青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

これが “初の” 映画チラシ集!

2024-10-06 | こんな「モノ」ありました!

前回からの続きです。映画のチラシが少年マガジンの巻頭特集によって大ブームになり、少年マガジンは捨てても、巻頭のチラシ特集のページだけはそのままファイルして保存する。僕も友人たちも映画好きはそういうことをしていました。DVDどころか家庭用ビデオの姿も形も無かった1974年、映画を所有する方法は、映画館で鑑賞した時に購入するパンフレットくらいのもの。

そんな時代にこの映画チラシの収集なら、映画を観ていなくても、お金が無くてもコレクション出来る。映画の所有欲を満たせる。そういう点からも、映画チラシがブームになったのかも知れません。そして、ブームになれば映画チラシだけを掲載した本が欲しくなるというか、そういう本の発売が待たれます。ここでも先頭を切ったのは講談社の少年マガジンでした。

これが少年マガジンが出した、初の映画チラシ集です。ほぼ文庫本のサイズで、オール白黒44ページの小冊子です。裏表紙には値段も印刷されていません。

僕の記憶が正しければ(正しいと思うのですが)、この冊子は、チラシ特集を掲載した号の少年マガジンに付いていた応募券と、送料に当たる切手数百円を同封して講談社に送れば、この冊子が貰えるというものでした。書店に並べられて売られたものではありませんでした。

書店に並んだ初の「チラシ集」は、こちら。

「ロードショー」が発売した増刊号で、専門誌の威信に掛けて?編集しただけあって、実物大のチラシを折り込んだり、「太陽がいっぱい」の縮小パンフを綴じこんだり。主要作品のチラシは1ページの表裏を使ってチラシを再現するという優れものでした。

ロードショーに負けるなと後を追いかけたのが少年マガジンの講談社。こちらはチラシの表だけではあるものの、膨大な数のチラシを集めたオールカラーで、ブームの火付け役のプライドを感じる渾身の1冊でした。ちなみに続編も発売されました。

最後に発売したのが近代映画社スクリーンの増刊号。こちらはA3よりは小さいけれど、雑誌サイズより大きい、コンサートパンフのサイズで発売。しかも中身は日本が作成した映画のチラシは最小限に、名作映画の海外オリジナルポスターを1ページに1作品印刷したものでした。先行した2誌に比べると、かなり通好みの書籍で、少年達が買ったとは思えないのですが、これも続編が発売されました。

少年マガジンが火をつけた映画のチラシブームで、どれだけ観客動員数が上がったのかは分かりませんが、70年代後半から80年代に、高校生・大学生のデートと言えば映画館が定番だったのは事実。そして、洋画のおかげで中国や韓国ではない、欧米への海外旅行にも行く若者が多かったし、ブームは海の向こうからやって来る・・・そんな時代が確かにありました。

 


70年代 “映画チラシ” 大ブーム!

2024-10-05 | こんな「モノ」ありました!

1970年代中旬、昭和45年頃に空前の映画チラシ・ブームが巻き起こりました。僕が学生時代に1番映画館に足を運んだ時代のことなので、今でもよく覚えています。それまで劇場に行くと、「ご自由にお取り下さい」と、次回公開作品、近日公開作品のチラシが劇場に置かれていたのですが、74年~75年頃になるとチラシが置かれていません。劇場に訊くと、「最近、置いたチラシを1人で全部持って行く人がいるので、これまでのように置くことが出来ないのです」と説明され、希望者には渡しているということで、僕もチラシを貰うことが出来ました。

中高生の子供たちが、窓口でチラシを下さいと映画館回りをする姿を見出したのもこの頃でした。この映画チラシのブームの火付け役は、「少年マガジン」(講談社)でした。

少年マガジンが1974年に巻頭カラー特集で、映画のチラシを紹介し、それが定期的に掲載された為にチラシが大ブームになったのです。それまで映画館に行っても、チラシは宣伝物として持ち帰り、気に入ったものは取り置きをしていたのですが、まさか収集そのものがブームになっているとは思いもしませんでした。でも、確かに映画のチラシはレコードのオビと同じで日本独特の文化です。

映画のタイトルのレタリング・デザイン、写真、宣伝のための煽り文句・キャッチコピー。時には映画には出てこないシーンがデザインされていたり、チラシの為にわざわざ作られた写真までが使われていて、チラシそのものが1つの芸術作品と呼んでも過言ではありませんでした。チラシの男優・女優の顔は本物でも、首から下は日本の配給会社がモデルを使って撮影し、合成したものというのも「あるある」でした。

