青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

ジョン・ウエイン生誕100年

2007-05-26 | 青春・名画劇場

☆ ジョン・ウェイン☆(John Wayne 本名マリオン・マイケル・モリソン 1907年5月26日-1979年6月11日)「デューク」の愛称で呼ばれ、アメリカ国民に愛された。(~写真はカリフォルニア州オレンジ郡のオレンジ・カウンティ空港に建てられたデュークの銅像。ジョン・ウェイン空港と名前が変えられたのを記念して作られた。高さは約2.7メートル、彫刻家ボブ・サマーズ氏の労作。)

今日5月26日は僕の最も愛するヒーロー、ジョン・ウェインの生誕100年にあたる日です。アメリカのヒーローも日本では、70年代の西部劇の衰退と共に劇場での求心力を失い、遺作「ラスト・シューティスト」は1976年の作品だったが、日本で公開されたのはウェインの死後の1979年7月7日。急遽追悼としてロード・ショーされました。私は今は無き大阪の「OS劇場」の、初日の土曜日朝1番の興行に、学校を休んで父親と一緒に観に行き、2回鑑賞しましたが、初回の上映は父親とたった2人しか観客はいないという寂しいものでした。大きなテープレコーダーを持ち込み、映画の音声を全て録音し、何度も聴いて英語を学んだものでした。先着でウェインの「想い出カード」を貰い、半券とチラシ、パンフと共に保存しています。

7月7日(土)俺たちは荒野に帰る

アメリカの全てだった・・・映画が全てだった・・・誇りと栄光のラスト・ピクチャー、今、永遠の光を放つ!

~もう1度帰れるなら、あの荒野に帰ろう、なぁ、みんな!~


<大いなる西部はその男の最後の闘いとともに終わった>

1901年、西部の町にも

近代化の波が押しよせていた

ここに自分の死が

間近なことを知っている

ひとりの男がいる

彼の名はJ・B・ブックス

30人もの人間を倒したシューティストである

そして

彼を英雄と憧れる少年―

1月29日・・・運命の日が近づく・・・・・

これは男として生きた

最後のシューティストの

物語である

以上はウェイン最後の映画「ラスト・シューティスト」の宣伝文句です。まさしくウェインの遺作にこれ以上は無いような作品でした。監督は「ダーティ・ハリー」のドン・シーゲルでした。

写真は左からポスター、想い出カード(見開きでウェインの全作品が載っている)、半券、サントラを収録した限定CDです。ポスターのこのコピー、「最後に男はいのちを弾倉にこめた!」もデザインも寂しいながらも素晴らしいと思いました。

冬の荒野を馬で行く一人の初老ガンマンの姿を小さくとらえたシーンで始まる。それからウェイン演じるJ.Bブックスというガンマンの過去を、かつてウェインが主演した西部劇のハイライト・シーンで見せ、ウェイン自身の映画人生と、J.Bブックスの過去を二重映しにする。そこにウェインが語る次のナレーションが入る。これは私の信条にもなっています。

“He had a credo that went: I won’t be wronged. I won’t be insulted. And I won’t be laid a hand on. I don’t do these things to other people and I require the same from them.”

「俺は騙されないし、侮辱されない。手をかけられることもしない。俺は他人にそういうことをしない代わりに、他人にもそれを守らせる。」

1901年1月22日。ブックスはネバダ州カーソン・シティに着くなり新聞を買う。新聞には”The Queen is Dead”(ビクトリア女王崩御)の記事が報道されていた。ブックスはその足で医者のホステトラー(ウェインと何度も組んだ、名優ジェームズ・スチュアート)を訪ね、腰椎(lumbar)の痛みを訴えた。医師は告げる。”You have a cancer, advanced.”(君はガンだ。進んでいる。)この映画は、ガンの宣告を受けた伝説のシューティストが、死を覚悟して3人の男に最後の決闘を挑むまでの1週間を描き、ウェインはこの役柄を凄いリアリティをもって好演する。まるでウェインの遺書のような映画である。

