青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

1979年大晦日~1980年お正月3が日のテレビ番組!

2024-12-31 | 昭和・思い出は色褪せない

年末年始、どんなTV番組があるのかチェックすると・・・本当に華やかさがありません。YouTubeに人気を奪われるのも当たり前と言いたくなるほど、観るものがない!今や時代が変わってしまったな~と思います。

有料放送を購入しようが、サブスクで放送契約しようが、お金を使っても今のTVやネットで観れる番組は、昔のTVに勝てない。昔と言ってもバブル期の以前でも、お金を掛けて、TVは楽しい番組を作っていたんだと痛感します。

ここに、「1979年大晦日~1980年お正月3が日」のテレビ番組を掲載しますが、本当に華やかです。洋画と言えば、今はブルーレイが1,200円ほどで買える所まで値段が下がって来たので、一般の人から昔のTV放送時の洋画の録画を公募し、そこから日本語吹替を抽出して、その日本語吹替を収録した洋画ブルーレイを、1作品5,000円で再発売するのが主流になっています。それほどまでに現在は懐かしいコンテンツが商売になっているのですが、ここに掲載されている映画は、全部吹替です。まるで宝の山です!

■1979年12月31日(大晦日)

大晦日と言えば、「レコード大賞」から「紅白」へという生放送のリレーが名物でした。夜7時から11時45分まで家族で歌番組を囲み、そして全放送局が「ゆく年くる年」を放送する。新年への時間の流れを、誰もが共有したものです。良いか悪いかは別として、この大晦日の鉄板番組があったから、その1年を代表するヒット曲を多くの日本国民が知り、結果、あの時はこんな歌が流行ったというように、時代を代表するヒット曲が存在しました。今は、あらゆる年代の人々が知っているヒット曲は、消え去ってしまったと言えるでしょう。

引退する山口百恵の特番が、2局2番組あるのもすごい。映画では名作「パットン大戦車軍団」が3時間を超える枠でゴールデンで放送され、裏では「ゴジラ」と「君の名は」。深夜にはちょっとお年を召した方向きの映画が並んでいます。令和6年・2024年の今夜のTV番組と比較してみて下さい。現在が「家族団らんの時代」から、本当につまらない「個の時代」に移り変わったことを感じます。

■1980年1月1日(元日)

年が明けての元旦の午後は、青木VSバレステロスのゴルフ特番!いわゆる人気芸能人によるお正月番組も、各放送局で目白押し。NHKでは「刑事コロンボ」が。夜に入ると、今とは違い大人気だったプロ野球選手による運動会。番組欄を見て分かるように若手選手によるものではなく、トップクラスの江夏、江川、小林、星野、王、山本浩二、田淵らが勢揃い。

裏では恒例「新春スターかくし芸大会」と劇場映画の「水戸黄門」。そしてタイガーマスクはまだ世に出ていないにも関わらず、ここから全盛期を迎えるプロレス放送が、その夜明け前を告げています。

9時には映画「格闘技世界一・四角いジャングル」、三枝の爆笑美女対談では倍賞美津子とアントニオ猪木夫妻が。アントニオ猪木は7時半から11時までの間に3番組に登場しています。

深夜の西部劇「大いなる男たち」と名作「砲艦サンパブロ」は、どちらも現在までに日本語吹替を収録したDVDは発売されていません。

■1980年1月2日

ここからはほとんどの芸能人が、正月休みをハワイで送っていることや、TV局関係者も正月休みを取っているので、映画やドラマの放送が多くなります。

特筆すべきは、当時は年末年始に大型時代劇と言われる番組が毎年放送されていましたが、この年は「それからの武蔵」。一連の東映映画「宮本武蔵」シリーズで武蔵を演じた萬屋錦之助が、巌流島の決闘以後、五輪書を書いて亡くなるまでの武蔵を演じました。これが2夜連続放送でした。

裏にはTV初放送の「戦国自衛隊」、「必殺仕事人」の特別編、ドラマ「関ケ原」が並び、激しい視聴率争いを繰り広げています。

夕方4時の王、青木、具志堅の3者の対談も凄い顔ぶれです。この3人、当時は芸能人ではなく、大物スポーツ選手です!

