青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

アメリカ・25セント記念硬貨

2007-06-21 | こんな「モノ」ありました!

現在、アメリカ造幣局は、アメリカ全50州を祝う『50 State Quarters Program』と名付けた25セント記念硬貨を発行しています。1999年~2008年の10年間、1年に5州づつの割合で、50州のオリジナルデザインの施されたクォーターコインが発行されるというもので、3大ネットワークでもトップニュースとして取りあげられたほどです。

発行順序は州として認められた順で、1787年に一番初めに州となったデラウエア州から始まり、1959年に第50州となったハワイ州で終わります。今日現在で、42枚が発行されています。各記念コインのデザインは各州にまつわるもので、ユニークに富んでいます。(このデザインは一般公募され、発行予定年度の1月に発表されます。この秘密も楽しみの1つです。)

発行は各州とも1年限りであるため、発行数も限定されています。僕の友人がアメリカに滞在中、25セント硬貨に何枚も種類があるのを見つけ、それを集めて僕に教えてくれたのが、事の発端でした。アメリカ大好きな僕は当然欲しくなります!本当は自分で集める過程が楽しいのは分かっています。でも、コレクションとして持っておきたいという気持ちを抑えることも出来ません。そこで僕はアメリカ在住の親友に、収集を依頼しました!そして、現在発行されている全てのコインを送ってくれ、遂に昨日僕の手元に届いたのです!感動!

少し(かなり?)早い僕への誕生プレゼントとして送ってくれました。まさしく僕の宝物です!まだ8枚が未発行ですが、最後の1枚は「ハワイ州」で、コレクションが完成する瞬間が楽しみです。

何枚かを紹介しましょう。これを送ってくれた友人の住むカリフォルニア州は、1850年9月9日に合衆国の31番目の州となりました。ニックネームは "Golden State" (金の州) で、カリフォルニア州の25セント硬貨には、博物学者でありであり、又、自然保護者であったジョン・ミュアがヨセミテ渓谷の "Half Dome" として知られている花岡岩一枚岩に感嘆しているところと、舞いあがるカリフォルニアコンドルがデザインされています。コインの裏には、 "California," "John Muir," "Yosemite Valley" と "1850" という碑文が刻み込まれています。

僕のもう1人の親友が住んでいるマサチューセッツ州の25セント硬貨は、 "The Minuteman" と呼ばれているマサチューセッツ州のコンコルド国立歴史公園の保護官の像をフィーチャーしています。"The Minutemen" たちは我々の国を守るために重要な役割を果たしました。彼らは独立戦争の際、英国を打ち破る助けをするために結集したのです。彼ら普通の農夫や開拓者たちは、いつでも準備完了していて、知らせをうけてからわずか数分で隊列を組み戦えるよう訓練されていたのです。これが "minutemen" の語源となりました。

テネシー州の25セント硬貨は、国民の音楽の遺産に対する州の貢献を祝うものです。デザインには、楽器と楽譜と"Musical Heritage"という碑文が組み込まれています。バイオリンは、テネシー州東部のアパラチア地方の音楽の象徴。トランペットは、有名なメンフィスがあるテネシー州西部のブルースを代表するものです。ギターは、テネシー州の中央部、カントリーミュージックの故郷であるナッシュビルの象徴です。

テキサス州の25セント硬貨には、州の外形図と外形図に重ねられた星と、"The Lone Star State." という碑文が刻み込まれています。これらのデザインを囲む縄(牛や馬をつなぐ)は、大地を開拓したフロティアスピリットとして知られている、テキサスの家畜とカウボーイの歴史の象徴です。テキサスという州名はインディアンの言語の"tejas"を語源としています。この意味は、友人あるいは同盟を意味し、テキサス州のモットーである『フレンドシップ』を讃えるものです。実際、最も知られているテキサス州のシンボルは、州の旗にも使われているユニークな形状を持つ一つの星です。テキサス州の旗のデザインは、1839年にテキサス共和国がこれを定め、1845年に州の旗として認められました。一つの星と赤と白と青の3本線いういうシンプルなデザインは、勇気、純粋、忠誠心、尊敬心を表現しています。テキサス州はその大地に、スペイン、フランス、メキシコ、テキサス共和国、アメリカ植民地同盟、アメリカ合衆国とい6つの異なる旗が掲げられた唯一の州でもあるのです。

そしてこれが50枚目のハワイ州のコインの図柄です。カメハメハ大王がやっぱり使われますね。


父の日 ~ ペイン・スチュアートに捧ぐ

2007-06-13 | スポーツの話題

6月の第3日曜日は父の日です。母の日は日本もアメリカも共通ですが、父の日はどうなのでしょう?実は父の日も共通です。僕がそのことを知ったのは、ゴルフの全米オープンからです。全米オープンは最終日の日曜日が、父の日になるのです。そのため、選手の優勝への思いはより強くなります。ある年優勝したジャック・ニクラウスのインタビューの中で、僕はそれを知りました。

しかし最も感動的なエピソードは、1999年の全米オープンです。その前年1998年の全米オープンで、僕の好きなペイン・スチュアートは1打差で優勝を逃していました。この年も最後に大ピンチがやって来ましたが、フィル・ミケルソンに勝って優勝しました。敗者ミケルソンの落胆。それはペイン自身が1年前に味わったもの。ミケルソンに対して励ましの言葉をかける最適な人物こそが、優勝したペインでした。彼はミケルソンの頭を両手で抱きかかえながら大声で叫んでいました。

 

"Phil, you become father soon! The world does not have things more than it! "

フィル、君はもうすぐ父親になるんだな。世の中に、それ以上のものは無いぜ!

