青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

防犯カメラに安心 ~いつから?

2024-11-14 | ぶらり散歩
阪急電車に乗っていると、何と今日になって気が付きました。
 
車両内に防犯カメラが‼
 
 
昔は「防犯カメラ=監視カメラ」という意識があり、見張られているという思いから、良い気分ではありませんでした。
 
でも今では、犯罪防止や何等かのトラブルに巻き込まれた時に、無罪を証明出来る証拠になれば良いことだと、監視カメラが防犯カメラという名前に変わり、安心の為のツールになっています。時代の流れというか、犯罪の抑止に、こういうものが至る所に必要になって来たということ。
 
日本の治安がどんどん悪くなっている証拠です。言い方を替えれば、民度の低い馬鹿な日本人が増えているとも考えられます。もっと教育に力を入れないと、「昔は良かった」と全ての年代の人が嘆く社会になり果ててしまいます。
 
阪急電鉄では、車内のセキュリティを強化するため、2027年度末までにすべての車両に防犯カメラを設置する計画だそうです。
 

港・神戸の繁栄はどこに?

2024-11-12 | ぶらり散歩
JR神戸駅の地下・デュオ神戸の目抜き通り。今年で何と3年連続、同じクリスマスの飾り付け。「サンタとツリー」なのですが、このショボさ‼
 
 
この前で写真を撮る人もいないし、集客に全く貢献していません。
 
神戸のこの界隈で仕事をしている方はご存知でしょうが、いろんな団体がこの辺りにはあります。地域振興、町おこしと言えば体裁は良いのですが、昔でいう第三セクター、天下り団体が多い❗️多い❗️

神戸ハーバーランドで企業でもしたら最後、一体いくつの団体から年会費だ、宣伝費用だ、イベント代だとお金を求められるか 呆れるようなお金(ホテルで年間160万、JRなんか年間1千万)を集めているのに、こんな飾りを置くだけ。そのお金はどこに消えて行くのか?ヤクザを規制しても「みかじめ料」は違う所に集まる。政治の裏金より、こういう身近な不明瞭な団体の金を取り締まるべきです
 
企業から寄付金ばかり強制的に集めて懐を潤すのではなく、自分たちで集客して稼いで下さい😡 

 


この先どうなる?駅前の治安!

2024-09-24 | ぶらり散歩

コロナで寝込んでいる間に、阪急宝塚線・池田駅前の景色が一変していました!

半年以上前に、池田駅前から「ロッテリア」が撤退しました。いつでも座れる食事処としては悪くなかった。そこに遂に「マクドナルド」が開店しました。僕は「バーガーキング」か「モスバーガー」なら食べますが、マクドは大嫌いです。店内が騒がしく、子供とマナーの悪いおばさんが多いイメージしかない。
 
案の定・・ロッテリア時代と違って、駅周辺がものすごくハンバーク臭くなりました。なぜ?と思うほどハンバーグの臭いが駅周辺に充満しています。
 
 
でも、最も驚いたことは、池田駅を通る若い人たちが、実はこんなにいたんだということ‼ 若者がマクドに集まっている光景に大いに驚きました‼
 
しかし・・この駅線路の西側は、「せせらぎモール」と呼ばれ、小川と花壇と、ちょっとしたベンチが憩いの場所だったのに・・・この緑で囲んだ写真がついこの前。
 
 
今はコロナで寝ている間に・・・この景色が消えてしまいました。マクドの臭いが立ち込める、何も無い通路に。
 
 
ここはただでさえ何も考えないオバサン達がノーヘルメットで、自転車で駆け抜ける場所です。それが、小川や花壇が無くなれば、益々危険が増すのに・・・。ここでの交通事故、絶対に今後増えると思います。
 
 
何でも維持費が掛かるものを削れば良いというものじゃない‼ 安心の町作りを考えてもらいたい‼ 大阪維新に任せていると、ロクでもない大阪になりそうな気がして仕方がない。大阪万博でも、万博のテーマに何の関係も無い、「ブレイキングダウン」に「インディープロレス」等のイベント開催。馬鹿なのか‼ 

 


リキレストランの味を伝える“レストラン香港”

2024-07-15 | ぶらり散歩

僕が東京に住んでいた時、ここで食事をすることが出来て心から「間に合った」と安堵したお店が2軒あります。1軒は蕎麦店「たけや」。リキスポーツパレスの近所にあったお店で、力道山の弟子のアントニオ猪木やジャイアント馬場ら、若いレスラーのたまり場になっていたお店です。(リンクから記事にどうぞ)

