自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆松井、生まじめな北陸人

2005年05月11日 | ⇒トピック往来
 きのう(10日)アメリカ大リーグでヤンキースとマリナーズが今シーズン初対戦。ヤンキースの松井秀喜選手とマリナーズのイチロー選手がともにタイムリーヒットを放ちました。「4番」松井選手は1回1アウト1塁、3塁のチャンスでセンター前にタイムリーを放ち先制点。松井選手は北陸出身だけに、テレビのプロ野球ニュースはチャンネルを変えて何度でも見てしまいます。

 松井選手のイメージは高校時代から鮮烈です。1992年(平成4年)、星稜は4年連続11度目の甲子園出場を果たし、2回戦であの物議をかもした「連続5敬遠」(対明徳義塾戦)があり、高校野球ファンでなくても松井選手を知ることになったのです。華々しい経歴の松井選手ですが、私は「まじめな北陸の子」と思います。質問をされればきちんと答える、答えないと気がすまない、相手に悪いと思うーそんなタイプです。これは高校時代から一貫しています。松井選手に似たまじめタイプの北陸人がもう1人、ノーベル賞の田中耕一さん(富山市出身)です。偉ぶったり、権威をかざしたりはしません。2人には北陸人に通じるキャラクタ-の共通性があるのです。

 松井選手の父親、昌雄さんはこう言って息子を育てそうです。「努力できることが才能だよ」。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と。北陸から眺める松井選手の活躍はこの言葉の延長線上にあるように思えてなりません。

⇒11日(水)午前・金沢の天気
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★ドクターと電子カルテ

2005年05月10日 | ⇒トピック往来
 先日、風邪をこじらせ金沢の病院(独立行政法人)に行きました。この病院では去年11月、電子カルテが導入され、各科に分散していた患者のカルテが一つの端末(パソコン)で閲覧できる「1患者1カルテ」が実現しただけでなく、同じ端末で心電図やX線写真なども瞬間に見ることができるようになりました。また、診察が終了した時点で診療費が計算されるので、不評を買っていた「会計30分待ち」も解消されたのです。

 待合室で順番を待っていると、面白いことに気がつきました。内科には第8診察室まであって、たとえば、「○○さん、1シンにお入りください」と医師のアナウンスがあると、呼ばれた患者は第1診察室に入るわけです。よく聞いていると、第5診察室の医師は「○○さん、5バンにお入りください」と言っている。本来なら「5シン」とするところを「5バン」と言っているのはなぜか。「5シン」だと「誤診」の意味もあり、ゴロが悪い。だから、あえて「5バン(番)」と…。これは私の推測です。念のため。

 もう一つ待合室で気付いたことがありました。待合室にはモニターがあり、医師が30分ごとに予約を受け付けた患者の数がどこまで診察を終えているか棒グラフで表示されます。電子カルテがスタートした去年11月に行った時は、ある医師の進ちょく率がとても遅れていました。午前11時なのに午前9時00分-9時30分の受け付け分の表示となっているのです。つまり、1時間30分は遅れていたのです。

 当時、待ちあぐねた患者が看護師にその理由を尋ねると、看護師は「先生は不慣れなもので…」と返事に困っていました。その医師は丁寧な診察で評判なのですが、パソコンのキーボード入力が苦手らしく電子カルテの入力に時間がかかっていたのでした。あれから6ヵ月余り、その医師はどうなったか。驚くなかれ、ほぼリアルタイムで棒グラフが表示されているではないですか。世間では、「キーボード適応年齢は45歳まで」と言われています。見たところ50歳半ばの医師。おそらく、特訓したのでしょう。やればできる。その努力の跡がモニターに浮かんで見えました。

⇒10日(火)午前・金沢の天気
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☆散居村で育むリアル教育

2005年05月09日 | ⇒トピック往来
 きのう8日、「散居村(さんきょそん)」で有名な富山県砺波市へタケノコ掘りに行ってきました。散居村は平野部の水田に点在する家々のことで、それぞれに屋敷林(地元では「カイニョ」と呼ぶ)があり、家構えや庭木に至るまでそれぞれが独自の造形を凝らしています。どれ一つとして同じものがない、まさに日本の居住文化ではアパートやマンションと対極をなすのではないかと思います。

 その散居村で子育てグループを世話しているのが森満理(もり・まり)さんです。自らの住宅=古民家を「まみあな(狸穴)」と称して、「出会う、関わる、気遣い合う、支え合う」ということを実践している女性です。その森さんの自宅竹林でのタケノコ掘りです。
炊き上がりを待つ 

 ここに集う子どもたちが元気なのです。写真をご覧ください。タケノコご飯の炊き上がりを今か今かと待つ子どもたちです。炊き上がり後は想像に難くありません。子どもたちは元気に「おかわり」と茶わんを差し出していました。子どもらしい姿を久しぶりに見たような気がしました。

