青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

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「大きな古時計」物語 2

2018-05-05 | 雑学(教養)の部屋

「大きな古時計」が発表される2年前の1874年。「大きな古時計」の作者、アメリカ人のヘンリー・ワークはイギリスにいました。彼が宿泊したホテルは、ダーラム州ピアスブリッジの川沿いにある小さな「ジョージ・ホテル(George Hotel)」。

ホテルに入ったワークの目に、古びたロングケース・クロック(long-case clock)が留まった。動いてもいない古びた時計が、わざわざ目立つ玄関ロビーに置かれていたからです。針の止まった古時計に興味を持ったワークが尋ねると、ホテルの主人はとあるエピソードを静かに語り始めました。

ワークの訪れる数年前まで、ジョージ・ホテルは、ジェンキンズという二人の兄弟が所有するホテルでした。この兄弟は地元の人々からの信頼も厚く、人付き合いのいい兄弟だった。ジョージ・ホテルのロビーには、2メートルを超える大きな木製の時計が置かれていました。それはジェンキンズ兄弟の兄が生まれた日に購入されたもので、ホテルの顔となっていたのです。この大きな時計の正確さには定評があり、宿泊客が馬車の出発の時刻を知るのに、とても役に立ちました。時間が狂うことは1日もなく、1年中正確な時を刻み続けていたそうです。

ところがある日、ジェンキンズ兄弟の弟が病に倒れ、帰らぬ人となりましたた。すると、今まで正確に動いていた大きな時計の時間が急に遅れ始めたのです。最初はほんの数分程度の遅れでしたが、弟の葬儀が終わる頃になると、時計屋が注意して管理・修理していたのにもかかわらず、大きな時計は徐々に遅れの度合いを増し、遂には1日に15分も遅れるようになりました。

弟の死から1年以上経過したある日、後を追うように今度は兄が亡くなりました。彼の死を聞いてホテルのロビーに集まった友人達は、大きな時計を見て騒然としました。時計の針は「11:05」、すなわち兄の死の瞬間の時刻を指し、動いていたはずの振り子もその動きを止めてしまったのです。

ホテルの主人から聞いたこのエピソードは、ヘンリー・ワークに強いインスピレーションを与えました。強い創作意欲に掻き立てられたワークはその夜、徹夜でこのエピソードを基にした曲を書き上げたのです。その曲が「大きな古時計」の原曲です。ワークがこの曲を早速アメリカに持ち帰り発表したところ、たちまち多くの人々の賞賛を得て、この作品はミリオンセラーになりました。この曲がヒットする前は、大きな時計は一般的に「Coffin Clock(棺桶時計)」とか「Long Case Clock(ロングケース・クロック)」などと呼ばれていたが、「My Grandfather's Clock」の発表以来、大きな時計は「Grandfather's Clock(おじいさんの時計)」と呼ばれるようになったと言います。

「大きな古時計」の原曲のメロディーは、さすがに100年以上も経っている為、21世紀の今日知られるメロディーとは微妙ではあるが異なっています。この点については、単に英語と日本語の語感の違いが原因の部分もあれば、時代を反映したアレンジがなされた部分もあるでしょう。参考までに、1876年に発表されたオリジナルのメロディーを楽譜から再現してみました。特徴としては、オリジナルでは符点八分音符と十六分音符が多用され、躍動感・リズム感が強調されていると言えるのではないでしょうか。



原曲のメロディを聴く!

 

ちなみにこの曲の発表された年については、あまり言及されていませんが、アメリカ独立100周年です。またアメリカ民謡の父スティーブン・フォスター生誕50年でもありました。

さて、この曲には続編があることを、皆さんはご存知でしょうか?次回の3部作・最終回は、その続編をご紹介します。「おじいさんの大事な古時計が売られてゆく・・・」名曲「大きな古時計」の続編とは?ご期待下さい。今日の記事のホテルの写真は、全てジョージ・ホテルで撮影したものです。