青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

喫茶店モーニングに “帝国” が!

2024-05-31 | 日記
ディズニー版のスター・ウォーズ、7~9作が余りにもそれまでの世界観を粉砕したので、今ではスター・ウォーズ・シリーズを見る気も失った僕ですが・・。
 
今朝のモーニングで、「お❗️デス・スター❗️」と思った所をみると、まだ1~6作は心に残っているようです😆
 
 

大切だった “学内掲示板”

2024-05-30 | 昭和・思い出は色褪せない

大学に行ったら1番に行く場所、それは「掲示板」でした。

掲示板・・いろいろな場所の掲示板が失われて行きます。「駅の掲示板」は、待ち合わせの伝言に使われていました。そこに書かれている伝言から、いろんなことを想像するのさえ楽しかった。大学の学内掲示板は、大学生活には不可欠なものでした。

もう今から50年前の関西大学の掲示板前の写真です。今ではネットを使って、授業の休講の連絡やいろいろな学内の連絡事項を入手出来ますが、僕の学生時代にはインターネット等無く、掲示板の前に立つことなく休講を知ることもありませんでした。

1回生の時代ならともかく、4回生にもなれば週に1~2回しか登校しないのは普通でした。卒業に必須な単位は、ゼミと1~2科目しか残っていなかったからです。その1日の為にアルバイトも休んで登校すると、この掲示板に休講の連絡が。入学金から授業料まで全て自分で稼いで払った僕は、正直4年間休講のたびに「休むなら金を返せ!」と思ったものです。「前もって言えよ!」とも。

休講になったら2時間近く、次の授業との間に時間が空きますから、クラブに属していた者は部室で時間を潰せます。そうでない人で、懐の温かい人は喫茶店に。何も無ければ僕は部室コースでしたが、たまたまこの掲示板の前で「喫茶店に行かない?」と声を掛けられたら、同じ授業を取っていたクラスメートと喫茶店に行ったものです。そんな時に店内で聴いて気に入った音楽は、レコードを買って今も愛聴盤になっています。音楽を聴けば、あの頃の思い出が頭の中で再生されます。まるで映画のように。

これは「島耕作」シリーズの中の1コマですが、当時は大学にアルバイトの求人が、こんな風に張り出されていました。「アルバイト情報」「アルバイトニュース」などの有料情報誌(今はもうありませんね。)を買うまでもなく、いろんな求人から探すことが出来ました。大学OBの方の会社のアルバイトに当たった時などは、待遇も他の大学の人よりも良くして頂きました。

求人募集は書体も色も書き方も様々で、人のぬくもりというものを感じました。同様に僕らも履歴書には真剣に取り組みました。字が綺麗だとそれだけで得をしました。履歴書に添付する顔写真も、きちんとカメラ屋さんで撮ってもらっていました。インスタントの証明写真では・・。

掲示板と言えば雑誌の「読者のコーナー」などには、「文通募集」や「交換しましょう」「売ります・買います」等の投稿があり、そこには本名、住所などが明記されていました。個人情報にうるさい現代からは考えられないことですが、当時はルールというか常識のある人ばかりで、それが問題にはならなかった。良い時代だったと今更ながらに思います。

インターネットや携帯電話が登場し、世の中が飛躍的に便利になりましたが、それを使うのは人間です。人が正直であれば、普通に何も事件は起こりません。人の心の在り方が、あの当時とは随分変わり、その為にいろんな事件事故が発生し、世の中が住みにくくなっていると感じてなりません。

 


激変!日本橋でんでんタウン

2024-05-28 | 昭和・懐かしい大阪の風景

大好きなオーディオやAV機器に限らず、10万円を超える炊飯器や家電製品を買うとなれば、昔は日本橋まで車で買い物に行ったものです。最近本当に当時を懐かしく思い出してしまいます。

なぜなら今は大阪なら、梅田のヨドバシカメラ1強だから。ここでは「値引き交渉」全くなし!値段は決まっていて、そこにポイントが付与されるという今では当たり前のシステム。僕はこれが大嫌いです。

初回の買い物は値引きなく、2回目の買い物からポイントを使える。つまりヨドバシに次回「も」来ないとポイントは水の泡。そういう顧客の囲い込みをどこの企業もするようになった為、生き残り企業の市場独占が進み、値引き交渉はどこへやら。自由に好きなお店で好きな時に安く買うことが、今では出来なくなってしまったのです。

ここは平成元年(1989年)の大阪・日本橋でんでんタウン。電気店がぎっしり軒を連ねていました。「でんでんタウン」の名称は、昭和53年(1978年)の公募で決まりました。今では想像も出来ない賑わいを見せています。