1901年1月29日。ブックスの誕生日であるこの日に、彼は酒場で3対1の壮絶な撃ち合いの末、死んでいく。死ぬ前に注文しておいた墓石には、”Born January 29, 1843. Died 1901.”(1843年1月29日生まれ。1901年死亡)と刻まれていたから、生まれた日と死んだ日は同じ。伝説のガンマンにふさわしい。そして、ジョン・ウェインもガンで苦しみ、1979年6月12日にカリフォルニア大ロサンゼルス分校付属病院で死去した。ウェインが生まれたのは1907年5月26日。72歳の誕生日を祝った17日後に、この世を去ったのであった。

今はデュークもジミーも逝ってしまった。もうハリウッドには、西部劇が似合う俳優がいなくなってしまった。

☆ジョン・ウエイン、アカデミー賞主演男優賞受賞スピーチ



“Wow! Ladies and gentlemen, I'm no stranger to this podium. I've come up here and picked up these beautiful golden men before, but always for friends. One night I picked up two: one for Admiral John Ford and one for our beloved Gary Cooper. I was very clever and witty that night--the envy of, even, Bob Hope. But tonight I don't feel very clever, very witty. I feel very grateful, very humble, and I owe thanks to many, many people. I want to thank the members of the Academy. To all you people who are watching on television, thank you for taking such warm interest in our glorious industry.

Good night!”

 

ビリーズ・ブートキャンプの真実!

2007-05-20 | スポーツの話題

今「ビリーズ・ブートキャンプ」が凄い話題になっています。横浜のロフトや健康器具店では、品物は完売でその姿を消しており、店頭のテレビ画面でただデモテープが繰り返し流されているだけです。ところが、そのテレビの前には黒山の人だかりが出来ているのです!この「ビリーズ・ブートキャンプ」。効果のほどはどうなのかと、僕もインターネットで検索してみました。すると、ものすごい数のサイトが出てきますが、ほとんど全てに同じ写真が使われ、同じような内容が書かれてあり、ブログ検索しても、真実を知るのに十分なサイトを見つけることは困難です。そこで今日は、このブログの愛読者の皆様に、スポーツ・格闘技のプロとして、僕が「ビリーズ・ブートキャンプ」についての真実をレポートします。

このトレーニングの指導者であるビリー・ブランクスは、1955年生まれ。ダイエットを目的としたビデオ販売で実績を持ち、多くの有名人達からも支持を集めました。そして米国陸軍からの依頼を受け、世界中のトレーニングキャンプを回り、特別指揮官を務めました。その成功を聞くと、軍に指導にこそ行っていませんが、デユーク更家さんを思い出します。私が「ビリーズ・ブートキャンプ」(?)を初めて見たのは4年ほど前のこと。外国TV映画「ER」の中の1コマででした。インターンのルーシーがナース達とカーテンに隠れてERの中で「ビリーズ・ブートキャンプ」をしているのです。(患者が指導員だった!)カーター先生がカーテンを開けた途端、顔に蹴りを浴びてしまうというシーンでしたが、この時のエクササイズが「ビリーズ・ブートキャンプ」でした。



で、この「ビリーズ・ブートキャンプ」、ビリーの軍隊式トレーニングとでも訳しましょうか、凄いタイトルです。(笑)結論をまず言っておきますと、このプログラム、「ある種の人々には、効果抜群の素晴らしいもので、看板に偽り無しとはこのことです」。大体の中身やトレーニングの模様は、皆さんテレビでご覧になっているかと思いますので、ここでは省略します。1週間で効果を出す為に、4本のDVDからプログラムは成り立っており、「基本プログラム」を2日間、「応用プログラム」を2日間、「腹筋プログラム」を2日間、そして最終プログラムで7日間のプログラムとなっています。そしてDVDを見ながら、ビリーの指導する運動を、ビリーバンドと呼ばれるゴムチューブを使って行います。私はこの素晴らしいプログラムは、「ある種の人々」には効果抜群と書きました。では、一般の方にはどうなのかと言うと、無理だと思います。内容がハード(厳しい)で、続かないと思います。従って買っても効果を得る前に、止めてしまうでしょう。