■1980年1月3日

2時過ぎのクイズ番組には西城秀樹と河合奈保子が揃い踏み。その後ろではサザンオールスターズと、もんた&ブラザースが1時間の競演。

ゴールデンタイムには通常の人気番組と特番が争っています。夜中にはさだまさしのコンサートをNHKが。青木功、トム・ワトソン、セベ・バレステロス、ヒューバート・グリーンのメジャー王者らによるゴルフ・マッチプレー特番は今でも、もう1度観たい。

その裏の映画「チャイナタウン」の吹替は、映画ファンには垂涎の的に違いありません。これもソフトには吹替が収録されたことがありません!

広いジャンルに渡って、大人から子供までもが楽しめる番組が揃っていて、ビデオデッキも普及していないこの時代、誰もがどの番組を観ようかと頭をひねって考えたものです。全部は観れないのだから!チェンネルを争っての、親子喧嘩も普通の風景。そうやって、一家に一台ではなく、テレビは一人一台の時代に向かって行きました。

1年間、お読みいただき本当にありがとうございました。来年が皆様にとって素晴らしい1年でありますように。良いお年をお迎え下さい。


紹介されたお店が可哀想 ~最低のフードライター!

2024-12-28 | 日記
ちょっとした知り合いの中華レストラン、神戸の「マンダリンコート」が、関西テレビの「よ~いドン!」で紹介されました‼ が・・・・
 
 
この番組内のグルメコーナー、今回ばかりではなく制作サイドがヘボです‼ こんな内容でTVで放送されたら、評判を落とすだけです。昔ながらの慣習で、放送されるまで内容をチェック出来ないし、しないから、こういうことが起きます。
 
問題は最後に出るお薦めメニューの映像。
 
 
中心に置かれているのが、どうでもいいサラダ😱
 
メインのエビは大きいのが3尾もあるのに、その数さえ把握出来ないし、飲茶も半分見えない‼ サラダとお粥だけが目を引き、これで食べに行こうと思う人が一体どこにいるのか⁉️
 
こういう映像を流して、何が「フードライター」なのか。最近のマスメディアは、本当にレベルが低くなったと思います。毎回こんな調子で放送しているのに、こういうことに気が付かないのかな・・・。
 
ここのランチは本当に美味しい。お店の名誉のために言っておきます‼
 

年末の冷たい空気・・でも澄んでいますね!

2024-12-27 | ぶらり散歩
阪急宝塚線の車窓から眺める、年末27日の六甲山系。
 
 
空気が冷たく硬い。風も強くて寒い。
 
今年は年末年始のお休みが長く、ゆっくり出来る人も多いのでは?
 
 
西宮北口駅のホームの柵も、向こう側だけではなく、手前も完成間近です。
 
年末年始で、ゆっくり休日を過ごす人々の足が邪魔されないように、早く稼働して欲しい。
 
日本の1年間の自殺者は、遺書等が残っていない人も含めれば3万人を超えます。ベトナム戦争における10年間の戦死者数は6万人。日露戦争での日本の戦死者数は4万6000人ですから、日本の社会が如何に病んでいるか!しかしながら、命を絶つのに電車に飛び込むのは止めて欲しい。本当に迷惑だからです。
 

駅の “ホーム柵” で遅延は減るか?

2024-12-17 | ぶらり散歩
阪急神戸線・西宮北口駅のホームにて。
 
 
阪急電車の主要な駅のホームに、“ホーム柵”が設置されて行きます。阪急電車では全駅にホーム柵を設置すると共に、全駅のバリアフリー化を目指しています。安全対策は必要だと思います。
 
その為に阪急電車は、現在「鉄道駅バリアフリー料金制度」を活用し、現行運賃に同料金を加算して収受していますが、これは別に良いことだと僕は考えています。
 
でも、人身事故は高架になっていない区間の踏切でほとんどが起きています。駅のホームではありません。しかも、その大部分が自殺です。だからホームに柵を増設中であっても、電車の運行STOPや遅延は日常茶飯事となっています。
 
変えるべきは駅ではなく、社会なんでしょうね。特に人のメンタルは、「ゆとり教育」だとか「少数派の権利」だと言う時代になってから、益々弱くなり続けていると感じます。

 


忠臣蔵 ~元禄・赤穂事件の史跡を巡る!

