青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

アメリカ人とクリスマス

2007-11-30 | ぶらり散歩

今日、都内某所にて・・・アメリカ人と店員さんが揉めていた。しかも英語と日本語の対決だ。どうも雰囲気がおかしい。「どうかしましたか?」と話に入っていくと・・

アメリカ人男性は「この素晴らしい服が欲しい。でも売ってくれないんだ。」と訴えて来る。

しかし店員は「小売はしていません。ここにWHOLE SALE ONLYと書いている」と言う。

ん??WOW! こんなに沢山の涎の出そうな色っぽい服を全部まとめて買う人がいるか?



「1着くらい販売すれば?」と僕。アメリカ人は「これでパーティをしたいんだ!」と通訳してくれと。それって、あんたが奥さんに着せたいだけだろうが・・・と思いつつ通訳。お店は「小売はしませんの1点張り。」そうです、要はこの店は問屋なんですよ。だから個人には売らないと。大阪のSSOKや繊維シティ(何人知ってるかな?)みたいなものです。

しかしそれなら「WHOLE SALE ONLY」は違いますよと、僕は交渉人に変身。(笑)見事アメリカ人は、この服をゲットしました!「ワイフの着る姿が楽しみだろう?」というと、何と「娘に着せるか、ワイフに着せるか迷ってるんだ」だって。このスケベ!この話は実話です。

*WHOLESALEと、1つの単語なら=卸売りなんだけど、WHOLE SALEというように、このお店は2語で書いていたので、これでは「全部売ります」みたいになります。


波乗りジョニー

2007-11-29 | こんな「モノ」ありました!

皆さんのブログを拝見していますと、食事に行かれた時、その美味しそうなメニューを写真に撮って、アップされていますよね。それに対抗して、今日私は食材をご紹介します。(笑)

皆さんは「波乗りジョニー」をご存知ですか?

青い渚を走り 恋の季節がやってくる
夢と希望の大空に 君が待っている・・・

そう!2001年の日本コカコーラのCM曲で、桑田佳祐の曲です・・・って違うわい!

これです!

そう、お豆腐です。サーフィンボードの形をしていて、3分割出来るパッケージに入ったお豆腐です。これが美味しいのです。始めは水色の文字だけのパッケージでしたが、最近映画とタイアップして、パッケージはカラーになり、よく売れているし、あちらこちらで見るようになりました。でも皆さんご注意下さい!買うお店によって値段が全く違うのです。P~コックでは高い!(いくらかは言いません)ところが商店街などでは198円です。「どうしてこんなに違うんだ!」と言いたい程の差です。

この豆腐を私が食べ始めた、もともとのスタートはこちら、「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」からでした。どうですか?こちらは3つセットになっている写真ですが、1つのパッケージが1人分です。「波乗りジョニー」は1パッケージが3つに分かれる(切れる)ようになっていて、3人分なんですよ。(笑)

そして身体作りに肉よりいい、高タンパクと言えば「ゆば」!これも関東ではなかなか売っていないのですが・・・発見!

何と「湯波乗りジョニー」です!もう笑うしかありません。しかし名前の洒落だけではなく、本当に美味しいのです。ぜひお薦めします!しかし・・・皆さんの食事の紹介ブログに対抗すると言いながら、スーパーで写真を撮っただけじゃないかという声も・・・。


渋谷 ~特命ビル~すみや etc

2007-11-27 | ぶらり散歩

僕は時々ブラブラと買い物がてら散歩をしますが、これは誰も同伴してくれない。 必ずCD屋や本屋に寄ると言うか、そこに行くのが主目的に結果としてなるので、とても退屈だからだ。

渋谷というと、「若者の街」「子供の町」というイメージを僕は持っているので、いきなりハチ公のいる駅西側に行く気にはならないので、東側に進路を取る。

先日「特捜最前線」について書きましたが、あのドラマの「警視庁特命捜査課」は、この渋谷のビルの最上階という設定になっている。この愛すべきビルの2階に、「すみや」という老舗のサントラCD店がある。まずはここに足を向ける。

捜査は大好きな「西部劇サントラ」。するとこの日もジョン・ウエインの貴重なサントラを発見!

映画「リオ・ロボ」のサントラ!しかし3,500円は高い・・・「限定3,000枚の貴重盤」、手に取ると何と裏に通し番号が!

これって手書き・・・海賊版じゃないのか?思わず笑って写真を撮って、買いませんでした!