少し前はスタンプカード、それがポイントカードやクレカになり、今はスマホのアプリで値引きをする世の中に。カードを何枚も持って財布をパンパンにする時代から、スマホアプリになって持ち運びには困らなくなっても、アプリを使えない人が中高年には多く、レジが混雑する。スーパーでもコンビニでも、どこでも。そういうものではなく商品の値引きを予めしてくれたら、レジの待ち時間も減るのですが。顧客囲い込みもいいけれど、後数年後にはレジの待ち時間が原因で、全国どこでもトラブルが頻発しそうな気がします。

平成21年(2009年)には、電気店街なのに電気店が既に激減しています。ソフマップやパソコン工房が力を持っていた時代は、既にこの時点で終わっています。

平成30年(2018年)にはインバウンド目当てのお店が生き残り、電気屋がビジネスホテルに変わっています。メイド喫茶、地下アイドル、そんな言葉がどんどん生まれ、カードショップやフィギュア等、サブカルチャーの街に変貌を遂げました。

そして現在。電気街の賑わいが消え失せ、シャッターの降りたお店が激増しています。日本人にお金の余裕が出来、日本人が買い物を楽しむ。そういう世の中にしないで外国人の落とすお金を拾いながら、日本人は切り詰めた生活をする世の中では、日本とアジア諸国の立場は逆転。かつての発展途上国の姿を、今の日本に見てしまうのは僕だけではないハズ。

日本人が大谷選手のように海外で活躍するのは嬉しいのですが、ワーキングホリディや何かで日本を出て、海外で売春している若者がいる等という現実を聞いてしまうと、日本は外交下手どころか、遂に食い物にされる時代になったのかと怒りを覚えてしまいます。現実を見ない国益を考えない政治家と、他国からお金をもらう売国政治家、時代遅れの理想主義を唱える団体やマスコミ等の連合によって、日本は世界の中の競争から落ちこぼれてしまいました。日本を1歩出て外から日本を眺めれば、こうなる前に誰でも分かったのですが、外に出る人が余りにも少な過ぎました。

 


懐かしの学園祭 in 神田共立講堂 ~太田裕美・なごみーず

2024-05-26 | 素晴らしかった興行・イベント

先月4月30日、入院中の歌手の太田裕美(69)が、病気の治療に専念するために年内の公演などを活動休止すると、所属事務所の公式サイトで発表。今年11月1日で「50周年」を迎える彼女には、本当に元気でカムバックして欲しい。発表された治療から脳腫瘍かと思いますが、以前には乳がんも。誰だって年齢を重ねると、身体にいろいろと出て来ても仕方がありません。1日も早いご回復を多くのファンが望んでいると思います。

僕は1974年11月1日に彼女が「雨だれ」でデビューして以来のファン。シングル、LPを全て買いましたが、もらったポスターを部屋には貼れない学生でした。あの年代、それを親に見られるのが恥ずかしかったからです。

レコードは買って聴くものの、昔は彼女のGOODS等そんなになく、「平凡」「明星」を買っているクラスの女子から切り抜きをもらいました。

これがその当時の物で、下敷きに入れていました。みんながそういうことをしていたので出来たものの、今考えると恥ずかしくなります。

初めてコンサートに行ったのは、1978年12月23日 「太田裕美・まごころこんさあとⅦ」で、会場は大阪厚生年金会館。次いで、

1980.12.22 太田裕美 まごころこんさあとⅨ 毎日ホール

1981.12.15 太田裕美 まごころこんさあとⅩ 毎日ホール 2500円

彼女は1982年音楽活動を休止して留学。1985年に結婚。その後は僕もレコードからCDに買い替えて時々聞く程度になりましたが、1996年より音楽活動を再開してからは、僕も社会人でしたのでお金に余裕もあり、仕事の合間にコンサートを楽しみました。

1999.6.4 太田裕美 25周年ライブ 新大阪メルパルクホール 5000円

1999.11.6 太田裕美 バナナホール 4000円

2000.6.12 太田裕美 弾き語りNIGHT 博品館劇場 5500円

2000.6.13太田裕美 弾き語りNIGHT 博品館劇場 5500円

2001.11.18 太田裕美 雨女の逆襲 IMPホール 5000円

2010.10.30 なごみーず 懐かしの学園祭 神田共立講堂 4200円

2010.12.17 なごみーず 三田市総合文化センター 4750円

2013.12.23 なごみーず 浄るりシアターin能勢 4500円

2014.1.11 太田裕美 まごころ歌い初め 神戸朝日ホール 5000円

2015.1.18 太田裕美 まごころ倍返し サンケイホールブリーゼ 5400円

2016.5.22 太田裕美 コンサート2016 ロームシアター京都 5400円

2016.9.22 君と歩いた青春 伊勢正三/イルカ/太田裕美/尾崎亜美/杉田二郎/ スペシャルゲスト:小椋佳/姫野達也/押尾コータロー  大阪城ホール 6500円

