青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

高級炊飯器の “ごはん” 格別のお味でした!

2024-01-31 | 日記
衝撃が走りました‼
 
昨日購入した10万円の炊飯器で、食卓が豊かになり、お米の味に満足して心も豊かになりました🤣 
 
本物の土鍋で炊き上げるというのが、まず凄い。
 
炊きあがった時に混ぜると、混ぜる手の感覚が違う。お米1粒1粒が離れているとでも言えば良いのか・・。昨日までと同じお米なのに、炊飯器でこんなに味が変わるのか‼ というほど高級な「ごはん」に変身です。
 
 
食べ終わった後の「お茶碗」に残る、お米による汚れも全く違います。さっきまでお米が入っていた形跡が無いというほどです。買って良かった。例え数日でこれが当たり前になるとしても、これは買って良かった。大成功!
 
ところで僕は現在・・・夢中になっているスポーツの為に体重を減らしたいのに、こんな時にエライものを買ってしまった・・・😨 
 

高級炊飯器 “10万円” のお味は?

2024-01-30 | 日記

大阪梅田に出て、珈琲豆を購入。

久々に梅田に出て驚いたことは、歩いていると日本語よりも韓国語の方が耳に入って来るということ。阪急百貨店に行っても、道を歩いていても。ヨドバシカメラになぞ入ろうものなら、韓国語しか聞こえてこない。案内所とお客の会話も韓国語。疲れて食事に行っても韓国語ばかり。まるでコロナ前のミナミのよう。本当に「ここ日本?」と言いたくなるくらいなので驚きました。もう1つ気付いたことは、中国語が全く聞こえて来ないということ。日中関係は冷えているようです。僕は中国とのつきあいは反対だし、仕事上も中国に遠慮は無用なので、中国人観光客が減ることは嬉しい。

ヨドバシで買い物をしていると、「炊飯器」売り場に目が留まりました。コロナ禍になる前、高級炊飯器で炊くご飯はどんな味がするのだろう?と興味を持ちながら、先行きの不透明感に購入出来ませんでした。しかし今日は購買意欲が沸き、老い先短い身なので「美味しいご飯」を食べたいと思い、喫茶店で休憩しながら検討。

最後に2機種まで絞った時に、どこがどう違うのかパンフレットを読み込んでいると、思わず笑ってしまいました。

いろいろと細かい相違点はあるのですが、美味しさの目安を表す「★」星の数が違う!(爆笑)ちなみに1番安価なものは星が2つです。どうせならと、1番高級機を買いました。

この機種です。この前、2万円弱のサブウーハー(スピーカー)を買った時は配送料無料だったのに、10万円もする炊飯器は配送料が660円も要る。なぜ?今夜食べたいので、お持ち帰りしました。🤣

もし電車で買い物に行かれ、こういう高級炊飯器を持ち帰る方はご注意を。箱はそんなに大きくなくて手で持てるサイズではありますが、重さが10キロ弱あります。これまで使っていた炊飯器からは想像も出来なかった重さです。若い方はともかく、御高齢の方はご注意下さい。

炊きたてのご飯と、「しらす」「明太子」「松前漬け」「味付け海苔」・・・それだけでシンプルに食事が楽しめると良いのですが・・・期待大です!

 


庄内駅開設10周年 ~庄内にもあった映画館!

2024-01-28 | 昭和・懐かしい北摂の風景

阪急電車・・京都~大阪~神戸を結ぶ、関西を代表する私鉄です。綺麗だし、便利だし、運賃も安い。沿線には娯楽施設があり、誰もが利用していました。国鉄(JR)沿線に住むのとは違い、今でも引越しするなら、駅は代わっても今住んでいるのと同じ、大阪府・北摂、阪急電車沿線に住みたいと思います。

映画が好きな僕は、今では大阪梅田まで観に行きますが、昔は池田・豊中・岡町・十三辺りでも観ることが出来ました。いわゆる2番館、3番館というやつです。そんな映画館が、阪急宝塚線・庄内駅にもあったことを知る人は少ないと思います。

今日の写真3枚はどれも、昭和36年(1961年)の「庄内駅開設10周年」の時の物ですが、正面に映画館が写っています。

当時、庄内駅周辺には「幸運劇場」「庄内シネマ」「庄内東映劇場」と、映画館が3館ありました。通りにあふれる人並にチンドン屋の姿が紛れています。

庄内町時代だった昭和26年に駅が開設されたのを契機に、純農村地帯だった庄内も変貌して行きました。写真の旧三屋地区は、天竺川沿いに能勢街道、駅の東側を国道176号線が通り、市街地化して行きました。

この当時の庄内駅がこれです。地下の連絡通路はまだ無く、遮断機の前は乗降客でごった返しています。庄内駅は当時阪急宝塚線では、乗降客の多い駅でした。しかし、庄内地域には住民登録をしていない人々もおり、いわゆる幽霊人口の多い地域と言われていました。

 


新たな外国人犯罪~日本は世界の“養分”か?

