清水寺が選んだ今年を漢字1文字に例えれば・・は、「戦」でした。ロシアーウクライナの戦争もありましたが、そもそも世界のどこかで戦争が無い年なんて、あるのでしょうか?世界平和は誰かが何か名演説をしたからと、それで実現するものではありません。
平和は与えられるものではない。領土を侵されていても、国民がさらわれても何も対抗出来ず、舐められている国には外交も無理です。日本人も口先だけではなく、国防の在り方を議論すべきです。そういう最も大切な国の存亡、国民の命に直結する問題を放置して、やれLGBTだ、SDGSだと言うのは順番が違う。そう強く思います。
この整備工場は、大阪・池田市に僕が子供の頃ありました。
昭和30年代半ばに撮影された写真ですが、大阪国際空港正面から少し右(北)に行ったところに整備工場がありました。
ここには敗戦時の日本の戦闘機や、朝鮮戦争で破損したアメリカの戦闘機が置いてありました。子供たちは勿論、誰もがそんな戦闘機の姿を見ることが出来たのです。同時に両親から、「もしまた戦争になったら、この辺りは1番に攻撃される」と、自分の住んでいる地域が危険な地域だと教えられました。空港施設は1番に攻撃の標的になるからです。
第二次世界大戦後、戦時中の反動で日本が平和を渇望して左思想が拡がり、とにかく戦争反対を訴え、そういう思想が学校教育にも色濃く反映し、今の日本になったことは理解出来ます。しかし、世界のどこをどの時代を探しても、たった1度の敗戦によって「自分の国がしたことを反省し、全てを悔い改めて、二度と戦争はしない、軍隊も持たない」等と愚かな事を言った国は日本だけです。
本当の意味で自立した上で、アメリカとの同盟関係を維持する。そうでないと、日本は中国(ジャイアン)や反日主義の国(スネ夫)に虐められ、いつもドラえもん(アメリカ)に泣きつく「のび太」のままで終わってしまいます。