青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

市電・最後の日 ~昭和41年の梅田

2024-10-30 | 昭和・懐かしい大阪の風景

先日は梅田の市電について「梅田善源寺町線」と、野田と天六を結んでいた「阪神北大阪線」をご紹介しましたが、大阪のど真ん中には子供の僕が把握出来ないくらい、いろんなチンチン電車の路線がありました。

大阪駅前~淀屋橋間を結ぶ市電は、昭和41年(1966年)7月1日に廃止されましたが、写真は梅田の阪神百貨店脇にある「電停」で、路線廃止のその日に撮影された1枚です。

背後に写っているのは阪急百貨店。車両は市電最後の型式となった3001型(昭和31年新造)で、方向幕は「上本町あべの」となっています。

市電・バス・増える自動車と、昭和の時代、梅田のど真ん中はいつも活況を呈していました。そして、その風景も、常に変わって来ました。


自民大敗の理由は “根深い国民の怒り”

2024-10-28 | 今を考える

昨日の衆議院選挙、与党が大敗しました。国民が政権与党に対して「NO」を突き付けたのです。

自民党が負けた理由は簡単です。国民を代表していない政党になったからです。大多数の国民の利益を代表しない、つまり国益を無視してまでも、どこかの既得権団体や権力者達の為に働く政党になったからです。しかし、政権交代が実現しないのは、野党に政治を任せるだけの実力が無いことを、国民は分かっているからです。だから投票率も低い。自民にお灸を据えても、野党に政権を任せたいと思わない人が投票しなかった。国民は馬鹿ではない!

与党大敗の1番の原因は「裏金問題」ではありません!

そもそもどんな世界でも業界でも、裏取引や裏でお金が動くことくらい国民は昔から知っています。それが絶対に無くならないことも嫌と言うほど知っている。それでも自分たち大多数の普通の国民の為、国益の為に政治が行われていれば、それ以上の事は追及しない。それ以上をいろいろ言い争うのは政党間の足の引っ張り合いや、権力闘争の場であり、国民は知ったことではない。国民に利益があれば日本人は静かであり、大抵のことに目をつぶる大人なのです。

まず、財務省の存在が問題。過去最高の税収と言われるほど国民のお金を吸い上げながら、その税が国民の為に使われる実感が全く無い。「国民は自分のお金を取られた気分」だ。

中国にODAという名目で訳の分からない巨額の金を渡していた昔から、日本は利益の見えないお金を海外諸国にばら撒く。アメリカに軍事費として渡すのは理解できても、海外に遊説に行くごとに時の総理が信じられない程巨額の援助を約束することに至っては、国民はその理由が分からない。それが我々日本人にどのような利益をいつもたらすのか全く説明がない。「自分のお金を勝手に使われた」としか思えません。

国内で地震や台風によって、時間が経過しても建て直されない地域があるのに、そこはほったらかして海外にお金を渡す。その金があればすぐに復興するだろう!と誰でも思う。国民は「自分のお金をドブに捨てられている」と考える。

マイナンバーカードと保険証の紐づけ。今まで通りなら何の税金の無駄遣いも無いのに、この制度を実現するために、莫大な無駄なお金が使われて来た。国民はマイナカードを作るために役所に行ったり、いろいろと動かなければいけない。しかも今後は更新の必要もあり面倒極まりない。その上、これが銀行口座と紐づけされると聞けば、稼いだ給料から税金という名目でお金を奪われた上に、過去に貯蓄した「なけなしのお金や老後の資産まで奪われるのか?」と恐怖を感じる。

物価は上がり続ける。実質手取りは上がらない。経済が回れば給与は上がると言われても、現実には生活は苦しくなるばかりだ。そこで最低賃金を上げると言いだす。いやいや、時給で働いているアルバイトやパートさんは単純に給料が上がるだろうが、一般サラリーマンの給料は時給制ではないので、どれだけ給料が上がるのか全く疑問だ。「まともに会社に就職している一般的な国民ではない、いわゆる時給労働者や外国人労働者優遇か?」と思われても仕方がない。

ウクライナ戦争のせいで、電気代等が高騰しています。なのに国内資源に手を付けず、原子力発電所も動かさない。完全に廃炉にしていない限り原発の維持費は莫大です。しかも地震等で冷却出来無くなれば、停止している原発でも福島と同じことになる。ならば動かして電気代を下げればいいのに、どこの利権団体に遠慮しているのか?原発が稼働しているので四国・九州は電気代が全国の他の地域に比べて安価なことを知っていますか?その光熱費への政府援助も打ち切りになります。また「家庭の光熱費の出費が増える」。