2024-01-19 | 今を考える

日本中で外国人の引き起こす問題が多発しています。そもそも文化が違う人が入国するだけでも、彼らが普通の観光客であっても、悪意が無くても、何かしらトラブルが起こることは予想されます。

しかし、そもそも日本で悪いことをしてやろうという外国人や、「騙される方が悪い」という考えが常識である外国人の入国を、認めるどころか歓迎している点で、日本は防犯意識が甘過ぎます。他方スパイ防止法、カウンターインテリジェンスも整備されていません。

日本人は他人に親切で、人が良く、民度が高い。これは大切なことで変える必要は無いと考えますが、相手がどんな人であるかを見抜く目は、持つ必要があります。そして、相手が日本に歓迎されざる人物であれば、関わらないことです。中国・韓国等の関わらないどころか、毅然とした対処が必要な国に対しても、「隣同士は仲良く」なんて馬鹿な事を発言しているようでは、日本と日本人は長生き出来ません。

外国から労働の為にやって来ても、そういう人々が不法就労したり不法滞在した時に、彼らを呼び寄せた企業が責任も取らないし罰則も受けない。そんな考えも無いことを許しているから、外国人犯罪が日本中に蔓延しています。そして、そういう人々で拘置所が溢れるので、多くの犯罪者を不起訴処分にせざるを得ない。外国語を話せる日本の警察や検察が足りないから、不起訴等の処分で野に放っている等は言語道断です。国民を危険に晒してまで外国人の入国を促し、一体誰が利益を得ているのか考えないと駄目です。

昨年末にはまた1つ、新たな外国人犯罪が発生しました。雨後の竹の子のように日々新たな犯罪が誕生していますが、これは「外貨両替パニック誘導詐欺」と呼ばれるものです。

利用客を装った犯人が、渋谷センター街の某両替所を訪れ、窓口にユーロ紙幣を持ち込みます。紙幣自体は本物で金種は大半が少額で、何枚か500ユーロが混在します。店員が紙幣鑑定機にかけて読み取りますが、犯人は何度も紙幣を追加したり、数え直す為に返却を求めたりして、やがて店員がパニックになると、手品のように高額紙幣のみを抜き取って、多額の円貨をせしめる巧妙な手口です。


主にベトナム人の外国人技能実習生達は、本物と非常に似たEC詐欺サイトを運営し、帰国前になると荒稼ぎをする。それを仲間内で使いまわしていますので、ネットでの買い物で騙される日本人が増加しているし、騙されなくても、ネット上にそういうサイトが乱立するだけでも、僕らは検索時に面倒な時間を取られてしまう。

日本人はもっと外国人との「付き合い方」を、国をあげて学ぶべきです。中国や韓国から利益を得て、どっちを向いて政治を行っているのか分からない政治家や、日本人を泣かせて利益を上げる企業家に「NO」を「今」突き付けなければ、いつか日本はペンペン草も生えないような国に成り下がってしまうでしょう。


大阪・中之島 ~災害は忘れた頃にやって来る!

2024-01-17 | 昭和・懐かしい大阪の風景

元旦の大地震・・あれから2週間が経ちましたが、現地の人々の生活が元通りに戻る為には、一体どれほどの時間が必要とされるのか全く分かりません。

災害は忘れた頃にやって来るとは言いますが、僕はサンフランシスコ~阪神淡路~東日本~北大阪と4つの大地震で被災者となった経験から、水・非常食・トイレ・カセットコンロのガスだけは2週間分備えています。それでもいざという時にどれだけ役に立つのだろう?かと、考えてしまいます。

今は大阪の北部に住んでいますが、こんな都会であっても元旦には相当長い揺れ(震度4)を感じ、またか!という恐怖を覚えました。田舎であろうが都会であろうが、日本中どこにいても災害からは逃げられず、いかに備えておくかしか出来ることは無いと考えます。

大阪の中心地・大阪駅の辺りから中之島にかけての広範囲は、長年地盤沈下に悩まされました。現在の梅田・ヨドバシカメラの近辺は、最も地盤沈下が酷い場所で、大阪駅構内を歩いても、あちらこちらに不自然な勾配や階段を散見しますが、これら全て、地盤沈下の痕跡です。大都会のど真ん中の地盤がこんなもので、大地震が来たらどうなるのだろう?これは首都・東京も同じことです。

写真は昭和32年12月の中之島です。

大阪市の地盤沈下は昭和3年(1928年)には既に指摘されていました。昭和9年の室戸台風で甚大な被害を受け、依頼整備が行われましたが、昭和25年(1950年)頃から再び状況は悪化。昭和35年(1960年)頃に地盤沈下はピークを迎えました。

その都度、大阪の中之島は大雨や高潮の折などに度々、写真のように水浸しになったのです。今、大都会・大阪のこんな昭和の事実をご存知の方は非常に少なくなっていますが、都会だから大丈夫、復旧も早いだろうと思うのは考えが浅く、常に災害への備えは怠ってはなりません。振り返れば僕も、ほぼ10年ごとに耐震基準を満たした新築鉄筋コンクリートの建物に、常に移り住んでいます。