青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

レコードを買うと、ポスターがもらえた!

2021-03-31 | こんな「モノ」ありました!

ちょっと懐かしいものを、実家の屋根裏で発見しました。

これはポスター。ただし市販のものではありません。

昔はレコードを予約すると、ポスターをもらえました。これがサイズも大きいし、とても綺麗で。レコードと一緒に、ポスターを巻いたものを大切に家まで無事に持って帰るのは、ちょっとした儀式でした。(笑)



でも、親の目が恥ずかしくて、部屋には貼れませんでした。だから、アントニオ猪木やジョン・ウェインのポスターばかり、僕は壁に貼っていました。(笑)

せっかくのこんなに素敵なポスターを部屋に飾らず、「もったいないことをした!」と、今は後悔しています。(笑)

写真はリンダ・ロンシュタットと太田裕美のポスターです。


就職課 ~今は名ばかりの「雇用機会均等」

2021-03-30 | 昭和・思い出は色褪せない

僕たちが大学4回生になった時、就職活動をスタートさせるのは、会社訪問、OB訪問でした。

そしてその行先は、学生課の掲示板に張り出された求職票の企業でした。基本的に、求職票が無い企業には就職出来ない。企業は欲しい学生のいる大学にだけ、求人を出していました。だから、就職に有利な大学、レベルの高い大学に入ろうと争いました。大学に入った後は、どこの会社に行こうかと考え、就職に有利な部活やいろいろな活動・経験を積みました。

今は、「雇用機会均等法」によって、企業もそういうことは出来ません!門戸を開放し、誰にでも就職のチャンスを与えないといけない。かと言って企業も応募者全員に面接は出来ませんから、実は足切りをしていますが、基本的にはインターネットから、どこの大学生であっても、どこの企業へも就活のエントリーだけは可能です。「雇用機会均等法」・・・禁酒法と同じような無意味な法律を作るから、建前、誰でもどこの企業にでもアプローチだけは出来る。

だから勘違いしている若者は、努力なしでも入学できる大学に行き、4年間ダラダラと過ごし、自分が何をしたいか分からないとバカみたいなことを言いながら就活をスタート。就活の最中に、自分探し等と言い出す人までいます。やることが・・残念ながら遅い。

勉強を頑張り良い大学に入り、そこから良い会社に行った人は、今のような事態を迎えた時、在宅ワークもあれば特別休暇もある会社で働いているケースが多い。大学時代に将来について考えなかった人との格差が、大き過ぎる。

建前で平等を求めたおかげで、いろんな名ばかりの法律が出来、派遣というような企業に都合の良い社会の仕組みが誕生し、今のような社会になりました。僕らが過ごしたような学生時代を送っている若者は滅多にいません。本当に今の学生たちは可哀想です。

全ては、こういう光景が無くなった時にスタートしたのです。懐かしい光景。写真ではありませんが、「学生島耕作」から発見したのでアップしておきます。

ジェンダー平等の実現や男女平等など、制度を作って名前を掲げることは出来ても、社会の実態を変化させるのは困難です。人の心を無理やり「それは間違っている考え方です」と矯正しようとしても、そもそもどちらが正しいか分からない。それを時代の流れ、人の求めるものだと勘違いしていると、衆愚社会になってしまい、気が付いたら望まぬ世の中になっているかも知れません。求めるもの=良いもの・素晴らしいものとは限りません。

雇用の仕組み1つ取ってみても、そもそも新卒採用という仕組みが日本の文化です。欧米にはありません。

「雇用機会均等法」と言っても、相変わらず履歴書に写真を貼り、年齢を書き、学歴や職歴など個人情報の塊を収集されているのですから、そこに真の「雇用機会均等」は無いと思うのですが・・。


家の中から「タイムカプセル」発見!

2021-03-29 | 昭和・思い出は色褪せない

僕の母親は洋裁の仕事をしていましたので、僕の子供の頃の服は、母が型紙から縫ってくれたものが多く、特に「よそ行き」の服はそうでした。昭和30~40年代は、そういう服は高くて買えなかったので、母が自分でデザインから全てしたのだそうです。

その母親が作ってくれた服ですが、僕がそれを着ている写真は残っていても、いつ撮った写真なのか分からない。小学校にでも行っていれば、行事や一緒に写っている友達から分かるのでしょうが、それ以前の小さな頃の写真は、写っているのがいつも僕と両親ですから決め手に欠けます。

でも、1枚の服だけ、僕が着ていた時期が特定されました。

1970年(昭和45年)の12月でした。

写真の中で僕が着ていた服が、先日ひょっこり出て来たのです。

そして、その服のポケットから、この服を最後に来た時の所持品が、そのまま出てきたのです。

それがこの写真の映画館のチラシです。

豊中松竹(大阪・阪急宝塚線の豊中と岡町の真ん中・旧豊中市民病院近くの映画館)に「モスラ対ゴジラ」を観に行った時のチラシです。

同時上映の「柔の星」は、1970年12月19日公開の「東宝チャンピオンまつり」内で上映された作品で、テレビ「柔道一直線」とは関係ない物語ながら、同じ桜木健一と近藤正臣、大野剣友会を起用した柔道映画。

「アタックNo.1 涙の世界選手権」は、テレビ版を映画館用に再編集したもの。当時はよくこういう再編集をしていました。

今では分からないのですが、映画館は間違いなく「豊中松竹」でしたが、僕が見た映画は全て東宝の映画です。しかし、裏面の大人の映画の方は、まさしく松竹映画で、「豊中松竹ニュース」となっています。東宝は阪急電車の生みの親・小林一三氏が興した会社です。街の映画館としては、人気のあるものは全て上映していたのでしょうか?