このように普通の国民は、搾取され続ける自分たちの生活への不安が頂点に達したことで、政権へ「NO」を突き付けた。安部さん時代の裏金だ、岸田時代のツケだ、いや石破総理の求心力の無さだと言っても国民は関係ない自民党のやることなすこと、説明不足に対して憎悪に近い感情を国民が持ってしまったのです。安部さんや岸田・石破という名前を出すなら、1番自民党の評判を落としたのは、テレビで偉そうに物を申し、国民をSNSからブロックし、ワクチンで死んだ方に十分な補償もせず、マイナカードを推し進めた河野でしょう。

こういう人々を1歩も2歩も引かせ、満を持して登場した石破総理に国民は期待しました。総裁選前に石破氏が語った話に期待しました。ところが総理になった途端、石破氏は自身がず~っと言って来たことと違うことを言いだした。「これは話が違う!党を見て、国民を見ていない!」

国民それぞれがいろんな政策や政治家に対して怒りを持った結果が、昨日の選挙結果であり、それ、すなわち国民無視の政権政党への怒りの爆発だったのです。国民は合法である裏金問題の追及など、正直どうでも良い。問題は、自分たちの生活を1番に考えろ!という声に、政治家が耳を傾けるかどうかなのです。日本人の初任給は20万少し。手取りでiPhoneを買うのも難しい。アメリカ人の初任給は50万円ほど。iPhoneと言わず、働けば好きなモノが手に入ります。

マスコミは朝から自民大敗の理由をあれこれ詮索して、石破政権は終わりかと議論。まさに我々にとって本当に大切な国政を、視聴率目当てのエンタメショーにしています。もう少しまともな分析をしないと、本当にオールド・メディアを誰も見なくなります。

国会議員は「〇〇を男にして下さい」「皆様の力で助けて下さい」と演説・懇願し、当選すれば「万歳!」と、「自分が主役」だと思っている。選挙で選ばれて「上級国民」になったとでも考えているのでしょう。大多数の国民の為に、国民の意見を国政に反映させる為に、国会に赴くんだという気持ちが無い。だから、野党が支持された訳ではなく、自民党が国民からお灸を据えられたのです。可愛さ余って憎さ百倍ということ。

マスコミはスポンサーである大企業や、どこぞの国らの顔色を伺いながら、大多数の国民の利益を優先する視点から政治を語らない。視聴率の為に、スキャンダル的な問題を煽り、面白おかしく政局をエンタメ化して報道しているだけ。だから与党大敗の1番の原因は「裏金問題」だと結論付ける。違う!「裏金だ!」「不正だ!」とマスコミが煽るが、あれは政党交付金であって、個人に支給される政策活動費とは別物。不正があったわけでもなく、法的にも問題は無いのです。だから政権与党も国民を舐めた。違法ではなくても、国民感情は別なのに。日本では不倫は違法ではないが叩かれる。例えは悪いが同じことです。

日本の政治はまず第一に、日本人・国民の利益の為にあります。どうすれば日本という国と国民が幸せになれるか、それを政治家は寝る間も惜しんで考えなければなりません。それが出来る、したいという人間が政治家になれば良いのです。学校の先生と同じで、やることは多く、文句も多く言われるのが本来の政治家。先生になりたい人は減る一方で、少子化が進んでいるのに教員不足。でも、政治家だけはやりたい人が多いのは、やはり儲かるからでしょう。政治家は儲けてもいいから、日本人全体にこそ利益を出せ!

マスコミは選挙後、自民党の誰が責任を取るだの、株式がどうなったかだの、政局がどうなる、石破総理はどうなる・・・と、我々の生活に関係の無いことばかり報道しています。誰が何の肩書を降りようと、国民には関係ない。

「マイナ保険証」はどうなるのか?消費税はどうなるのか?光熱費の政府援助はどうなるのか?等、我々の生活にすぐに影響を与える問題が、与党大敗によってどうなって行くのか?そういう報道にマスコミは力を入れ、政治家が「早く話し合わないと、国民が怒り出すぞ!」と危機感を感じてのんびり出来ない状況を生み出さなければ駄目です。

 


梅田を走る昭和の “路面電車”

2024-10-26 | 昭和・懐かしい大阪の風景

大阪・梅田界隈を「路面電車」・チンチン電車が走ると言うと、今の若い人は戦前戦後のことか?と思ってしまうかも知れませんが、意外にもそんなに古い時代のことではありません。

これは梅田善源寺町線・都島車庫前行の電車。

ここから次の阪急東口までの間は、御堂筋を横断する必要があり、混雑の激しさから昭和39年(1964年)に先行廃止されました。阪急東口から先も、昭和44年(1969年)に廃止。左奥は阪急百貨店、右奥の曽根崎警察署の手前に、建設中の梅田換気塔が写っています。この写真は昭和37年(1962年)のもの。