 森さんたちの活動は、テレビゲームやパソコンなどバーチャルな環境にどっぷり浸かっている今の子どもたちに自然や農業、手作業というリアリティーを体験させることで、心あるいは精神のバランスを取ることを教えているのです。まるで、「マンション」VS「散住村」のように「バーチャル」VS「リアリティー」の対極の構図にも見えます。人はこうした対極を体験することで複眼的な思考やバランス感覚を養うのです。

 ドイツの哲学者、ショーペンハウエルの寓話から生まれた「ヤマアラシのジレンマ」という心理学用語があります。寒い日、互いを温め合おうとする2匹のヤマアラシ。近づきすぎれば互いに傷つき、離れすぎれば凍える。そんなジレンマです。今の子どもたちはバーチャルの世界で妄想や攻撃的な感情を膨らませ、トゲがどんどんと長く鋭くなっているようにも思えます。人と人との適切な距離を保てなくなっているのです。森さんたちの活動は地道ながら、子どもたちの教育のあすを示唆する大きなテーマでもあるのです。

⇒9日(月)午後・金沢の天気
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★仕掛け人がいる美術館

2005年05月08日 | ⇒トレンド探査
 オープンから7ヵ月、金沢市の「金沢21世紀美術館」がゴールデンウイーク期間中に80万人に達した。当初、年間の予想入館者数30万人と市は公言していたので、その数字を軽くクリアして初年度で3年分以上の数字を稼ぐ計算になりそう。
宇宙船のような外観 

 では、なぜこれだけの人が入るのか分析してみる。まず、壁面総ガラス張りの宇宙船のようなデザインの建物そのものがアートであり、話題性がある。この建物で、建築家の妹島和世さんと西沢立衛さんが去年9月、ベネチアビエンナーレ第9回国際建築展で金獅子賞を獲得している。その評価を受けて、最近でも、一般向けの建築・デザイン誌「カーサブルータス」や専門誌「建築技術」の表紙を飾った。

 もう一つの大きな理由が「仕掛け人」の存在だろう。館長の蓑(みの)豊さん。金沢生まれ、慶應義塾大学(美学美術史)、米国ハーバード大学大学院を修了し、シカゴ美術館東洋部長などを歴任、現在、全国美術館会議会長も務めている。その華麗な経歴に似合わず、話し振りは「人懐っこいオヤジさん」という感じ。アイデアやユーモアがポンポンと飛び出す。たとえば、館内にはこの建物に工事にかかわった2万人の名前を金属板に刻んで掲げてある。「その家族や兄弟、子孫が名前を見に足を運んでくれる。いいアイデアでしょう」とニヤリ。過日、蓑さんから直接聞いた話である。そうした「にぎわい」を創出するアイデアと実績が買われ、この4月から金沢市助役に抜擢された。その手腕に期待したいところ。

 ちなみに、この21世紀美術館には総工費113億円がつぎ込まれた。収入は年1億5千万円と見込むものの、管理運営費は年7億4千万円を予想、差額の5億9千万円は市の一般財源から毎年補填していくことになる。

⇒8日(日)午前・金沢の天気
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☆罵声飛び交う記者会見

2005年05月07日 | ⇒メディア時評
 JR福知山線脱線事故の記者会見の様子をテレビで見ていて、テレビの特性を理解していない記者がいると実感した。「遺族の前で泣いたようなふりをして、心の中でベロ出しとるやろ」「あんたらクビや」 などの記者の罵声が事故後のボウリング大会が発覚したJR西日本幹部の会見(4日)の席上で飛び交っていた。この激しい言葉に幹部が唇をかみ締め、耐えている様子が痛々しく感じられた。逆に、罵声を浴びせかけた記者に対しては、「犠牲者の遺族の代表でもないのに何の権利があって…」とほとんどの視聴者が感じたのではないか。

 もちろん、問題の本質は、大阪・天王寺車掌区の社員らが重大事故と認識しながら当日にボウリング大会を開催したことを会見の席上で指摘され、その幹部がメモを見ながら説明したことによる。つまり、メモを用意しながら、記者から指摘されなければ黙って済まそうとしたJR幹部の隠蔽(ぺい)体質に記者の怒りの声が上がり、勢い冒頭のような罵声も浴びせられたのである。これは、後日の新聞報道で知った。しかし、普通のテレビ視聴者は後日の新聞を広げ、記者がなぜあのような激しい言葉を吐いたのかという脈絡を読み取ろうとはしない。視聴者は、記者の傲慢さや、客観報道とは程遠いという印象だけを残したのである。

