青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

日本最北端への旅 (3) ~宿なし野宿の旅

2021-11-16 | 地球を歩く

前回紹介のエピソード・強風の中、飯盒で夕食を済ました夜の写真です。駅の待合で眠ればいいと安易に考えていると、駅の待合は夜は締め出し!駅の待合は解放されていませんでした。そんなのは田舎の無人駅か、映画の中だけのお話だったのです。

全国から日食を見る度に天文マニアが大集合していたので、宿はどこも満員!仕方が無いので、稚内の商店街のお店のシャッター前で寝ることにしました。

僕はそのまま商店街の地面にゴロ寝。若かったからか、背中もそんなに痛くならなかったし、グッスリ眠れました。思ったよりも7月末なのに寒かったのが計算外で、ウインドブレーカーを着て寝ています。風邪をひかなかったのが幸い。

そんな惨めな僕の姿を、夜中に親友Iがご親切にも撮影してくれたのがこの1枚。いや、実はこれヤラセで、実際にこうやって寝たんだという光景を残すために写してもらったものです。友人は登山に行くのかというほどの荷物を持参していただけに(飯盒の道具なども含む)、寝袋持参で快適に眠っていました。(笑)写真にその寝袋が、抜け殻のように写っています。

明日の朝のために、パンと飲み物を買い、枕にしているバッグの中にしまい込んでいました。

翌朝、どうもガサガサという騒々しさに起こされ、頭の上を見ると、野犬がそのパンを僕の枕(鞄)から引っ張り出し食べているのです!驚くやら腹が立つやらで、おもむろに起き上がって蹴りを叩きこみました。キャンキャンと逃げて行きましたが、僕の朝食は・・・その騒ぎに、「どうしたん?」とのんびり目を覚ましたのが友人でした。(笑)

この後、礼文島に行く予定だったので、空きっ腹を抱えてフェリー乗り場を目指し、そこで弁当は値段が高かったので、ゆで卵とパンを買って食べたことを覚えています。楽しいながらも貧乏倹約旅行でした。

そう言えば知床で野宿をした時は、起きたらすぐ目の前に「クマ注意!」の看板があった・・・そんなこともありました。事故が無くて良かった。


日本最北端への旅 (2) ~真夏の稚内は寒かった

2021-11-15 | 地球を歩く

1981年7月29日、僕と親友Iは北海道に日食を見に行きましたが、行きの「特急白鳥」の乗車時間はとても長かった!写真のように日本海に夕日が沈もうという頃には、日本海も見飽きて眠くて仕方がありませんでした。

この写真が貴重なのは、①特急白鳥の車内が写っている事。②僕が前に置いているラジカセが、サンヨーのU4の仲間なのですが、この旅行に持参するために買ったものだったので、それが懐かしい!

実は旅行中、NHK-FMで、この年に僕が観に行った、ロッド・スチュワートとジョン・デンバーのライブがそれぞれ90分枠で放送されることになっており、それをどうしても録音したかった。この機器はクロームテープにも対応していた!

もう1つ。旅行期間中に、この2年前に猪木を欧州で判定で下した、幻の強豪ローラン・ボックの初来日の試合が生放送される。どこかの食堂で観るつもりでしたが、もしそれが無理な時のために、このラジカセを持参した。そう、テレビの音声が受信できるものだったのです。

以上の目的の為にわざわざ購入し、荷物になるのに北海道まで持参。音楽やプロレスを旅行にまで持ち込むほど、熱中していたと言うか・・・(笑)で、FMはどちらも録音に成功したものの、プロレスはアウト!そう、北海道では大阪より2週間遅れの放送だったのです。全国何局を結んで放送しています・・・と言っても、放送内容は同じではないことを学びました。(笑)

この旅行はお金が無かったので、基本旅館等には宿泊せず、夜は野宿もしくは移動の車中で迎えました。北の大地で迎える最初の夜の最初の食事は、飯盒で炊いたご飯と缶詰。僕はそれまでに飯盒炊爨の経験が無かったので楽しみでした。



稚内のどこか山の上の公園のような所で夕食にしたのですが、ものすごい強風で、固形燃料の火が流れてしまい、炊飯に必要な火力を得ることが出来ませんでした。公園の側溝のような所を利用したのですが、それでも不十分。おまけに飢えた僕が早くと急かすものだから、「リゾット」(笑)になりました。

それでも初めての飯盒に感激したことは、忘れられません。飯盒の道具も固形燃料も、全部初めて目にするモノばかりでした!7月30日でしたが、結構寒かった・・・。


日本最北端への旅 ~特急白鳥・青函連絡船

2021-11-08 | 地球を歩く

小説「特急白鳥十四時間」を読んだことで、屋根裏を探すと・・出て来ました。

昭和56年(1981年)の暑い夏に大阪を離れ、北海道に行った時の記念品が。

これが「特急白鳥」に乗った時の切符です。

親友Iが皆既日食を見に行かないか?と誘ってくれたのが、1981年の夏。7月29日、僕の誕生日の翌日に、大阪駅から特急白鳥で青森へ、そして青函連絡船を経て、稚内に到着したのは翌30日の夕方!その間ずっと列車の旅・・今なら絶対に身体がもちません(笑)飛行機で数時間で行ける場所に、お金が無い学生の身であった為、何十時間も列車の固いシートに座っていました。