2024-12-14 | ぶらり散歩

今の若い人たちには話題にもされていないよう、いや、今の若い世代はもう「忠臣蔵」を知らないのかもしれません。年末12月ともなれば、映画や時代劇スペシャルが放送されていたものですが、2000年を超えてからは、そういう放送枠も取られなくなりましたから。

今日12月14日は、赤穂浪士の討ち入りの日です。

余りにもそこへの言及が無いことに、何とも世の中から余裕が消えていると感じます。

元禄14年3月14日(1701年4月21日)に江戸城中で赤穂藩藩主の浅野内匠頭長矩が、高家旗本の吉良上野介義央に対して遺恨有りとして殿中刃傷に及ぶも、討ち漏らして切腹処分となりました。その後、浅野の遺臣である大石内蔵助良雄以下赤穂浪士47士が翌15年12月14日(1703年1月30日)に吉良屋敷に討ち入り、主君に代わって吉良上野介を討ち果たし、その首を泉岳寺の主君の墓前に捧げたのち、幕命により切腹しました。これが元禄赤穂事件ですが、ドラマや映画ではいろいろな脚色がなされています。

浅野内匠頭長矩が、江戸城松之大廊下(まつのおおろうか)で吉良上野介義央を斬りつけましたが、時代劇では襖絵に巨大な松が描かれている作品が多い。でも、数年前に実際の襖絵の資料が発見され、松之大廊下は松並木が続いたものであることが分かりました。でも、その絵に変わった忠臣蔵のドラマや映画は1本しか作られていません。2008年の今日放送された田村正和主演の「忠臣蔵・音無しの剣」では、松並木になっていました!現在、皇居東御苑内の松之大廊下があった場所には、その所在を示す碑が建てられています。

また討ち入りの時に雪が降っていたというのは『仮名手本忠臣蔵』での脚色であり、実際は冷え込みが厳しかったが満月のほぼ快晴だったと言われています。

僕も昔は京都で史跡巡りをしたり、東京や函館まで足を延ばして新選組関連の史跡を訪ねましたが、関東に出た時には、赤穂浪士の史跡を見ておかなくては!と思い、47士の足跡を訪ねました。

ここは東京墨田区の本所松坂町公園。ここが何と忠臣蔵の討ち入りの「現場」である、吉良上野介邸の跡地です。

赤穂浪士を語るなら行かなくてはならないのが、東京都港区高輪二丁目にある曹洞宗の寺院で江戸三箇寺の1つ、泉岳寺(せんがくじ)。浅野内匠頭と赤穂浪士が葬られているお寺がここです!駅からわずか徒歩1分の場所にありました。現在も多くの参拝客が訪れますし、毎年12月13日、12月14日には義士祭が催されます。ところがこのお寺は、義士の討ち入り後、当時の住職が義士の所持品を売り払って収益を得たことに世間の批判が集まり、あわててこれらの品を買い戻しに走ったというエピソードがあります。実話です。

境内に入って行くと、大石内蔵助の銅像が出迎えてくれます。(しかし関東は銅像が好きだな・・・と思うのは私だけでしょうか。いろんな所で銅像を見ます。)

そしてこの寺の敷地内には義士を祭る場所や、何やら「いわく」のある場所がありました。まずはここ。

浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと言われている梅の木と石です。

「首洗井戸」!吉良上野介の首級をこの井戸で洗い、浅野内匠頭の墓前に供え報告したところから、この名がついた井戸です。さすがにこういうものを見るのは不気味です。

ここからが赤穂の義士の眠る場所になりますが、きちんとどれが誰のお墓であるかが分かるように、見取り図もあります。

浅野内匠頭のお墓も、彼の家来達と共に眠っています。辞世の句は「風さそふ花よりも猶我はまた春の名残をいかにとか(や)せん」。

こちらは討ち入りの指導者である、大石内蔵助良雄のお墓。辞世の句は「あら楽や思ひは晴るゝ身は捨つる浮世の月にかゝる雲なし」です。

ちなみに当日、吉良を討った義士達が、吉良邸から泉岳寺まで歩いたコースを辿って見ると、約12キロ、歩いて3時間ほど掛かりました。途中、いろいろ見学しながらでしたが・・。2~3時間にも及ぶ討ち入りの後の、この勝利の凱旋12キロは、義士の胸に何を去来させたかは僕には分かりませんが、今の若者にはこの討ち入り~行軍は、結構タフなものになるのは間違いないでしょう。