青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

テレビで洋画を観た時代!

2019-06-28 | 青春・名画劇場

昔は夜中やお昼2時ごろ、多くの映画がテレビで放送されていました。また、テレビ局員の多くに休みを与える為に、クリスマス頃から仕事始めくらいまでは、昼も夜も夜中も、各局映画を放送していました。年末になると必ず放送される名作もありました。ここぞとばかりに、僕もビデオ録画をするために、莫大な(笑)ビデオ・テープ代が必要になるし、ビデオデッキは休むことも無く動いていました。

今とは違い作品自体、中身も濃い作品が多かったし、レンタルビデオもレンタルDVDも無い70年代~80年代初頭は、テレビで観るか名画座を訪ねるしか、映画を楽しむことが出来ず、いづれにしても先方任せ、こちらが観たいものを観たい時に楽しむことは出来ませんでした。

●月曜ロードショー 荻昌弘(1969~1987)
●水曜ロードショー 水野晴郎 (1972~1985)
●ゴールデン洋画劇場 高島忠夫 (1971~2001)
●日曜洋画劇場 淀川長治 (1967~2013)

だからこそ、観たい作品に触れた時のことをよく覚えています。そして、そういう映画を僕らに紹介してくれた、映画評論家の役目も大きかった!今はもう皆さん亡くなられてしまいました。

試写会で淀川さんを見かけた時は、本当に真剣にご覧になられていました。おすぎとピーコは途中で退席していたし、小森のおばちゃまは爆睡していたのに、後日映画評をきちんと載せられてました。(笑)今はもう昔のことですね・・・。


阪急電車・宝塚線 ラッピング・カー

2019-06-21 | ぶらり散歩

手塚治虫3部作の最終回です。

宝塚駅下車の「手塚治虫記念館」には、大人(初老)の僕が大好きな作品「アドルフに告ぐ」の生原稿も飾られています。

阪急宝塚駅・岡町駅の「手塚治虫・生誕資料館」から、宝塚駅の「手塚治虫記念館」に行くには、ぜひ、宝塚線のラッピングカーを使って下さい。

車内の広告は全て手塚治虫関係で、車両内を歩くことになります。(笑)

おっと、その前に神戸線・京都線からお越しの方は、ぜひ十三駅(じゅうそうと読みます)でお乗り換え下さい。宝塚線への地下通路が、手塚治虫の作品年表となっています。

 

 

宝塚 手塚治虫記念館

2019-06-14 | ぶらり散歩

岡町の「手塚治虫・生誕資料館?」を紹介しましたが、ファンなら1度は行きたいのが宝塚にある、本家「手塚治虫記念館」です。

手塚は、5歳から24歳までの約20年を宝塚で過ごしていますから、ここはきちんとした由来のある記念館だし、展示物が凄いんです!

僕が本当に驚いたのは、彼の子供の頃の昆虫の観察ノートとか、そういう子供時代に書いたもの。観察眼も鋭いけど、とにかく細かい!筆舌に尽くしがたいとはこのことで、見れば分かります。驚異的です。

そして、オリジナルの生原稿が素晴らしい、美しい!

僕は小学生時代は漫画家になりたかったし、小学校の卒業文集には「手塚治虫を弟子にするような漫画家になる」と書いた男なので(笑)、何時間でも眺めていたいものを置いている記念館でした。ここは行くだけの価値があります!

阪急宝塚線・宝塚下車で、宝塚歌劇劇場から歩いて2分くらいの場所にあります。

 

手塚治虫 生誕資料館

2019-06-07 | ぶらり散歩

大阪・阪急宝塚線・岡町商店街で昔からあり、今も残っているお店があります。



「マイブックスマニア館」は、古書店&リサイクルショップです。「となりの人間国宝さん」も、ここを訪れていました。2階は、手塚治虫の生誕資料館。「豊中3中のみなさんへ」と書かれた直筆のマンガは、ちょっと値打ちものですよね!



手塚治虫は1928年11月3日、大阪府豊能郡豊中町(現在の豊中市本町付近)生まれです。その後、宝塚に引っ越ししましたが、彼の父は今年の春の移転した「宝塚ホテル」の中に作られた宝塚倶楽部の会員であり、ときどき手塚は父に連れられて宝塚ホテルのレストランで食事をし、母には宝塚少女歌劇団に連れて行ってもらっていたそうです。

東京では「トキワ荘」が有名ですが、大阪・阪急宝塚線を使えば、この岡町と宝塚の2つの駅で、手塚治虫に思いを馳せることが出来ます。