コーヒーでも飲みたくなくなったので、ここからすぐのCAFE MERRY COCOへ行く。ここは休日でも空いているし、外国人のウエイターがマナーも良く、コーヒーも紅茶も種類が豊富で、軽食も美味しい。客層がいいので重宝している。ここで曲を書いた事もあるお気に入りのお店だ。コーヒーは飲んでしまっていたし・・・ということでコースターを撮影。(笑)

その後、渋谷西側に移動。やはりガキがお子様が多い街。人ごみがすごいので、ハンズを諦め、ロフトで来年の手帳を購入。来年を頑張って迎えたいので、もう買ってしまった。そしてメインのHMVへCD探しに。するとありました!以前から探していたCD。

1枚はアート・ガーファンクルの「シザーズ・カット」。この中の「Hang on In(邦題:北風のラストレター)」が欲しくて探していました。そしてダイアナ・ロスの1枚。彼女の歌う「Stay With Me」という曲をずっと探していたのですが、遂にそれを収録しているアルバムに大学時代以来の再会!この2枚を購入しました。気分良く帰ろうとしたら・・・

何とクラウス・フォアマンのサイン会の案内チラシを発見。そうビートルズのアルバム「リボルバー」のジャケットをデザインしたアーティストであり、先日「リメンバー」を出版した人です。12月10日(月)19:30に、ここにやって来ます!HMV渋谷店3Fイベント・スペース!ファンの方はお忘れなく。

ちょっと渋谷をウロウロしたら、発見また発見で喉が渇いた。そう言えば・・・マクドのアイスコーヒー無料券があったハズ。ということで、少し無料コーヒーで休憩して帰りました。


怪しげなカラオケ屋さん?

2007-11-19 | ぶらり散歩

さてこの料金表を見て、皆さんはどう思われますか?何だか怪しくないですか?正味でいくらいるんだろうって・・・。あ、これカラオケ屋さんの料金看板です。その上、ここは横浜なんです。横浜市の田舎ではないですよ。本当に横浜駅から徒歩少し。

これが全景。マンションの1階を全てカラオケにしているんです。益々怪しい。なんか後でボッタクられそうで。しかしここ近所なんです。その上小学生の息子がカラオケに行きたいと言い出したので、勇気を出して入りました。すると・・・

こんな写真が目に飛び込んで来ました。そうです「千の風になって」の秋川雅史さんではありませんか!

実はこのお店のオーナーが、愛媛県は西条市に住んでいた当時、音大受験の為に、秋川氏の父親に個人レッスンを受けていたそうです。で、彼女は見事に合格し、秋川さんも彼女の1年後輩で、同じ音大へ入学したそうで、その繋がりでこのサインと写真があったのです。

怪しいどころか、とても安いお値段で、音楽に触れて欲しいというオーナーさんのお店だったんです。ちなみに親子3人で2時間歌って、飲み物込みで1,500円でした!ちなみにこの日は中学生の息子のデビュー戦で、「千の風になって」「少年時代」「ヨイトマケの唄」「メケ・メケ」などを熱唱。これには参りました・・・。どこでこんなラインアップ覚えるんや!(爆)「メケ・メケ」って・・・(爆)


人形町 ~夢の跡地

2007-11-11 | ぶらり散歩

仕事で人形町に行って来ました。人形町と言えば、僕にとっては日本プロレスが思い出されます。力道山が作った、日本プロレスの施設と言えば、渋谷に作られた「リキ・スポーツ・パレス」が有名ですが、この人形町にあった通称「レスリング・センター」と呼ばれた建物こそが、日本のプロレスを作ったとも言える「道場」でした。

アントニオ猪木がブラジルでスカウトされ(昭和35年)、日本に帰国した際、その翌日から通った道場も、この「レスリング・センター」です。日本プロレスの選手達が道場と呼ぶのは、この「レスリング・センター」なのです。昭和30年(1955年)7月8日に完成。鉄筋5階建、延べ700坪、総工費7,500万円。力道山が木村政彦と戦った翌年に完成しています。

その道場で腕相撲をする、兄弟のように仲の良かった猪木と大木の貴重なショット!

当時はのんびりした時代で、近所に住む子供達が、ここに遊びに行って、レスラー達と相撲を取ったり、厳しい練習を見学出来たそうです。この近くの昭和12年から開業している不動産屋さんの社長に案内してもらい、当時の話を聞きました。今では往時を偲ぶものは何も残っていません。つい数十年前のことなのに、何も残っていないのが寂しい限りです。今はNTTの立派なビルが建っています。人形町の駅・交差点から2分ほど。ここから2分ほど歩けば、浜町の「明治座」がある抜群のロケーションに、日本の格闘技界の「礎」になった道場はあったのです。



2006年には、今は亡き大木金太郎選手を囲んだ、こんなニュースもありました。

「往年の名レスラー、大木金太郎さんを囲む会がアントニオ猪木、力道山夫人の田中敬子さん、野球評論家の張本勲氏を代表発起人に都内で開かれ、坂口征二、星野勘太郎、木村健悟各氏らが出席。かつて人形町の日本プロレス道場で大木さん、猪木と汗を流した間柄の張本氏は、34年ぶりの再会をアレンジした猪木に「40年前の義理をよう忘れんと…チャンピオン、あんた男や」と感謝感激。猪木は「この来日が最後にならないように、こうして出てくることで元気になれば」と、闘病生活を送る大木さんを励ましていた。」