そしてこちらは、野田と天六を結んでいた阪神北大阪線。昭和50年(1975年)、野田から出ていた阪神国道線の廃止に伴って、同線を使って尼崎の車庫に出入りしていた北大阪線も廃止となりました。

中津では、鉄橋で国鉄の貨物船をまたぎ越し、阪急線(写真左の鉄橋)と並走する姿が見られました。これも昭和48年(1973年)の写真で、こういう光景が大阪のど真ん中で、70年代でも見られたのです。

 


服部 ~お行儀の良い庶民の町

2024-10-23 | 昭和・懐かしい北摂の風景

服部天神。僕が高校受験のために通っていた塾があったり、母親の勤める洋裁店があったことから、服部駅は子供の頃からお馴染みの駅です。服部天神は、最初は「えべっさん」の賑やかで明るい駅前の雰囲気につられて、物心がついたかどうかの子供の頃に足を運びました。賑やかな音楽が境内に鳴り響き、飾りの付いた笹が売っていたり、初詣から1週間足らずでのイベントに驚きました。高校~大学~社会人と過ごした中で、基本「えべっさん」は、関西人だけが知るイベントでした。

服部天神は、菅原道真公がここで足の病からご回復、太宰府まで無事到着されたことにちなんで「足の神社」として知られています。でも、僕はえべっさんの方を先に知ってしまったのです。普通の神社だと分かったのは中学を卒業するころでした。後にこの神社の宮司さんが、友人のお兄さんだと判明して驚きました(笑)それ以来、厄払いなどをここでお願いして来ました。いつも静かな綺麗な神社です。

ここは服部天神の西側の路地を北に見ています。昭和50年(1975年)の町並みが分かります。右手前に服部店神宮の入り口が見え、この道を真っすぐに進むと、服部駅東商店街に出ます。

同じ場所の現在の風景がこれ。沢山あったお店も無くなってしまいました。

寂しげに見えますが、天神さんの東側は国道176号線。そもそも駅周辺は全て服部店神宮の敷地だったのですが、阪急・宝塚線がその敷地の真ん中を通過したことによって、現在のような形になってしまったのです。

その証拠に、服部天神のご神木は今も元々の位置、服部天神駅のホームに残されています。

門前町であったため、服部駅の商店街はお店が減ったとは言え、今も沢山のお店が並んでいます。昭和の時代の賑わいが嘘のようですが、住宅地と商店、神社が同居する場所で、1つ北の駅である高級住宅地で知られる「曽根」と、1つ南のごみごみした戸籍を持たない人が昭和30年代に溢れた「庄内」との間にあり、まさにお行儀の良い庶民の町でした。

 


宝塚歌劇 ~昭和・平成・令和の景色

2024-10-19 | 昭和・懐かしい京阪神の風景

NHK大河「光る君へ」を観ていますが、若い俳優が多い中、凰稀かなめさんがしっかり脇を固めています。彼女は元宝塚歌劇団宙組トップスター。元タカラジェンヌは舞台はともかく、映画やテレビでの演技が必ずしも上手いとは思いませんが、さすがの貫禄と思わせてくれる安定感は、流石だと思います。

僕は電車1本で「宝塚」にすぐ行くことが出来ますので、子供の頃から「歌劇」には何度も足を運んでいます。田舎の親戚のお姉さんたちが大阪に出て来て、僕の家に泊まる度に京阪神の案内をするのが小学生からの僕でした。7~8歳の子供の案内で、あちこち行くのに不安は無かったのかと思いますが(笑)、宝塚歌劇にもそうやって道案内がてら行きました。

この写真の建物は、大正12年3月に新歌劇場として開館した木造2階建ての劇場で、中劇場として建てられた、現在のバウホール横にあった建物で、歌劇の第2劇場としての役割を果たしました。昭和25年に「宝塚映画劇場」と改称、同28年に「宝塚新芸劇場」となり、昭和47年(1972年)に閉場、同53年(1978年)頃に解体されました。

写真の中央・トラックの左、建物の中に「ベルサイユのばら」公演の看板が見えるように、この写真は1976年の冬の撮影です。

こちらが同じ場所のほぼ30年後の平成20年(2008年)の景色。

更に16年後の現在の景色です。上の写真の工事中だった部分が、「こういう風になったのか」と分かりますね。

パワハラ・セクハラが社会で取り沙汰されるようになって随分経ちます。宝塚も例外ではなく、いろいろと改革が求められている情勢です。しかし、今も昔も平日にも関わらず、多くの宝塚ファンがここに足を運ぶ光景は変わりません。時代にうまく対応して、これからも華やかな舞台をファンに提供し続けてほしいですね。