そしてもう1軒が今日ご紹介する「レストラン香港」です。どちらも昭和の日本プロレスと切っても切れない関係にあった懐かしいお店で、歴史に埋もれて消えて行く前に、足を運ぶことが出来た喜びを感じました。

1961年7月、渋谷に総合娯楽施設でもあるプロレスの殿堂「リキスポーツパレス」が落成。あの力道山が心血を注いで築いた大きなビルでした。このビルには、「リキレストラン」という高級西洋料理店も入っていました。力道山が亡くなり、リキスポーツパレスが売却され、リキレストランも1967年2月に閉店。このリキレストランは猪木、馬場は勿論、ルー・テーズやカール・ゴッチらも食事を摂った伝説のお店ですが、このお店のシェフだったのが髙梨正信さん。彼はその後、アントニオ猪木が興した新日本プロレスのプロモーターにもなるのですが、今日はプロモーターとしての顔の話は置いておいて・・。

その素晴らしい料理の腕前を買われながらも、髙梨さんは西落合にあった「香港」という中華屋を、名前ごと居抜きで買い取り、元々は町中華なのに、洋食屋をスタートさせます。現在のお店から数百メートル離れた場所で、67年3月に開店。開店当時はラーメンや餃子も出していたそうです。

そして、1976年8月、猪木ーアリ戦の2か月後に新築したのが現在の店舗で、店内にはプロレスファン感涙の写真や貴重なグッズが飾られています。

何も知らない人からすれば、昔ながらの町中によくあるお店。値段も安く、素通りしてしまいそう。ところが1歩中に入ればとんでもないお店なのです。

厨房の紳士がシェフの髙梨さん。

壁に貼られた懐かしいポスターや写真。写真1枚1枚にはとんでもない顔ぶれが写っています。まさに日本のプロレスの歴史。

特に貴重なものが、この上の額の中のもの。左下は1976年6月23日、京王プラザにおいて猪木の提案で「勝者賞金総取りルール」に猪木とアリがサインを入れた合意書のコピー。当事者である猪木とアリが勝手に合意し、これが大問題になり、試合前にアリ帰国かという騒動に。

実物はアリ側が回収して処分したため、本当に貴重な猪木ーアリ戦の舞台裏を示す証拠品で、その下は特別リングサイド10万円のチケット。

右上のブレザーは「IWGP実行委員」の特製ブレザー。これは猪木のマネージャーだった新間氏がIWGPの為に作らせたものながら、IWGP実行委員は実は、坂口副社長、新間専務、大塚営業部長(役職は当時)のたった3人だったのです!

このジャケットは3着しかなかったブレザーの内、大塚営業部長が着用していたもので、髙梨氏に寄贈されたもの。

またこちらは、レストラン香港の再オープンのお祝いに、猪木から贈られたサイン入りのパネルです。写真は1974年12月12日のストロング小林との再戦。

こういうお宝が店内に飾られており、肝心のお料理はリキレストランで力道山が好んだ味そのままの料理!本当にプロレスファンにはたまらないお店なのです。僕はこのお店に足を運ぶことが出来て、本当に幸せでした。

皆さんもぜひ・・・。

 


夜のハイテンション酒場・・え?この名前は?

2024-05-09 | ぶらり散歩
阪急宝塚線・石橋阪大前駅は、僕には昔から縁があります。普通は自分の住んでいる駅からだと、より都会側、つまり大阪側に位置する駅に馴染みがあり、その逆方向の駅には子供の頃は縁が薄いのが一般的だと思います。例えば豊中駅が最寄りの駅の子供たちは、「岡町、曽根、服部、庄内、三国、十三、中津、梅田」と大阪に向かっての駅名は覚えるのですが、その逆方向「蛍池、石橋、池田~~~宝塚」はなかなか言えない子供が多かった。
 
だから僕たちは、電車の車窓から景色を眺める機会も無い、大阪とは反対方向の町へ、「探検」と称して自転車で向かったのです。昭和30年代の北摂(大阪北部)は、溜池も多く、雑木林も多く、道路もアスファルト舗装されていない場所が多い時代です。水筒にお茶を満タンにして、食パンやお菓子を少し持ち、年上の小学校4年生くらいのお兄ちゃんがリーダーとなって、1年生くらいまでの幅広い子供たちで探検に出発するのです。
 
そんな「石橋」、現在は「石橋阪大前」と呼ばれる駅の界隈は、今もどこか昔の面影を漂わせています。現在の石橋と昔の昭和の石橋を比べた楽しい記事を今後掲載したいと思っているのですが、その前に今日は・・・
 
石橋を散策していると面白いと言うか、微妙な看板のお店を見つけました。
 
 
夜のハイテンション酒場・・・ここまでは良いのですが、その後が何とも言えない名前でしょ?