 私がむしろ懸念するのは、今後の記者会見の運営方法をめぐって、テレビと新聞の記者が対立することである。今回、どのメディアの記者が罵声を浴びせたのかは判らないが、「修羅場の取材では罵声が飛ぶこともある。マスコミ全体の印象を悪くするようなテレビ報道は差し控えて欲しい」などと言ったプリントメディア側からの注文は十分予想される。テレビ側ではむしろ混乱した記者会見という映像では、飛び交う激しい言葉は音声として使いたいのである。このメディアの手法の違いが浮き上がってくると、対立関係に発展していく。こうしたケースはたとえば、テレビ側と警察でもある。ある県警と記者クラブの誘拐事件での報道協定では、警察側の発表に関してカメラ撮影はOKだが、記者と警察の質疑応答はカメラを天井に向け、音声はメモ録音とすることで協定が結ばれた。確かに、誘拐報道では人命にかかわるナーバスな表現もあり、テレビ側に不満はあったものの、こういう妥協がなされたのである。取材現場でも利害は常にあり、調整も必要だ。

 遺族や被害者の立場に立った報道は取材側のモチベーションとしては必要で、時には質問する記者の声も大きくなるだろう。さらに、記者会見という取材現場も混乱している。だからこそルールが必要で、質疑をする際は社名と名前を名乗ること、これだけでも随分とマスコミ側の客観性や冷静さは保てる。あの見苦しい記者会見は繰り返して欲しくない。相手がうろたえるくらいの理詰めの追及がなされる記者会見を期待する。

⇒7日(土)午後・金沢の天気
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★珍客がキャンパスに

2005年05月07日 | ⇒キャンパス見聞
金大院生の井上耕治君撮影 

 私のオフィスがある金沢大学の記念会館の裏山では、クロサンショウウオが産卵を終え、もうそろそろモリアオガエルが産卵の時季です。季節は確実に夏へと移ろっています。ところで、上の写真をご覧ください。ニホンカモシカです。角間キャンパスの里山に現れました。栄養が行き届いているのか、毛並みもつややかです。確かに最近数が多くなっているのですが、大学の構内に野生のカモシカがいるのはユニーク、まさに珍客です。

⇒7日(土)午前・金沢の天気
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☆九谷焼、創作という裏技

2005年05月06日 | ⇒トレンド探査
 九谷焼の掘り出し物を並べる「九谷茶碗まつり」(5月3日-5日)は好天に恵まれたせいもあって盛況でした。でも、よいものはやはり高い。「掘り出し物にめぐり合えるチャンスはそうない」と自分に言い聞かせ、今年も何も買わずに会場を後にしました。帰途、九谷焼資料館に立ち寄り、古九谷、吉田屋窯、永楽窯など草創期から現在にいたる作品を鑑賞したのですが、人間とは不思議なもので、見ただけで何となく描ける気分になるものです。そこで、絵付けができる九谷焼陶芸館に立ち寄りました。
絵付け風景

 ここで400円の白磁の小皿を買い、色とりどりの絵付けが楽しみました。この後、同館ではそれを800-1000度の上絵窯で焼成します。2週間ほどで出来上がるそうです。これでオリジナルの「マイ九谷焼」が完成というわけです。なにしろ値段が安い。制作費は小皿の値段400円だけです。19種類の白磁の器が用意されていて、大皿で1300円、花生け600円、ワイングラス700円などどれも手ごろ値段です。器そのものは九谷茶碗まつりで市価より安いと見ました。

 絵心のある人なら、店で九谷焼を買うより陶芸館で自分で絵付けをして作ればどうでしょう。楽しみが倍に膨らむというものです。絵付けのほかに手びねりやロクロ成形のコーナーもあり、作陶気分がより深く味わえます。九谷焼を創作する、これは裏技かも知れません。【九谷焼陶芸館・℡0761-58-6300】

⇒6日(金)午前・金沢の天気
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★金沢の庭好きと資産価値

2005年05月05日 | ⇒トピック往来
 ドイツの詩人、ヘルマン・ヘッセは無類の庭好きだった。死後、庭に関するヘッセの詩やエッセイを集めて「庭仕事の愉しみ」(草思社)が出版された。「青春時代の庭」という詩が載っている。その一部引用である。「あの涼しい庭のこずえのざわめきが 私から遠のけば遠のくほど 私はいっそう深く心から耳をすまさずにはいられない その頃よりもずっと美しくひびく歌声に」。梢のざわめきが美しい歌声に響くほどヘッセは庭をめでたのである。

 ヘッセに負けず劣らず庭好きなのが金沢人ではないかと私は思っている。兼六園というお手本があるせいか、生垣や植栽にいたるまで庭に凝る人が多い。その真骨頂が雪の重みから枝折れを防ぐ「雪吊り」だろう。枝のためにざわざわ庭師を雇い、あの円錐形の幾何学模様を描くのである。もちろん自分でする人も多い。