同じ作品であっても、公開時のチラシとリバイバル時のチラシでデザインが違ったり、大作映画になると何種類かのチラシが作られたりするので、そういうものを見るのも楽しかった。

今考えると、この映画チラシブームを作り上げたのが、「ロードショー」「スクリーン」「キネマ旬報」といった映画専門誌ではなく、「少年マガジン」という少年向けの雑誌だったというのが面白い。専門誌の面子丸潰れです。

映画チラシがこれだけの人気になると、少年マガジンの巻頭特集のままで終わるはずが無く、映画チラシの本が筍のように発売されたのですが、その最初のものは極めて地味なものでした。しかも、それを発行したのも「少年マガジン」でした。(続く)

 

この本は、映画チラシ制作の裏側についての読み物と、美しいチラシのカラー写真満載の、映画のチラシに関する最高の1冊です。お薦めします。


通販で興味津々!“シーモンキー”

2024-10-01 | こんな「モノ」ありました!

僕が子供の頃は、少年マガジン等の少年誌の裏表紙には、いろいろ怪しげな(笑)通販広告が載っていました。映画スターやアイドルのポスターも人気でしたが、僕が最も興味を持ったのが「シーモンキー」のこの広告でした。

通販というだけでも何か惹きつけるものがあるのに、その上に「アメリカですごい人気」と煽られては、興味が湧いてしまうのも仕方がないところ。インターネットも何も無い時代、海外情報はほとんど皆無。海外で大人気と言われると、それだけで食指が動く。それだけ流行は、海外から黒船の如くやって来る時代でした。

友達は学校の門前の駄菓子屋で日々買い食いをしているので、こういうものに興味を持っても買うお金が無い。僕は親が「買い食い」を厳しく禁止していましたし、ガチャポンのように何が出るか分からないものも買わせてもらえず、本当に欲しい物にお金を使いなさいと言われていたので、こういうものを試すお金はありました。

小学校に行ったか行っていないかの時代、さすがに僕一人で通販に挑戦するのは敷居が高く、親に相談するしかないのですが、却下されないか不安でなかなか言い出せず、「これが欲しい」と広告を見せるまでに随分時間が掛かった記憶があります。親は「じゃあ、今度の日曜に買いに行こうか」と、あっさりと承認。

え?通販じゃなくどこで買ったの?と思われる方も多いと思うのですが、何と大阪・梅田の阪急百貨店本店の玩具売り場に現物が売っていたのです。こんなに怪しげな品物なのに!(笑)それだけ当時は人気があったのかも知れません。

皆さんご存知とは思うのですが、このシーモンキーは何かの粉が入った袋が2つか3つ入っていて、それを水に溶かせて放置しておくだけ。すると24時間くらいで上の広告のような風変りな生き物が生まれて来る・・・はずもなく、変なエビの子供みたいなものが出て来る。今はネットで調べればすぐに分かりますが、1億年前から変化していない生きている化石とされる「アルテミア」という小型の甲殻類を、愛玩用・観賞用に改良した品種です。

60年代僕が子供の頃は、図鑑をいくら探してもこいつが載っておらず、謎の生物として友達の間でも話題になりましたが、すぐに飽きてしまって最後はどうなったか覚えてもいません(笑)今もこの商品は販売されていると聞き驚きました。アメリカの通販業者ブラウンハットによって1957年に「インスタントライフ」、1962年には特許を取得した上で「シーモンキー」と名付けて売り出された、それなりに歴史のあるモノだけに、僕の知人のアメリカ人達もこれを知っていて、お互いに「え?これを知っているの?」と笑い合ったものです。

 


暑さに強いカセットテープと五輪の話!

2024-07-21 | こんな「モノ」ありました!

梅雨明けの話題はどこへやら・・今の話題は一体この暑さがどうなるか。本当に毎年暑くなります。僕が子供の頃とは大違い!地球温暖化のような大きな問題はさて置いても、地面が見えないこと、どこに行ってもコンクリートとアスファルトで緑も溜池も無くなったことが問題ではないでしょうか。

外に出るのが怖くなるこの暑さ。昔は真夏でも、あちこちにドライブに行ったものです。エアコン付き、カーステレオ付きの自動車が珍しかった時、頑張ってアルバイトで稼いだお金で中古のセリカを買い、思いついたら大阪から金沢まで珈琲を飲みに行ったり、日本海まで海水浴に出掛けたり、南紀白浜まで足を伸ばしたものです。

その時の忘れられないアイテムがこれ!

