青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

元禄・赤穂事件の史跡を巡る!

2017-12-14 | ぶらり散歩

「今年の漢字」が話題になるのは仕方がないにしても、朝から晩までコロナ、コロナ。今年の漢字も「密」。感染者数を発表し、全国的に真冬の寒さと天気予報。全米女子オープンは最終日が延期になり、渋野日向子はどうなるのか?それはともかく、「何か忘れていませんか?」と言いたいのですが、今の若い人たちには話題にもされていないようです。

 

今日12月14日は、赤穂浪士の討ち入りの日です。

 

余りにもそこへの言及が無いことに、何とも世の中から余裕が消えていると感じます。

元禄14年3月14日(1701年4月21日)に江戸城中で赤穂藩藩主の浅野内匠頭長矩が、高家旗本の吉良上野介義央に対して遺恨有りとして殿中刃傷に及ぶも、討ち漏らして切腹処分となりました。その後、浅野の遺臣である大石内蔵助良雄以下赤穂浪士47士が翌15年12月14日(1703年1月30日)に吉良屋敷に討ち入り、主君に代わって吉良上野介を討ち果たし、その首を泉岳寺の主君の墓前に捧げたのち、幕命により切腹しました。これが元禄赤穂事件ですが、ドラマや映画ではいろいろな脚色がなされています。

浅野内匠頭長矩が、江戸城松之大廊下(まつのおおろうか)で吉良上野介義央を斬りつけましたが、時代劇では襖絵に巨大な松が描かれている作品が多い。でも、数年前に実際の襖絵の資料が発見され、松之大廊下は松並木が続いたものであることが分かりました。でも、その絵に変わった忠臣蔵のドラマや映画は1本しか作られていません。2008年の今日放送された田村正和主演の「忠臣蔵・音無しの剣」では、松並木になっていました!現在、皇居東御苑内の松之大廊下があった場所には、その所在を示す碑が建てられています。

また討ち入りの時に雪が降っていたというのは『仮名手本忠臣蔵』での脚色であり、実際は冷え込みが厳しかったが満月のほぼ快晴だったと言われています。

僕も昔は京都で史跡巡りをしたり、東京や函館まで足を延ばして新選組関連の史跡を訪ねましたが、関東に出た時には、赤穂浪士の史跡を見ておかなくては!と思い、47士の足跡を訪ねました。

ここは東京墨田区の本所松坂町公園。ここが何と忠臣蔵の討ち入りの「現場」である、吉良上野介邸の跡地です。

赤穂浪士を語るなら行かなくてはならないのが、東京都港区高輪二丁目にある曹洞宗の寺院で江戸三箇寺の1つ、泉岳寺(せんがくじ)。浅野内匠頭と赤穂浪士が葬られているお寺がここです!駅からわずか徒歩1分の場所にありました。現在も多くの参拝客が訪れますし、毎年12月13日、12月14日には義士祭が催されます。ところがこのお寺は、義士の討ち入り後、当時の住職が義士の所持品を売り払って収益を得たことに世間の批判が集まり、あわててこれらの品を買い戻しに走ったというエピソードがあります。実話です。

境内に入って行くと、大石内蔵助の銅像が出迎えてくれます。(しかし関東は銅像が好きだな・・・と思うのは私だけでしょうか。いろんな所で銅像を見ます。)

そしてこの寺の敷地内には義士を祭る場所や、何やら「いわく」のある場所がありました。まずはここ。

浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと言われている梅の木と石です。

「首洗井戸」!吉良上野介の首級をこの井戸で洗い、浅野内匠頭の墓前に供え報告したところから、この名がついた井戸です。さすがにこういうものを見るのは不気味です。

ここからが赤穂の義士の眠る場所になりますが、きちんとどれが誰のお墓であるかが分かるように、見取り図もあります。

浅野内匠頭のお墓も、彼の家来達と共に眠っています。辞世の句は「風さそふ花よりも猶我はまた春の名残をいかにとか(や)せん」。

こちらは討ち入りの指導者である、大石内蔵助良雄のお墓。辞世の句は「あら楽や思ひは晴るゝ身は捨つる浮世の月にかゝる雲なし」です。

ちなみに当日、吉良を討った義士達が、吉良邸から泉岳寺まで歩いたコースを辿って見ると、約12キロ、歩いて3時間ほど掛かりました。途中、いろいろ見学しながらでしたが・・。2~3時間にも及ぶ討ち入りの後の、この勝利の凱旋12キロは、義士の胸に何を去来させたかは僕には分かりませんが、今の若者にはこの討ち入り~行軍は、結構タフなものになるのは間違いないでしょう。