2017.4.29 太田裕美 コンサート2017 ロームシアター京都 6000円

2018.7.28 太田裕美 コンサート2018 京都劇場 5400円

主だったすぐに調べられるコンサート履歴だけでも、こんなにチケットの半券が出て来ました。(笑)ボイスアンドリズムの佐藤オバケ氏からコンサートの案内が来るたびに足を運んでいました。行くたびに自分も含めて年齢層が上がって行く観客。いつまでも変わらぬ良心的なお値段。いつも楽しいコンサートでした。特に2004年からは、太田、元かぐや姫の伊勢正三、元ガロの大野真澄の3人で、音楽ユニット「なごみーず」を組み「アコースティック・ナイト」コンサートを開催したのは白眉でした。

懐かしの学園祭 in 神田共立講堂。ナビゲーターにジ・アルフィーの坂崎幸之助を迎えたこの日は、特に楽しかった。

コンサート当日の2010年10月30日は台風まっただ中。公演開始が17時というのも珍しい。「雨女」太田裕美の本領発揮というか、「雨男」伊勢正三の本領発揮なのか、台風を呼ぶのはやり過ぎ。(笑)

会場に着く手前で撮った写真ですが、雨風が強く歩くのも撮影するのも傘が邪魔して一苦労でした。

神田共立講堂は僕にとっては初めての伝説の会場。ここで「ガロ」の解散コンサートが76年3月20日、「かぐや姫」が75年4月12日に行われており、この日の公演が「なごみーず」の解散コンサートになりませんように(笑)正やんもこの日「ここへくると解散したくなる神田共立。なごみーず159回目。いまどき夫婦でも6年もつのは大変」と、最初に挨拶していました。

雨の中大勢のファンが駆け付けました。年齢層、いつもの太田裕美のコンサートよりも更に高い。

01 地球はメリーゴーランド

02 海岸通

03 さらばシベリア鉄道

04 あなただけを

05 あの頃のまま

06 ワンパイントのラム酒に乾杯

07 青春のしおり

08 雨だれ

09 初恋

10 君と歩いた青春

11 雨の物語

12 青い夏

13 なごり雪

14 加茂の流れ

15 ロマンス

16 9月の雨

17 22才の別れ

18 木綿のハンカチーフ

ENC 01 学生街の喫茶店

ENC 02 ささやかなこの人生

ENC 03 ママはフォークシンガーだった

コンサートの最初に太田裕美が「台風の中ありがとうございます。東海道線は止まっているとのニュースが入ってて。誰もいないんじゃないかと。こんなに皆さんいらしてくれてありがとう。もしかしたらやってる間が一番凄いのかもしれないけど、終わったら・・なんか星空とか出てほしいですね~。無謀な注文かしら」と話していましたが、コンサート終了後は見事に雨は止んでいました。


今も昔と変わらない “珍しい踏切”

2024-05-24 | 昭和・懐かしい北摂の風景

北大阪の阪急電車は、昭和50年代(1970年代)という早い時期から、踏切渋滞の解消や事故防止の為、線路の高架化工事には結構取り組んで来ました。「この踏切で、いつも長い間待たされたな~」と記憶に残る場所、ほとんどが今は高架化されて踏切が無くなっています。もしくは80~90年代と比べて自動車の交通量が減少したため、昔ほど渋滞が起きません。

今は踏切で車が混むというより、駅構内の人身事故で乗客が運転再開を待たされる時代になりました。どんな理由があるにせよ、他人に迷惑を掛ける行為は絶対に止めてもらいたいものです。

ここは昭和55年(1980年)の吹田市寿町1丁目、やなぎ遊園南端付近の踏切です。

この場所は現在もほとんど変わっていません。線路右側の建物は、当時の建物が今も残っています。ただその手前の空き地だった部分は、土地の有効活用なのかマンションやアパートになっています。無駄な空き地は、交通の便の良い場所では今はほとんど見かけません。

交通標識や消火栓の標識も、おそらく昔のものがそのまま今も使われていると思います。さすがに色落ちしているし、歪みも見えます。

建物は替わっても左端に写る新聞販売店は、上の写真から40数年経った今も残っています。しかし「看板」はかなり小さなものに替わりました。新聞配達というシステムが、そもそもいつまで残るのでしょうか。かなりの数の配達所が今では消えていますし、通勤電車の中で駅売りの新聞を買って読んでいる人も、今ではほとんど見掛けません。