そこで僕がこれから、このプログラムがなぜ素晴らしいのか?どうすれば皆さんが、このプログラムで理想的な身体を手に入れることが出来るか?どのような効果が具体的に皆さんに与えられるかを説明します。(効果には個人差がありますことをご承知下さい。僕は「ビリーズ・ブートキャンプ」及びその販売元とは一切関係がありません。あくまでも1アスリートとしての自分の正直な見解を記するものです。)

このプログラムは一言で言えばボクサーのトレーニングメニューに似ています。ボクサーの身体を想像して下さい。筋肉ムキムキのプロレスラーとは違い、体脂肪が少なく無駄な筋肉が無く、スタミナがあります。こういう身体を造るには、適度な筋肉トレーニング(無酸素運動)と、スタミナをつける為のサーキットトレーニング、そして脂肪を燃焼させるエアロビクス(有酸素運動)が必要です。それらを全て取り入れたのが「ビリーズ・ブートキャンプ」です。脂肪燃焼の為の有酸素運動を中心に、身体をシェイプする(脂肪が無いのではなく、美しい筋肉のついた身体を作ること。)無酸素運動を加え、そのトレーニングメニューの順番を、上手く組み合わせることで、多くの人がプログラムについて来れるようにしています。そしてビリーが画面のあなたに向かって、励まし続けます。あなたが脱落しないようにです。

ところが厳しい運動です。何せ約50分間、常に運動を続けなければならないからです。メタボリックシンドローム気味の体重の重い方や、普段運動をしていない方には到底無理です。無理をすれば倒れてしまいます。ましてビリーバンドなどを使って負荷を掛けては、もっと難易度は上がります。やってみてください。一体何人の方が初日の「基本プログロム」を完遂することが出来るか。恐らくこれを手にするほとんどの人が、一大決心をしてダイエットに取り組む方で、スポーツマンではありません。そんな人が50分もの間、運動が出来る訳ありません。そして途中で運動を止めてしまった人が毎日継続できるでしょうか?だから僕は「ある種の人」は出来ると断言したのです。それは、普段運動をしている方のパワーアップ、パフォーマンスアップです。きっとスポーツマンの方はこのプログラムを絶賛するでしょう。そして本当にやる気がある人も続きます。中途半端なやる気ではなく、確固たる信念、具体的な目標、この運動をやらなければならない動機を持った人たちです。

では皆さんが成功する為の具体的な解決策です。それは全てビリーが実は語っています。「無理はするな」「自分のペースだ。」「休んでもいい。でも諦めるな。」「努力しただけの効果は保証する。」「俺について来い!」「声を出せ!」等です。一人ですることは継続の最大の難敵です。夫婦・親子・恋人同士でのエクササイズは楽しんで出来るでしょう。ついでに「愛と青春の旅立ち」のように、自分が士官学校に入隊したと思い込みましょう。(笑)DVDの運動のペースは速いので、遅れてもいいので一緒に運動をすること。7日で結果を求めず、毎日50分間の運動を1週間継続します。初日は苦しくて3分の1程度の運動量でも1週間後にはほぼあなたは出来るようになっています。人間と言うのは不思議なものでヤル気があれば、どんな環境にも適応してしまうものです。

それから二番目の「応用プログラム」へ移りましょう。応用プログラムではビリーの話し方も、生徒の返事も軍隊調が強くなってきて面白くなります。画面から励ましてくれるビリーが鬼に見えても、よ~く見てください。実はリスのように可愛い眼をしています。(笑)ビリーバンドは使わなくて結構!自分の腕や足がいかに重いかを皆さんは思い知ります。もし負荷をかける余裕がある人は、100円ショップなどで手に入る1キロのグリップを握って運動すれば同じ効果が出ますし、自分の得意な運動では負荷をかけ、それ以外では使わないようにすることが容易になります。

声を出すことも自分を励ますというより、苦しい時には気持ちがいいものです。僕はフローリングの床の上で運動を行いましたが、床に汗の水たまりが出来ました。1週間後には「基本プログラム」を苦も無くこなせるようになりました。継続の秘訣は、無理の無い範囲で絶対に50分についていくこと。そしてそれを可能にするだけの動機を持つことです。「ちょっとやってみようかな~」という安易な気持ちで安く早くシェイプアップすることなど不可能だという正しい認識を皆さんが心を改めて持つことが出来れば、3日目からは楽しくなること請け合いです。自分の能力が高まっていくことが運動量で明確に意識出来るからです。自分の気持ち、トレーニングへの甘えた考え方を変えることが出来れば、あなたは体力以外にも強い精神力を得ることが出来ます!