「スター・ウォーズ / 最後のジェダイ」

2017-12-14 | 青春・名画劇場

いよいよ明日12月15日は、「スター・ウォーズ / 最後のジェダイ」の公開日。1978年6月24日に、「スター・ウォーズ」を先行ロードショーで観てから、一連のシリーズを毎回初日に観て来ました。また毎回その時々、僕は大切な人と一緒にこのシリーズを観に行っています。相手は勿論仲の良い友人や恋人であったり、自分の息子であったり、そこにも思い出があます。明日も勿論観ます!新シリーズ・エピソード7~9は、正直面白くないのですが・・(笑)

しかし、2005年の「スター・ウォーズ エピソード3 / シスの復讐』公開時においても、ノベライズ本が公開直前に発売されていたのに、今回は全く公開前にストーリーが明かされていません。映画の宣伝方法も変われば変わるものです。もう少し幅広い人々に映画を認知させるための、パブリシティーを展開しても良いと思うのですが。今の手法は、完全にターゲットを絞り込んでいるようです。

70年代までの歌謡曲を見ると、全世代の日本人というか、時代そのものを相手にヒット曲を作ろうとしていました。しかし最近は、細分化されたファン相手に、曲作りが行われています。昔の曲は、「歌は世につれ、世は歌につれ」と言われたように、時代を代表する誰もが知っているヒット曲がありましたが、今はそんな曲が生まれない時代になりました。音楽も映画も、昔と現在とでは流行の仕方が全く変わってしまいました。

1978年といえば、一連のパニック映画のブームが終息し、「未知との遭遇」の公開を皮切りに、SF映画ブームが起きた年だと私は記憶しています。同時にジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグら、「映画監督」という名称よりも、当時は「フィルム・メーカー」と呼ばれる方が似合った人々のブームがスタートした年だったと、僕は記憶に刻んでいます。

ゴールデンウィークには「宇宙からのメッセージ」がスター・ウォーズ人気に便乗するように公開され、夏にはそのクライマックス・シーンが「スター・ウォーズをパクっていない?」と疑問視されもした「さらば宇宙戦艦ヤマト」が、スター・ウォーズを迎え撃ちました。主題歌を沢田研二が歌ってヒットさせたのが、ついこの間の夏の出来事のようです。

スター・ウォーズ人気に便乗するような形で、いろいろな映画が公開されたのは、スター・ウォーズの日本での公開が、本国アメリカよりも1年遅れだったからです。アメリカにおいて公開されたのは、1977年5月25日。当時は誰も大ヒット作品になるとは予想していませんでした。日本での映画の公開は、本国に半年ほど遅れるのが当たり前の時代。アメリカでの大ヒットを受け、日本では観客の動員が見込める、夏休み期間の公開となりました。公開前からサントラを聴き、ノベライズを読み、ストーリーを知っていても、劇場で観たスター・ウォーズには衝撃を受けました。あの時の感動は今も忘れられません。

この後、「スーパーマン」「エイリアン」「スター・トレック」と、シリーズ化されるようなSF映画が続々と公開されました。

今日の記事の書き出しに、「スター・ウォーズ」について少しだけ言及しようと思っただけなのが、書き始めると思わぬ方向に筆が進んでしまいました。(笑)

今日僕が聞いたところによると、今何かと話題になっている、英国のウィリアム王子とヘンリー王子が、「スター・ウォーズ / 最後のジェダイ」に、ストームトルーパーとしてカメオ出演しているそうです。前作ではジェームズ・ボンド役の「ダニエル・クレイグ」が、セリフのあるストームトルーパーに扮していたそうです。僕は気が付きませんでしたが。皆さんも、仲の良い友人や恋人、家族で劇場に足を運ばれてはいかがですか?