僕が普段使う鉄道は、阪急電車・宝塚線と神戸線。京都線は普段は使うことが今はありません。考えてみると、阪急電車の駅は、全ての駅で降りたことがあります。物心ついた時から現在に至るまで、ず~っと阪急に乗っていろんな駅を見て来ましたが、今も昔の雰囲気を少なからず持っている駅もありますが、ほとんどの駅が昔とは様変わりしていて、昔の片りんもありません。
これは昭和47年(1972年)の阪急宝塚線・池田駅のホーム北東側の北改札。線路の向かい側に南改札がありました。2年後の下の写真と比べると、駅名の看板が掛かる建物と、その左側の建物をつなぐ庇(ひさし)がまだありません。
こちらは昭和49年(1974年)の池田駅。左奥に駅舎、右下隅は池田駅前交差点。このロータリーはタクシーや乗用車向けのものでした。右の道路上にはバスのりばと書かれています。懐かしいのは写真中央下部の看板です。
この写真ならお分かりだと思います。阪急池田テニスコート、ゴルフ練習場の看板がハッキリと写っています。駅から歩いて5分ほどの場所に、テニスコートが数面あり、その奥には150ヤードある大きなゴルフ練習場があったのです。学生時代、何度も通いました。現在は大きなマンションになっています。この写真はちなみに昭和54年(1979年)。1枚目と比べても、駅前の国道176号線はかなり綺麗に整備されましたが、駅自体は大きく変わっていません。
この池田駅が、昭和62年(1987年)の駅舎と駅前の再開発によって大きく変わりました。写真は高架化間もない昭和62年の池田駅。撮影角度は違いますが、白黒写真と同じ場所です。ロータリーの向こうにステーションNビルが建っています。広場の時計塔は今もありますが、そこには今と違って赤い電話ボックスが並んでいました。この再開発には確か5年ほどの時間が掛かったと記憶しています。
この当時は繁栄を極めた池田駅。駅ビルにはブランマルシェというショッピング街が出来ましたが、今は半数以上が空き店舗となって閑古鳥が鳴いています。
こちらは現在とほとんど変わらない平成16年(2004年)の池田駅。1970年代から2000年代まで約30年の池田駅の変遷を、写真4枚で簡単にご覧頂きましたが、今の日本の状況が集約されているように思えます。大阪のベッドタウンとして人が増え、不動産が高騰し、駅前が栄えて駅前を再開発する。しかしその後、少子高齢化が進み、駅前産業がガタガタになって空き店舗が増え、商店街はシャッター街化する。人も減り、駅の建物だけが墓標のようにそびえ立つ・・・。
池田、蛍池、豊中、岡町、茨木、高槻・・・大きな駅前再開発をした駅ほど、無残に昔ながらの賑わいが消え去った。逆に、石橋(石橋阪大前)、服部(服部天神)駅、庄内駅、十三駅、淡路駅のように駅前再開発を行わなかった駅ほど、生きながらえているような気がします。開発して成功したのは曽根駅だけ?・・のように個人的には思います。
駅と駅前再開発によって、逆に現在はお店が姿を消し、ちょっとした買い物をするには大阪梅田まで出ないといけない。また出たとしても、なかなか欲しいものを手に取って見ることが難しく、買い物はネットでする・・・楽しい買い物が出来るのは、高級ブランド店だけ?という現在の世の中、僕は好きになれません。商品知識もコミュニケーション力もある店員さんと言葉を交わしながら、手に取って商品を見て、楽しく買い物をする。そんな昭和が無性に懐かしく思います。お金はあっても、買い物にときめく・・そんな機会が激減しました。