僕の母親は洋裁の仕事をしていましたので、僕の子供の頃の服は、母が型紙から縫ってくれたものが多く、特に「よそ行き」の服はそうでした。昭和30~40年代は、そういう服は高くて買えなかったので、母が自分でデザインから全てしたのだそうです。
その母親が作ってくれた服ですが、僕がそれを着ている写真は残っていても、いつ撮った写真なのか分からない。小学校にでも行っていれば、行事や一緒に写っている友達から分かるのでしょうが、それ以前の小さな頃の写真は、写っているのがいつも僕と両親ですから決め手に欠けます。
でも、1枚の服だけ、僕が着ていた時期が特定されました。
1970年(昭和45年)の12月でした。
写真の中で僕が着ていた服が、先日ひょっこり出て来たのです。
そして、その服のポケットから、この服を最後に来た時の所持品が、そのまま出てきたのです。
それがこの写真の映画館のチラシです。
豊中松竹(大阪・阪急宝塚線の豊中と岡町の真ん中・旧豊中市民病院近くの映画館)に「モスラ対ゴジラ」を観に行った時のチラシです。
同時上映の「柔の星」は、1970年12月19日公開の「東宝チャンピオンまつり」内で上映された作品で、テレビ「柔道一直線」とは関係ない物語ながら、同じ桜木健一と近藤正臣、大野剣友会を起用した柔道映画。
「アタックNo.1 涙の世界選手権」は、テレビ版を映画館用に再編集したもの。当時はよくこういう再編集をしていました。
今では分からないのですが、映画館は間違いなく「豊中松竹」でしたが、僕が見た映画は全て東宝の映画です。しかし、裏面の大人の映画の方は、まさしく松竹映画で、「豊中松竹ニュース」となっています。東宝は阪急電車の生みの親・小林一三氏が興した会社です。街の映画館としては、人気のあるものは全て上映していたのでしょうか?
道路を挟んでは豊中東映がありましたし、東宝・東映・松竹が、大阪の郊外の街・豊中の1区画に集中していたというのも、昭和30~40年代ならではのこと。映画が落日に向かう前の、最後の古き良き時代だったのでしょう。
映画のチラシと言えばB5サイズのカラー印刷のものを想像しますが、こういう新聞の「ラテ欄の下の広告」のようなチラシも、地方の映画館では配布していたのですね。母親の手製の服が、タイムカプセルの役目を果たしてくれました。まさか今頃になって、チラシだけではなく、自分が小さかった頃に着た服に対面するとは夢にも思いませんでした。