 

ミケルソンの奥さんは、翌日の月曜日に可愛らしい女の子を出産しました。もしプレーオフになっていたら、プレーオフは翌日の月曜ですから、ミケルソンは棄権して、妻の出産に立ち会っていたかも知れないと語っていました。


ペイン・スチュアートはこの年、1999年10月25日、ジェット機事故で死亡。享年42歳でした。


続 ☆ ビリーズ・ブートキャンプ

2007-06-10 | スポーツの話題

以前に「ビリーズ・ブートキャンプの真実!」というレポートをお送りしましたが、今日はその続編をお送りしたいと思います。

まず第1に、「ビリーズ・ブートキャンプ」が、インチキな宣伝ではなく、本当にアメリカでも有名であるということが分かりました。(笑)全米大ヒットと言う文字を我々はよく見ますが、実際は「?」という中、これは本当に知名度がありました。僕の友人のアメリカ人で、ビリーズ・ブートキャンプを持っている人数の多いこと!ただし続かなかった、効果を出せなかった人が大半なのは残念でした。(笑)

さて本題。このブログの読者の方々の中にも、ブートキャンプに入隊した兵士達がいると思いますが、成果の方はいかがですか?ここで僕の1か月の成果をレポートしましょう。結果は体重3キロ減。ただし食事は全く制限なしです。お腹の脂肪、背中、腕、太腿の脂肪は無くなりました。そして代わりに筋肉で引き締まりました。お腹の脂肪は1番最初に付くので、取れるのも最後ですし、まして僕は中年でもあるのでもう少し時間が必要ですが、鳩尾の下2段が割れて来ました。実に劇的に身体が締まって来ています。

このビリーズ・ブートキャンプは結果が必ず出ますが、苦しいプログラムで楽ではありません。僕は初日10分でダウンしました。(笑)厳しいウエイト・トレーニング(筋トレ)や、自分のペースでのサーキット・トレーニング等は得意でしたが、最近は走りこみをしていなかったので、こういうエアロビクス運動はもの凄く苦しかったのです。武道の有段者(僕は柔道4段)が10分でダウンです。(笑)

よく女性がエアロビをジムなどで1時間は連続して行い、気持ちの良い汗をかいてスッキリした顔をしている宣伝がありますが、それとは程遠いものでした。しかし、とにかく運動量を減らして50分動く!それだけを意識しました。

勿論ビリーズバンドを使う余裕なんてありません。基本プログラムを1週間、これで50分間バンドは無しで出来るようになりました。次にバンドなしで応用プログラムを1週間かけて出来るようにしました。この応用プログラムが1番苦しいと思います。とにかく50分、回数は少なくても続けるのです。



次にビリーバンドはきついので、100円ショップで、50グラムの鉄アレイを買いました。小さな可愛いものです。これをバンドの代わりにして、負荷をかけることを始めました。効きます!(笑)注意することは、握力が弱って、テレビや壁に投げてしまわないことです。(笑)いや本当。そして今、やっとビリーバンドを使って、基本プログラムを完璧に出来るようになりました。

ここまでやって得たものが、前述の身体の変化です。もう代金の元は取りましたね!(笑)身体が以前より軽く、日頃のコンディションが全く違います。運動後の爽快感もあります。休んだのは3日ほどです。どうしても身体の調子の悪い時でしたので、思い切って止めました。「継続は力なり」といいますが、こういうことは性分なのでしょう。僕は止めることが恐いのです。休むことで、これまでの効果が消えそうで・・。でもやりたくない時に無理にやると、嫌になりますので、皆さんは休んで下さい。そしてまた再開しましょう。



止めてしまう人の傾向は、毎日体重計や体脂肪計に乗る人に多いようです。お腹周りをつい測る人もそう。こういう数字はすぐに変わるものではありません。1週間単位で測れば、必ず成果が確認出来ますので、喜びと共に更なるやる気が生まれます!そして翌週も頑張れます。1週間ごとに結果を確認するといいでしょう。目標は更なる好コンディションの維持と、20代の身体に戻すことですね!ビリーズ・ブートキャンプで健康を手に入れましょう!


カントリーロックの雄「ポコ」を知っていますか?

2007-06-06 | 青春の音盤

僕のよく行く音楽サイトでも、なかなか目にしないグループがあります。60年代から現在も活躍している「ポコ」というカントリー・ロック・グループです。ウェスト・コーストのミュージックシーンを代表するバンドの1つであり、美しいハーモニーとアコースティック・サウンドが特長です。ランディ・マイズナーとティモシー・B・シュミットの2人も、このポコを経て、イーグルスへ参加しました。

1968年、バッファロー・スプリングフィールドのジム・メッシーナとリッチー・フューレイ、 "The Poor"というグループにいたランディ・マイズナーら5人によりポコは結成されました。この時のバンド・オーディションを、ティモシー・B・シュミットも受けていましたが、ランディ・マイズナーの前に落選しています。1969年4月になって、アルバムのレコーディング中に、ランディ・マイズナーが脱退。彼はイーグルス結成メンバーの1人となります。1970年にはランディ・マイズナーの代わりに、一度はポコのオーディションに落選したティモシー・B・シュミットがポコに加入。その後何度もメンバーチェンジはありましたが、今でも現役のグループとして活躍中で、20枚を超えるアルバムをリリースしています。

ちなみにアルバム「ホテル・カリフォルニア」を最後に、ランディ・マイズナーはイーグルスを脱退しました。その後、ベーシストとしてイーグルスに加入したのは、又もティモシー・B・シュミットだったというのは因縁です。僕のお薦めは1980年にリリースされた、14枚目のアルバム”Under The Gun”です。