昭和の終わりから平成にかけて、言い換えると1980年代後半からのバブル期には、住宅開発がどんどん進みました。高度経済成長期には、小さくても郊外でもローンを組んで家を買い、その家を売って更に資産価値のある家に買い替えて行くのが、サラリーマンの常とう手段でした。毎月の家賃を払う生活は、いくら払っても何も残らない。でも、毎月住宅ローンを払うのは、家が残る。それで僕の世代は、「結婚は?」~「子供はまだ?」~「家は買わないの?」と言われるのが当たり前でした。
ところが今では資産価値がある家を持つなら、大都市圏のみ。それ以外の家は極論「消耗品」であり、戸建ての値段も安くなり、全国あちらこちらで空き家が問題になるほどです。昔はとても買えなかった場所の家が、今なら普通に手が届く価格になっていて驚きます。
ここは大阪の北の果て。国道173号線の能勢町の入り口で、昭和59年(1984年)の景色です。173号線は池田市を通る部分は大阪府ですが、その後兵庫県川西市~兵庫県・猪名川町を通り、もう1度大阪府・能勢町に戻る国道です。この当時、兵庫県猪名川町から能勢町下田へは、能勢第1トンネルを通り、一庫大路次川に沿って行きました。後に写真正面の山に能勢第2トンネルが開通することになり、交通の便が良くなり、この山の左側も宅地に造成されて行きました。
先ほどの写真で正面にブルドーザーが写っていますが、その背後がちょうどこの写真のトンネル部分になります。ここに能勢第2トンネルが昭和61年(1986年)9月に貫通。能勢への道が一気に開け、この辺りの戸建てが3,000万円少しで売り出されます。
1枚目、2枚目と同じ場所の平成15年(2003年)の写真です。約250戸の住宅が立ち並んでいます。この能勢第2トンネルにより、それまで迂回していた下田を通過せずに尾根向こうにまで抜けることが出来るようになりました。写っていない写真左側には、中央に「セルベーヌ」という看板がありますが、ラブホテルまで出来ていました。
この町が、将来「消滅の可能性」がある自治体として、先日発表されました。該当するのは20~30代女性の減少率が80%を超える自治体です。
番組で紹介された電動歯ブラシは即完売。今からの予約で10月下旬の発送予定ですので、アマゾンで買うことが出来る手動ハブラシで、その恐るべき効果をご確認下さい。百聞は一見に如かずです。
円安が止まらない。マスコミは円安のメリット・・輸出が伸びる等と書いていますが、為替レートによって値段が安くなるからと言って、輸出品がそんなに伸びるのか?それほど魅力的な輸出品が数多くあるのか?そんなことよりも、我々一般人にとっては、何でもかんでも値上がりで、生活が脅かされる方が大きい。何十年も前に比べて給料も上がらないし、生活は苦しくなる一方です。
単純に円が安くなるということは、日本と言う国に対する諸外国からの評価が下がっているということ。更に言えば、日本の将来に明るさが見えないということです。それを現在のように放置していては、数年先には数年前に、我々日本人が後進国・発展途上国と呼んだ国々の方が豊かになる。そして苦し紛れに外国人労働力を求めた日本には、外国人スラムが出来、外国人犯罪が横行するようになってしまう。日本人は今が未来への最大の正念場であると分かっている人もいるだろうけれど、この流れを変える人間が皆無です。
写真は昭和62年(1987年)11月の大阪国際空港のロビーの様子です。円高メリットを満喫しようと海外へ出かける旅行者で賑わっていました。インバウンドで騒がしい空港ロビーとは様子が全く違いました。
昭和62年と言えば、景気が急速に好転し、いわゆるバブル景気が始まった時です。この年の日本人の出国者は前年比約131万人増の約683万人でした。
僕が若い時は1ドル360円から、250円、200円を切る円高時代となり、海外のいろいろな商品がどんどん安くなり、ガソリン代も下がり続け、生活が豊かになり続けました。円高によって生活が豊かになることをまさに実感しました。ここ数年、海外の品物が高く感じ、遂に円安が急激に進み始め、もう止まりそうにありません。何もかもが転がり落ちて行くようです。その証拠にお金の無い若者だけが結婚できなくなり、少子高齢化が進む。年収の良い20代の若者のほとんどは、僕が若かった時代と同じように結婚もしているし、恋愛が面倒などと言っていない事実をきちんと取り上げるべきです。
マスコミが創作する世の中の風景。もういい加減そういうものを見破るべきです。
大阪府下のいろんな町のいろんな商店街が、少しづつ寂しげな風景になって行くものの、ここ「天神橋筋商店街」は、時代と共に変化を遂げながらも、今もなお賑わっています。
昔から「十丁目筋」と呼ばれて親しまれてきた天神橋筋。この写真はその、昭和38年の「天神橋筋4丁目」付近の賑わいです。
北野天満宮の門前あるいは大川沿いの天満市場として発展した南側と、鉄道ターミナルとして発展した北側とでは装いが異なります。
昭和30年代まで、いわゆる「首つり」と呼ばれる男物の既製服が主としてここでは扱われていました。
今の若い人は知らないかもしれませんが、僕などは今でも「首つり」という言葉を使います。①既製洋服のこと。吊り下げてある様からこう呼ぶ。②店頭に吊るしてある古着のことも、こう呼びます。首つり~縊死(いし)のようにぶら下がっている様子を形容し、こう呼ぶようになりました。