孤独を傍らに置けないオートバイ乗りは
真の意味でその楽しさを知らない。
徒党を組んで走るばかりでは、ただの烏合の衆だ。
何が悪い?と云うならば敢えて云わぬが、
そんなのオートバイ乗りではない。
得体の知れない不安から逃れるために仲間を求めても
そこには何の解決の答えはない。
あるとすれば、それは一時の気休めで
それが証拠に、ひとりになればまた云いようのない不安に苛まれる。
オートバイに乗ることは、ひとりであることを確認する行為だ。
ひとりであることに安堵できれば、ひとりであることは何も怖い事ではない。
むしろ、わずかな共通点でつながる仲間の方が危うくて恐ろしい。
「絆」という言葉が流行した時、そこにあるそこはかとない気味悪さに寒くなった。
「絆」とは断つに断てない絆し(ほだし)のことだ。
元々は牛馬をつなぎとめる綱の意。
絆されるとは、束縛を意味する。
災害で窮地に陥った人々との絆を求める。
なんという違和感だろう。
一億火の玉。
あんなにも毛嫌いするイデオロギーに人々は安易に飲まれる。
オートバイを愛し、オートバイを日々傍らに置くものが
安易に集団に飲まれてはいけない。
ボクたちは世間から浮き上がっている分、もっと冷静に風の流れを読めるはずだ。
いや、そうで無くてはいけないのだ。
愛する女を決めるより、仲間を認めるのはむずかしい。
物分かりが良すぎるのも、どうかと思うぜ。
〇
リアサスのシールが抜けた銀じぃ(R100RS)で走りに出た。
元々すでにヘタっているから、走りに大きな違和感は感じない。
まだジンワリにじむ程度でそれ程でもない。
オーバーホールと云う選択肢は無いようなので、リプレイスするしかない。
ヘイゴンか、アイコンか、オーリンズか。
未再生であることにこだわっている訳ではないけど、
性能がリファインされるのは望んでいない。
R100RSが本来持つキャラクターを無くしたくはないのだ。
アイコンくらいがいいのかな?
その昔、赤いショック(アブソーバー)のコニーと云えばなかなかどうして
その性能もさることながら、おしゃれなリプレイスパーツだった。
今になってKONIにお世話になるとは・・・・・・感慨深い。
といってもまだアイコンに決めた訳じゃあない。
関係ないけど、オーリンズって「オー」って云ってる部分は
オーウムラウトなので、正確には「(ォ)エーリンズ」だよ。
どうでもいっか?
〇
物分りがいいってことは、それはひとつの才能だし、
こんなめんどくさい世の中では、大切な資質なのかもしれない。
ただあまりに簡単にオーム返しの木偶の坊に成り下がってはいないか。
たとえ不利益を被っても、守るべき自我はないものか。
エゴでは飯は喰えぬ、とこないだ自分で云ったのだけれど、
やせ我慢が必要な時もあるだろう。
「自分を褒めてやりたい」とはオリンピックメダリストの言葉だが、
どこまでいっても自分を甘やかしてはいけない、とボクは思う。
なぜなら自分に甘いのが人間の常だから。
オートバイに乗っていると、
ボクはなんて自分に厳しいのだろう、と思うことがある。
真夏の太陽に焙られ、冷たい雷雨に打たれ、木枯らしに指の感覚を無くす。
そしてその度に、ああこれが生きるということかと、改めて気付かされる。
そんな時、ひとりである不安は木端微塵に砕け散り、
真の意味での孤独を手に入れることができる。
ひとりでも生きられるが、ひとりでは生きられない。
ひととはそういう生き物だ。
ボクは結局、IKONにリプレイスしましたけど、
ダンパーだけなら純正品が手に入るようですね。
資金が出来たら、純正に戻したいと思っています。
あの感触は独特で、ツインショックのまさに肝ですね。