富士フィルムから発売されたカセットテープで、暑さに強いことが売りでした。ご存知のようにドライブ中は快適でも、喫茶店にでも入り、再び車に乗ろうとした時の車内の暑さは大変なもの。ハンドルを触ってやけどするほど熱かったという経験は、誰しもしたことがあると思います。そんな高温の車内に置いてあるカセットテープ、当然ながら置き場所によってはワカメのように伸びてしまい、テープが駄目になったり、デッキに巻き付いて動かなくなるというハプニングも日常茶飯事。

そういうことを防ぐためにも、割高ながらもこのテープを車では愛用していました。結果、トラブルは皆無でしたから、それなりに優れものだったと思います。メタルテープなどの音質を追求したカセットテープとは違った意味で、本当に思い出深いカセットテープです。

さて、このカセットで最初に録音したアルバムがこれ。

1983年に発売した、ライオネル・リッチーの大ヒットアルバム「オール・ナイト・ロング」でした。前作が良かったので発売日に購入しましたが、売れに売れました。

なぜ今日はこのカセットテープのことを思い出したかと言うと、いよいよ今週パリ五輪が開幕するからです。そう、1984年のロス五輪の閉会式に、ライオネル・リッチーが登場して「オール・ナイト・ロング」を熱唱したことを思い出したからです。「ウィ・アー・ザ・ワールド」が爆発したのは、この翌年1985年の夏のことでした。

そう言えば4年後の2028年の五輪は、3度目のロス五輪ですね。開催されるごとに五輪への興味が薄れて行きますが、1984年のロス五輪は本当に応援にも力が入りました。今年の五輪にはどんなドラマが待ち受けているのでしょう。

 


渋谷フィルムコレクション ~レンタルVHS

2024-06-22 | こんな「モノ」ありました!

昭和の時代、観たい映画があってもなかなか観ることが叶わず、年末年始のTVの深夜放送枠に気を配り、他府県に住む友人から、地元ローカル局の映画放送予定を教えてもらって録画をお願いしたり、2番館、3番館まで足を運んだりしました。

それがレンタルビデオ店の出現で、かなりの数の名作映画を自宅で観ることが可能となり、観たいものが多過ぎてお金が足りないのでレンタルビデオ店でバイトを始め、最後は学生の身でありながら数店舗の店長まで任されていました。「レンタルビデオ店物語」は3部作として、このブログでも特集しましたので今回は省きますが、その後のレンタルDVD店に以降しての繁栄から今や、配信時代になってレンタルの時代が終焉を迎えています。

レンタルレコード、レンタルCD反対云々の騒ぎも、今やどこに行ってしまったのでしょう。TVから歌謡番組も姿を消してしまいました。TVドラマも最近は辻褄のいい加減なもの、考証がなっていないもの、そもそも設定に問題や無理があるものが多過ぎると思ったら、漫画が原作!漫画が悪いのではなく、現実離れした設定に納得が行かないどころか、その為に観る気がしない作品が多いという現実があります。

ちょっと社会に歪みすら覚えてしまいます。

昔は良かった・・とボヤくと共に思い出したのが、この東京・渋谷のかつてのTSUTAYA。リニューアル前の渋谷TSUTAYAの館内には、豊富なレンタルCD・DVDがぎっしりと詰まっていましたが、中でも、VHSコーナーは特筆ものでした。他店では手に入らないマニアックなタイトル、DVD化されていない映画作品を豊富に揃えていて、多くの映画ファンに愛されている場所でもありました。

今の若者からは古いと思われる、でも僕にはまだまだ新しいと思われる80年代~90年代の多くの映画作品が、DVD化されずに世の中から消えて行こうとしています。そういう作品を観ることが出来たお店がこの渋谷店だったのですが、このビデオレンタルサービスも終わったそうです。

企業にも人間と同じように、ある程度「寿命」があると僕は考えます。レンタルビデオやレンタルレコード店は終わりました。LDからDVDへとメディアを変化させながら生き延びて来ましたが、ダウンロードも終わり、配信~サブスクと業務形態が変わり、かつてのレンタル店は終焉を迎えました。

パッケージソフトの販売は、これからも僕が生きている間は続くと思うのですがどうなることでしょう。音楽ではSDCDという素晴らしいものが発売されましたが、高額さゆえというか、素晴らしさを実感するためのハード、高級オーディオというかステレオのシステムが売れていないので、ソフトも普及していません。

世の中は進化か退化なのかは分かりませんが変わり続けて行きます。