い出の映画は、「ベン・ハー」(リバイバル)、「タワーリング・インフェルノ」です。しかし、気が付いたら閉館していました。ここ、阪急プラザ、OS劇場、梅田東映パラスと、80年代後半から梅田の映画館は次々と閉館されて行きました。

大劇場から、小さなシネコンへと時代は変わって行ったのです。


素敵なこともある!~面倒くさいことも多いけど。

2021-04-29 | 今を考える

ブログがすたれ、SNS全盛と言われています。

しかし、僕は以前からLINEを否定して来ましたが、ああいう事件があってもまだ使う人もいます。

SNSも、Twitter、Facebook、Instagram といろいろあります。僕はFacebookを使っていますが、これは僕の海外の友人たちが大勢使っているので、その人たちが日々何をして過ごしているかを知りつつ、その人たちをフォローし、コミュニケーションを取り続けるために使っています。

時々、僕は言われます。「え?Facebookしてるの?俺はLINEなんだ。そっちの方がいいぞ」

一体何が良いのか分からない。

「最近はインスタよね。Facebookはほとんど使わないから」

使わなければ良いと思いますよ。

僕は彼らに言いたい。「あなたはSNSを一体何のために使っているのですか?」と。そういう人に限って、読むだけで自分は何も情報を発信しない。特に人の役に立つ情報を発信しない。それなのになぜ、僕に勧めるのか?僕の書いたものを読みたければ、僕の使っているものに自分が合わせるのが当たり前。嫌なら読まなければいい。

そういう人が、最近特に多くなっている気がします。

僕は読みたいものがあれば、その媒体を購入するか使用します。見たいものがあれば有料チャンネルでもネットでも購入します。

自分が参加する気持ちのないネットワークを、他人に勧める人にはうんざりしますし、そういう人から何ら得るものがありません。年齢を重ねると、義理だけの付き合いは面倒臭いし、トラブルの元になるだけです。選挙前にだけ掛かって来る電話や、体を壊すと寄って来る人々や団体は、僕には不必要です。

ブログでは「コメント欄」を使って、人との付き合いの幅を広げたいのですが、世の中には気に入らなければスルーすれば良いのに、強烈にクレーム、誹謗中傷をする人たちがいます。それでブログを閉鎖したこともあります。だから現在はコメント欄を使う気持ちはありません。

でも、Twitterを経由して、懐かしい写真を贈ってくれた方もいます。ありがとうございます!

ブログの中で、僕の書いた記事に言及してくれた人もいます。嬉しいです。

そういう小さな出会いに袖が触れた時、ブログにもSNSにも楽しさを感じます。新型コロナウイルスに世の中が脅かされ、緊急事態宣言まで発出されている今だから、こういうメディアを使って人とコミュニケーションを取るのも楽しいものです。

僕は大阪・北摂で生まれ育ち、途中横浜~東京~海外を走り回り、今再び大阪に落ち着いたアラカンです。同じ時代を過ごされた方、同じ場所を共有した方、同じ趣味をお持ちの方、これからもよろしくお願い致します。


大阪・北摂最高のデート・スポット!

2021-04-28 | 昭和・懐かしい北摂の風景

昭和のデートスポットで、忘れられない場所が1つあります。それは大阪空港(伊丹空港)の滑走路の端です。遥か向こうから近づいて来る飛行機が、頭の上を手の届くような距離感で飛び、綺麗に滑走路にランディング!その迫力は、行った者にしか分かりません。



阪神高速空港線、林病院(現・豊中平成病院)のある交差点から、1分ほど西へ入った所です。ほとんど人が来ないので、昼夜を問わずカップルにとっては、デートのスタートに持ってこいの場所でした。昔は橋の辺りに車を路上駐車したものでしたが、今は100円パーキングがあるので安心!

トランプ大統領来日の際には、多くのカメラ(飛行機)マニア達が、ここにエアフォースワンの撮影にやって来ていました。



遥か遠くの空に飛行機を見つけ、それがどんどん近づいて来る。

まるで自分のいる場所に墜ちて来るような怖さも感じながら、頭上、手の届く様な、石を投げれば当たるような気がする高さに、飛行機の胴体の腹を見る!

スター・ウォーズが馬鹿馬鹿しくて見れなくなる迫力です。ジェットエンジンの爆音も凄い!

ここは自動車が無いと行けない場所ですので、最近の若いカップルは、ほとんどこの場所にデートで行っていないようです。昔もデートの穴場で、ここを訪れればデートは成功したも同然の場所でした。



視力の良い人と、悪い人とで、飛んでくる飛行機の発見が、何秒、何十秒も違います。戦争中、パイロットは視力が命。先に発見しないと撃墜される。「大空のサムライ」・海軍のエースパイロットだった坂井三郎中尉が、昼でも星が見えるようになったというのは凄い話でした。あなたは人より先に、飛行機を見つけることが出来るでしょうか?



上の白黒写真は僕が初めて、この地を訪れた1970年に撮影した現場の写真です。現在のように綺麗な堤防にはまだなっていませんでした。


阪急32番街 ~阪急グランドビル

2021-04-27 | 昭和・懐かしい大阪の風景

ここは阪急32番街です。

僕がグランドビルに初めて行ったのは、1977年・友人のMに連れて行ってもらった時です。現地に到着するまで、こんな場所があったことを僕は全く知りませんでした。オープンしてまだほとぼりも冷めない頃でした。1979年に駅前第三ビルが完成するまでは、グランドビルは西日本一の高さの超高層ビルでした。

Mと行ったのは30Fにあったダイガレコード店。当時、あんなに広いレコード屋さんは初めて。しかも高層ビルのガラス張りから見る景色が怖くて(笑)、窓際に近づけませんでした。高校時代までに最も足を運んだレコードはここでした。(輸入レコード店が増えると同時に疎遠になり、CD時代には阪急INGSに行くようになりました。)

梅田ナカイ楽器のスタジオ、オンキョーオーディオプラザ等の音楽関係以外にも、忘れられない「王様のアイディア」という雑貨店、輸入アイテムを扱っていたお店、コンパで使った27階のパブ「ウエストコースト」もありました。喫茶店も「松屋」とか手軽なお店が何軒もあり、ここで数人の友人たちがアルバイトをしていた時は、いろいろご馳走してもらったものでした。

名前も忘れた王様のアイディアの隣にあった輸入雑貨店で売っていた、皮にレーザーの焼き付けで描いた(と説明された)ジョン・ウェインの絵?は、当時2万円少しの値段で、どうしても手が出ませんでした。アルバイトでお金を貯めた時には売れており、あれほど欲しく手が出なかった、今でも買っておけば良かったと思うものは、他にありません。