しかし、「白鳥」も「青函連絡船」も、数多くの映画や小説の舞台になりましたが、今は知らない人がどれだけいるでしょう。今から思えば、素晴らしい青春時代の思い出です。

宗谷岬・日本最北端の地に辿り着き、多くの天文マニアが集結しているのを見た時は驚きました。

残念ながら日食は、雲が多くて今一つでしたが、この前年1980年の夏休みに、友人達と北千里公園で生まれて初めて天体望遠鏡を覗いたこと、茨木の山中でのペルセウス座流星群観測で、嫌というほどの流れ星や火球を観た事に続く、天文観測イベントは大切な思い出です。


悪夢のガンガー!世界観が変わる!

2021-10-30 | 地球を歩く

日本人が考える、最もインドらしい場所・風景と言えば、それは「バナーラス」です。インドの人にとって、バナーラスで焼かれ、遺灰をガンジス河に流してもらうことは夢・・そう現地で何度も聞きました。

ただ、ここも汚く(日本人の感覚では)、道の真ん中には野良牛が寝そべり、至る所に牛の糞が落ちています。子供の頃、道端で犬の糞を踏むことが時々ありましたが、そのことを思い出すほどでした。街の安いホテルに泊まると、シラミに襲われます。(本当!)

ガンガー(ガンジス河)の日の出見物は、バナーラスの最大の観光ポイントで、早朝から大勢の観光客がボートをチャーターして河に繰り出しますが、僕はその光景に「三国志~赤壁の戦い」を想像してしまいました。

おびただしい数の人々が、日の出と共に沐浴をします。水を浴びるのは人間だけではなく、牛も含まれます。ところが・・

河沿いには火葬場もあります。因みにインドでは、火葬場には親族であっても女性は立ち会えません。バナーラスで焼かれ、遺灰をガンジス河に流してもらうことは夢と言われるだけあって、インド中から遺体が運ばれて来て、そこでは1日中火葬の煙が絶えません。その遺体ですが、焼く前に河に人の手で運ばれてきて、ガンガーの水に浸します。

更に、そこで荼毘に付されるのは限られた人です。ヒンドゥー教徒でなければ駄目。ヒンドゥー教から離れた人も駄目。子供は人生経験が無いという理由から駄目。妊婦も駄目。毒蛇に噛まれて死んだ人は駄目と、いろんな人の火葬が許されていません。

火葬が認められないヒンドゥー教徒ですが、ヒンドゥー教は墓を持ちませんので、そういう人々はサリー等に包んでガンガーに沈めます。この街で異常に安いサリーが売っていたら、それは死体をくるんでいたものだと言います。

ガンガーの臭い、人を焼く時の独特の臭いが、写真では分かりませんが漂います。

生きている人、牛、遺灰、布に包まれた遺体が同時にガンガーの水を使い、それを旅行客が観る。何とも言えない世界観にバナーラスでは包まれます。勿論、この河では洗い物もしますし、排泄物も流されます。

海外の景色、例えそこが世界遺産の地であろうが、どれだけ美しい風景であろうと、写真で見ただけでは何も分かりません。聞こえて来る音、漂う臭い、五感を使って感じた何かはそこに行った人にだけ、大切な何かを教えてくれます。


衝撃のチャイ!~ベンガルールの街で

2021-10-12 | 地球を歩く

インドでは牛は神聖な動物であり、そのため野良牛が街中にもいる・・・と、前に書きましたが、インドで牛のステーキを食べさせるお店は勿論あります。僕がインドの「ベンガルール」に行った時、この都市はIT企業のハブ都市として有名で、当時インドではムンバイ、デリーに次ぐ人気第三位の都市でした。

そこではサリーやパンジャビードレスを着た女性も少なく、シネコン付きのショッピングモールもあり、キリスト教徒などが多く来るレストランでは、ワインもステーキも出されていました。結構、隠れてステーキを食べているインド人もいると聞きました。宗教上の制約は、もっと強いものだと思っていたので、これには驚きましたが、もっと僕が驚いたのは・・・

街でチャイを飲んだ時のことです。焼き物のカップに入れて外で売られているのですが・・・

飲み干した後は、地面に投げつけてカップを割り、捨てます。だから道端はゴミだらけです。

なぜ割るのか?1つはそういうゴミを掃除するカーストが存在するから。もう1つは、その器を作っている人の生活が成り立っているからです。壊すから、また需要がある。こういうバランスを、インドのいろんな場面で目にすることが出来ます。

ただし、テレビや映画で見るのとは違い、実際のインドの街は汚い。インドから持ち帰った写真などで汚い町の光景を見ても、あまり気に留めない人が多いのですが、どれだけ汚いかは行けば分かります。そう、耐えられない臭い、悪臭が現地には漂っています。行かないと分からないもの・・臭い。世界に出て行くと、耐えられない臭いに出会うことは日常茶飯事です。