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里に秋が下りる頃
昨日まで晩秋の低い日差しに透けて輝いていた櫨の真っ赤な葉が
今日は色を失って枯れていた
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一日中強く吹き荒れる木枯らしに葉っぱたちはひとたまりもなく
抱かれる、というより無残に風に舞い散っていく
もうこうなるとボクには何の太刀打ちも出来ない
冷たい冬がゆっくりと確実に
里に根付くのをただただ受け入れるしかない
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ジョウビタキの姿を庭に見つけると冬の訪れは確実で
羽根がキレイなかわいい小鳥なのに
「もう来たのかい?」
とちょっと悪態もつきたくなるのだ
そして深い溜息とともに
山へ踏み込めるのも今日が最後かもしれないと強く感じる
そう思う焦りからか晴れた日には時間を惜しんであちこち走り回るのだが
その度に逆に寂しさも込み上げる始末だ
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もうこの歳になると
死がいつも隣に佇んでいるような気配を感じる
決して死ぬことを恐れているわけではないし
もちろん若くして死ぬ人もいるのだから年齢は関係ないのだろうが
老いたこの身に晩秋の寂寥感は一層切なくて
遠い春を想いながらそこには以前のような呑気さはなく
ただただ一人去り行く人の定めが寂しいのだ
そしてそのことで胸が詰まる思いがする
「今年もありがとう」
そして
「来年もまた会いたいね」
と馴染みある風景たちにつぶやくが強い北風がそれをすぐにかき消してしまう
それはまるで叶わぬ願いのように
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久しぶりに走った静岡県県道9号線(天竜東栄線)は印象的だった
熊へはいつも渋川を通っていくことが多いので
天竜川の支流「阿多古川」に沿って進むこの県道を走るのは
実は初めてだったかもしれない
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9号線はさすがの一桁で
最奥の熊の集落までかなり整備状況が良い
川沿いのこのルートはやはりボク好みの屈曲具合で
直線がほぼなく
曲線と曲線が美しくつながって飽きない
阿多古川の流れは澄んで美しく
沿道の町並みには昭和の風情が強い
特に西阿多古川との分岐点の集落は街道の宿場のような佇まいで
またゆっくり訪ねたいと思わせる印象があった
今回はその先、長沢地区辺りで道路陥没のため9号線が不通になっていたが
迂回に案内されたルートが思わぬルートでとても楽しかった
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急な斜面を一気に駆け上ると茶畑が広がって
眼下の谷に西阿多古川が流れ下る
谷の向こう側の斜面にも張り付くように集落が散見され
空に近い山村はとても明るく静かだった
迂回に30分くらい取られたけど
それは次々現れる美しい眺めにボクがオートバイをいちいち止めていたからで
むしろ次もこっちを選んで走っちゃうかもな
なんて一人でほくそ笑んでいた
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その後立ち寄った道の駅「くんま水車の里」の熊かあさんの店で
久しぶりに素朴な蕎麦を喰った
旨かった
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奥三河にもマイナーな快走路がある
国道や県道を挟んで田口から足助までつながっている
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ただしこの路線のアップダウンは半端なくて
2ストだと焼き付くんじゃないかと思うくらいに下りが連続したりする
最近ではWRCのSSコースとしてメジャーになりつつあるので
今後は通行量も増えそうだ
沿道にカエデが植えられた箇所が多く
紅葉の季節はとてもきれい
でもせせらぎ街道じゃないけどここもワインディングがいちばん
まだ行けるかなと思って行ってみたら
その日は路面がかなり濡れていて微妙な感じだった
冬になると一日中日陰の部分もあるのでなんだかちょっと興奮する
おまけにカエデの落ち葉が積もっていて楽しさ倍増だ
この状態で冷え込んだらもう走りたくはないけど
やっぱり今年は終わりなんだね
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「今日は晴れて温かくなるでしょう」
と気象予報士が口を揃えるある日
散歩くらいの気持ちで涼風まで走った
作手へ出ると一転空には雲が広がって
ヘルメットのシールドにポツポツと雨滴が当たり出す
湿った空に寒気が忍び込むと空は時雨る
決してザーッとはならないけれど
地味にポツポツと降り続けやがてすべてが濡れる
今日はそんな雨だ
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建物の際にクロ介を停めて
ボクは軒の中に入らせてもらう
雨の止み待ちでボーっとするのは嫌いじゃない
クロ介は細かい雨に打たれ続けている
風が出るとイヤだななんて考えながら
湯でも沸かしますか
とアルストを引っ張り出す
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アルストの火に手をかざしぼんやりしてると
ついつい、いろいろなことを考えてしまう
地球のどこかでは戦争が止まらず
金持ちの権力者たちが金に執着し続ける
何がどう進化しても
何がどう変化しても
人間自体は怖ろしいくらい人間であり続けるようだ
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それなのに最近引っかかる言葉がある
「今はもう時代が変わった」ってヤツだ
時代が変わるとは単に時間の経過という意味ではないのは明らかなので
その時代を生きる人間とその社会が変わったと云いたいのだろう
でもね人間がそう短い間に変わってしまうものかな
変わったなんて勘違いの言い訳だろうよ
楽しんで野球をやったチームが優勝したかもしれないが
楽しんで野球をやって一回戦で負けるチームもあっただろう
楽しんで野球をやっていいプレーが出来た選手もいたかもしれないが
楽しんで野球をやってレギュラーになれなかった選手もいただろう
本当にみんなが変わったのか
いやいや
取り残されるヤツはいつも同じ
それこそ「頑固者だけが悲しい思い」をするのだ
残された時間が少ないと感じるせいか
この頃この思いが頭から離れない
人間なんてボクが知る限り何も変わっていないと感じる
むしろさらにボンヤリとして腐敗しているように見える
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どんなに道が改良されても
どんなにオートバイが進化しても
いつもの峠道
いつもの集落
いつもの山々
あそこの窪みも
どこそこの段差も
ここの水たまりも
この身体が覚えている
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動く物質としてのヒトの存在意味はおそらく不明だ
偶然と必然の境界線上をただただ変化してきたにすぎない
けれど意識を持った物質としての人間の存在の意味は考えざるを得ない
そしてその命の意味を後世に正しく伝えられないのなら
その文明は間違った方向へ向かっているのだ
おのれの楽しみもいいだろう
ただその命は父や母をはじめ多くの先人たちから託されたもの
そしてこの自分が次の世代へ繋いでいくものだ
もちろん生命に限った話ではない
時代などそう簡単に変わってたまるものか
と、北風の中コーヒーを啜るおっさん
まったく季節外れの五月蠅い頑固者だ
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