老舗のプロレス専門紙「週刊ファイト」の休刊が決定しました。発行する新大阪新聞社が11日、正式発表しました。先週号3面に「次週重大発表」の文字が載った時から覚悟はしたものの、こうもプロレス人気が凋落しては仕方が無いところ。最終号は27日発売の1990号となる。「目指せ2000号突破」というコラムが続いていたのも、今はむなしい。同紙は1967年に創刊。新聞形式のタブロイド版として発行。初代編集長は井上義啓氏が務め、ターザン山本(元週刊プロレス編集長)金沢克彦氏(元週刊ゴング編集長)ら名物プロレス記者を輩出しました。
同新聞社では「活字メディアの衰退とマット界の沈滞などから読者が減少し、休刊のやむなきに至りました」と説明している。全盛期には「タイガー・ジェット・シン特集号」「ローラン・ボック特集号」等、信じられないようなヒット作も発行していたが、それがついこの間のように思えます。
大スポ(東スポ)の1面からプロレスが消えても、ファイトは唯一の大阪発信の全国紙として、他のプロレス雑誌の書かないことを書き続け、マニアの人気を博していました。「新日本プロレス新聞」というように、不名誉な呼び名があったのも、新日本・全日本の2団体時代の副産物。昨今のように、星の数ほどの団体が狭い日本にひしめく様では、取材する方も大変。見る方も、もう誰が誰やら・・レスラーなのか何なのか分からないジャンルにまで、プロレス人気が下降したのも事実。
僕が大阪府立体育会館に足を運び始めた昭和46年頃は、お客はスーツ姿の大人がほとんどだった。今ではプライド等の格闘技興行でさえ、友人同士、もしくはカップルで、コンサートのようなライブ感覚で格闘技を楽しむ人が多くなっている。この時代に、試合の背後のドラマや因縁を知り、試合を何倍にも楽しもうと言うファンが減少したのも、同紙の読者数の後退と関係が無いとは言えない。また井上氏の体調不良と相まって、山本氏に紙面の大半を任せ、ファイト色が変わってしまったことにも、僕は反発を覚えました。
ファイト休刊は廃刊とは違う意味である。特に新聞社発行のタブロイドだけに、復活も雑誌とは違い、可能性が高いかも知れない。しかし、現状のマット界を見れば、新聞が売れるだけの人気を支えるスーパースター、若い次代へのスター候補が不在で難しいと思う。1人のスターが業界を活性化するのは、ハンカチ王子やシャラポアを見れば分かる通り。せめて最後に、「カール・ゴッチ特集号」「新間寿特集号」というものを発行して欲しかった。