道路を挟んでは豊中東映がありましたし、東宝・東映・松竹が、大阪の郊外の街・豊中の1区画に集中していたというのも、昭和30~40年代ならではのこと。映画が落日に向かう前の、最後の古き良き時代だったのでしょう。

映画のチラシと言えばB5サイズのカラー印刷のものを想像しますが、こういう新聞の「ラテ欄の下の広告」のようなチラシも、地方の映画館では配布していたのですね。母親の手製の服が、タイムカプセルの役目を果たしてくれました。まさか今頃になって、チラシだけではなく、自分が小さかった頃に着た服に対面するとは夢にも思いませんでした。


幻の “オムライス”

2021-03-28 | 昭和の喫茶店

大阪・梅田にもある喫茶店の「ハーブス」は、ケーキが美味しいお店です。西宮北口や三宮にも、お店があります。

僕が初めて「ハーブス」を知ったのは、神戸・三宮店でした。ケーキを食べに行ったのではなく、最初はランチに行ったんです。理由は、このお店だけが空いていたから。神戸や大阪は、疲れた時に空席のある喫茶店がなかなかありません。どこも満席です。

なぜ空いていたかはすぐに分かりました。値段が高いから。(笑)僕にとってではありませんよ。僕はそれなりの居心地の良さと味の良さがあれば、値段に現れるのは当たり前だと思いますから。

この店の、写真のオムライスが美味しかった!外の卵は色鮮やかで美味しく、中はほうれん草やキノコがたっぷり!

写真は食べかけではありません。中身を撮影するために、崩しました。

これにサラダ、ケーキ、珈琲のランチセットが僕は大好きだったのですが、このメニューは神戸三宮店だけのものでした。他のハーブスは喫茶のみ。僕の知っている限りでは、食事もあるのは三宮だけです。

それが、数年前にこのオムライスが無くなり、今ではパスタだけに!「なぜ?」か訊くと、作れるシェフが辞めたから。え?お店のメニューって、シェフ個人が知るだけのレシピ??そんな馬鹿な・・。その店員が馬鹿なんだろうと思って、店長に訊くも同じ答えでした。

多くの疑問を残しながら、ハーブスから姿を消した“幻”のオムライスの話でした。


宝塚ファミリーランド ~阪急が誇ったレジャー施設

2021-03-27 | 昭和・懐かしい京阪神の風景

子供の頃の話になると、僕の友人たちがよく覚えているのが、今は無き「宝塚ファミリーランド」。宝塚と言えば、宝塚歌劇が強い人気を誇っていますが、子供たちには遊園地であるファミリーランドの方が大人気でした。

今日の記事、カテゴリーが「懐かしい北摂の風景」となっていますが、大阪でも北摂でもなく、「兵庫県・宝塚市」なのですが、そこは僕のお馴染みのご近所ということでご容赦下さい。(笑)

今日はちょっと貴重な写真をどうぞ。小学校5年の僕が、射撃館で遊んでいる時のもの。ここの射撃は優れもので、光線銃でした。当たれば、地面の空き缶が西部劇映画のように空中に飛び、ズラリ並んだ酒場の踊り子の標的に当たると、空気圧でスカートがめくれ上がる。5~6人いる踊り子の的にコンマ数秒で連続して命中させると、全員「同時に」スカートが。これが出来たのは、僕の知っている限りは僕だけでした。(笑)射撃だけは子供の頃から得意!



ファミリーランドの案内チラシは、この時のものだと思います。行ったことがある人は、これこれ!と思わず微笑んでしまうと思います。遊園地、動物園、健康ランドやプールもあれば、宝塚歌劇もある、一大レジャーランドでした。



そして、同じ日に撮影した「阪急宝塚駅」の写真がこれ!今の大きな駅とは違い、普通の地味な駅だったのです。覚えている人いるかな?ここから1本道を歩いて行くと、ファミリーランドの入場口に着きました。



もう1枚も、小学生の時のもの。夏なら「ゲゲゲの鬼太郎」の特別展が恒例でしたが、時々、こういう企画ものの展示会を開催していました。恐竜の化石を見たのはこの時が初めてで、馬鹿でかいティラノサウルスの全身化石、マンモスの全身化石もこの時に見ました。映画「ジュラシックパーク」でお馴染みの、虫の入った琥珀などもありました。

「ソビエト・・どこの国?」という人も今ではいるかも知れませんが、この時の展示内容は、ここから遡ること3年ほど前の万博ソビエト館にも決して劣らない内容で、思わずパンフレットを買ってしまい、帰りの切符代が無くなった!(笑)駅員さんが「下りた駅に後で切符代を持って来なさい」と、電車に乗せてくれたことが良い思い出です。

ファミリーランド園内の写真も結構あるので、それは整理して次の機会に!