 実は、この金沢人の凝り性が住宅地の資産価値を高めているという。ある不動産関係者の話である。先ごろ発表された公示地価がことしも値下がりしたが、金沢南部(犀川以南)の丘陵地の地価は依然として強気で、北向きの宅地ですら坪(3.3平方㍍)42万円の値がつく。その理由は、図書館や有名進学校が点在する文教地区であると同時に、植栽のある住宅が多い地区というのがその理由だという。

 住み替えが常識であるアメリカでは資産価値を高めるために芝生の手入れをしているらしい。しかし、金沢のこの地区は決して高級住宅街ではない。ただ、猫の額ほどの土地であっても五葉松などを植え、隅に茶花などを配した庭づくりをして、ヘッセのように楽しんでいるのである。それが結果的に資産価値を高めているのであればそれは喜ばしいことではないだろうか。
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☆オトナの休日を過ごす

2005年05月04日 | ⇒トレンド探査
 《「サライ」風に》
 このゴールデンウイークに金沢の東の茶屋街の一軒家でつかの間の休日を過ごした。築140年の民家である。庭木を眺めながら、季節が春から初夏に移ろう時の流れを楽しむ。部屋の隅には季節の生け花もさりげなく飾られ、[もてなす人]の気遣いが伝わる。携えてきたお気に入りの万年筆と和紙の便箋を取り出し、[ある人]に文をしたためる。内容などは言えるはずがない。ここにはオトナの時空が流れているのである。

 この家を出て小路を30㍍ほど歩くとポストがある。手紙が落ちたポトリという音に安堵する。小路を引き返し右の小路を曲がると評判の甘味処がある。誘惑にかられてのれんをくぐるとほのかに香水の匂いがした。ひょっとして私の前にのれんを分けたのは東の芸妓(げいこ)さんかしらと一瞬想像した。白玉クリームあんみつを注文する。隣の席には、修学旅行とおぼしき女子高校生が2人。携帯電話を盛んに弄んでいる。この少女たちは携帯電話を手放さない限りオトナにはなれないかもしれない、と案じた。ともあれ、運ばれてきた白玉クリームあんみつの白玉が芸妓さんのかんざしと重なって見えたのは気のせいか。想像力がたくましくなければオトナになれないのである…。(写真は「金沢市東茶屋街の休憩所」・無料)
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★ベトナムのフォーを食す

2005年05月03日 | ⇒トレンド探査

 金沢の近江町市場はいろいろな食材がそろっていることで有名。先日、散歩を兼ねてぶらぶらと歩いていると、アーケード街の入り口にベトナム麺の店があるのを見つけ、「さすが近江町、なんでもある」と感心しながら店に入った。

 店のメニューはフォー・ハイノ風(500円)とフォー・サイゴン風(同)の2種類。ちなみにハノイ風は塩味でさっぱり風味、サイゴン風はシナモン入りの香辛料をベースに甘味だ。ハノイ風を注文した。フォーは麺のことで、ベトナム米を石うすで粉にし、水で溶かしたものをクレープ状に広げ、蒸して刻んだもの。薄く透き通った麺は、まるでベトナム女性が着るアオザイのようにまぶしい。

 理屈よりまず汁の味から。あっさりした塩味に蒸し鶏が合う。さらにエスニック気分を味わうために、香草のパクチャーやベトナムの魚しょうゆ「ヌクマム」、ニンニクと唐辛子の漬込み酢「ザンムアット」をどんどん入れていく。店長によると、金沢の情報システムや建築材を取り扱う会社の社長が進出したベトナムでこの味にほれ込んで開店したのだとか。

 一気に食べたせいか、ちょっと物足りない。「無料で替え玉」と貼り紙があるので、麺だけを追加注文した。実は、食感がよい麺なので、ヌクマムだけをかけて食べたらどうか、つまり、讃岐うどんに生しょうゆだけをかける食べ方でどうかとひらめいたのである。能登半島にはイシルというイカやイワシを材料にした魚しょうゆがあり、金沢でも販売されている。少々生臭いが独特の風味がある。店長は「ベトナムではそんな食べ方しませんね。熱いのをツルツルとやってますよ。でも、試してください」と快く出してくれた。

 いよいよ、ベトナム人も試したことのない食べ方に挑戦。フォーにヌクマクを円を描くようにして少々たらす。まるで、道を歩く真っ白なアオザイの女性に、後ろからきたバイクが水溜りの泥水をひっかけたようだと想像しながら、薄く茶色に染まったフォーを口にはしを運んだ。「これはいける」と思わず。予想していた通り、のど越しといい、ヌクマクと麺の絡まりといい、絶妙なのだ。欲を言えば、フォーを冷水で洗って出してもらえばさらに食感は増したはず。試したという満足感と、満腹感は十分だった。そして、フォーにちょっと恋をした気分になって店を後にした。

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