さて1週間後です。「基本プログラム」だけをやった人も、「4種類をこなした人」も体重が気になるでしょう。寸法も。でも恐らく体重計の針はあまり変わりません。でもここが問題です!あなたの身体はこの1週間、筋肉痛で悲鳴を上げていたハズです。そう筋肉がついているので体重はまだ眼に見えて減っていないかもしれないだけで、確実に脂肪は減少し、引き締まった身体への第1歩を踏み出しています。その証拠はまず、背中の肩甲骨の上あたりの脂肪。背中の腰の脂肪の減少として見ることが出来ます。運動前と1週間後の自分の「後姿」をデジカメ撮影しておきましょう。ハッキリと分かります。そして2週間目からは「応用プログラム」に進みます。新陳代謝が進み、あなたは汗をかくようになります。運動後もスッキリします。食事制限も不要です。日常生活において、階段の昇降や、仕事の疲れ、肩こりなどが楽になっているハズです。

僕は実際に今回、このプログラムを行いました。初日は「こんなはずでは・・」と、自分の体力の衰えを感じて、自分に失望しました。しかし、3日目には自信を取り戻し、1週間で身体能力が信じられないほど戻って来ました。体重は1キロ減に過ぎませんが、中身が全く違います。「応用プログラム」はめちゃくちゃハードですが、これも2日目にはクリアです。普段の体力が戻って来たことが1番ですが(若い人は体力増強)体型も明らかに変わって来ています。3カ月後にはどうなっているか・・・と思うと1日たりともサボル気にはなりません。

効果は100%出ます!でも普通の人には続きません。しかし、やり遂げた人だけは、期待している以上の満足と結果を手に入れることが出来ます。Let’s survive! 生き残るのは僕とビリー、そしてあなたになることを祈ります。


土方歳三の命日

2007-05-11 | 雑学(教養)の部屋

今日5月11日は、新選組副長・土方歳三の命日です。僕は新選組のファンであり、研究家の1人です。土方と言えばやはり司馬遼太郎の作品のイメージが強く、僕も新選組の足跡を求めて、京都~箱館を辿った経験があります。



土方歳三は、慶応5年(明治2年だけど敢えて慶応・笑)(1869)の5月11日、最後まで新選組副長としての誇りを持ち、単騎、政府軍陣地に切り込みをかけ一本木柵を突破したが、敵弾を腹に受けて散華したと伝えられています。予め死を覚悟していた歳三は、5月5日小姓の市村鉄之助を郷里多摩の日野に使に出し、遺品(写真・毛髪)と辞世の歌を託しました。

「たとひ身は 蝦夷の島根に朽ちるとも  魂は東の君やまもらん」

これが彼の辞世の句です。

僕が土方歳三を好きなのは、彼の死に様ではなく、生き様です。最期まで己の誠を貫き生きた真の侍でした。死に間際は賊軍扱いされ、世間に批判されたとしても。現在において新選組は幕末を代表する集団の1つです。「何が良くて何が悪いのかは、100年200年後の人々が決めればいい」-その通りです。現在、新選組は多くの人々に愛されています。

尚、本年土方歳三資料館において、歳三の愛刀である「和泉守兼定」の刀身を見ることが出来るのは、今月12,13,20日のあと3日だけです。天気が良ければこの週末、多摩に足を伸ばしてみては如何でしょう。歳三の眠る石田寺、高幡不動尊、井上源三郎の墓等もすぐ近くにありますよ。ファンの方は足を伸ばされる時はご注意下さい。グッズで財布が緩みがちになりますので。ちなみに今年の“日野・新選組まつり”も12&13日です。

最後に「佐藤彦五郎資料館」では、土方歳三の愛用していた横笛が新たに発見され、展示されています!