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結婚記念日は 京都♪

2016年05月30日 | Weblog
2016年 菖蒲月 30日

本を読んでも 頭に絵が 浮かばない
って事ありますよね

ハリーポッター がそうなのですが
あの 試合のところなど
皆目 映像として頭に浮かびません

そこに行くと
司馬遼太郎さんのなんと写実的な文字運び

頭に どんどん映像として入ってきます

その 司馬遼太郎さんの

竜馬が行く

は 何十回読んだでしょう


飽かず 読み返し
その 一巻で一番心に残るところをチョイスして
全8巻

読み返して
イヤ 一箇所じゃ収まらない



気に入ったところに
線を引き

更に読み返しながら

抜粋をノートに書き

と言うのを やったな~

それでも 映像として浮かばない景色

それは 僕の人生経験の中で
そういう映像を見たことがないから
想像すら出来ない



そこで 出ました♪

武田鉄也さん
小山ゆうさん

の漫画 

お~い 竜馬

だって 何十回と読んだ

それで なんとなく映像にはなったのだが

僕の中で
想像が出来ない


大体 京都で 船が・・・・・・・?
船宿が・・・・・?

横浜
なら判る

でも 京都で・・・・・


もう 何十年と頭の中でもやもやしていた部分を
解決をしに

大阪を走る 京阪電車

まるで
関東の 京浜急行

早い!!



駅 フォームの待合室には



南座




僕の この旅行のメイン



寺田屋



お~ 頭の中で描こうとしても 描けなかった
寺田屋





こんな 外観

は想像できた



今でも 旅館として機能している








寺田屋 の横に 坂本竜馬

おとせさん と知り合えてよかったね 竜馬♪



ここか~



ほう 昔の旅籠
ふすま で仕切られている



窓から見える景色



この 眼の前に川が

竜馬も この欄干にもたれ
行き来する 船を眺めていたのでしょうね



そして 竜馬がズット使っていた部屋はこちら

川は 廊下に対して左奥
身を乗り出せば見える
けれど
往来に面していてはいかにも危険

最初の頃はともかく
段々 こちらの部屋を使うことが多くなったのでしょうね



柱の傷は一昨年の
五月五日の背比べ

では ありません



う~ん 順路どおりの順番で行くか・・・・・

それとも 話がわかるように 中を見た順番を度外視するか・・・・・





では 話の順番に写真を並べ替えます・・・・・

坂本竜馬が
倒幕
開国

と動いていると 
日本全体の流れから遅れをとった土佐藩
竜馬の脱藩を許し
後藤正二郎が竜馬に擦り寄るのだが
当然幕府から追い回される
それでも竜馬は堅苦しい藩邸での生活を嫌い
ここ 寺田屋に逗留している

そこに 幕府の役人が大捕り物を仕掛ける


おっと その前のこと・・・・
火事で焼け出された
勤皇の志士の娘を竜馬が寺田屋のおかみさんに住み込みで遣ってやってくれ
と 強引に押し付けた おりょう が
お風呂に入っていいると



外で 物音が・・・・・

見ると 大勢の捕吏が



竜馬に火急を知らせに
裸のまま 階段を駆け上り 知らせる



竜馬は 一緒に居合わせた
長州藩士に 襖を取り外させ

広い一間にして 死角をなくした



そこで 待ち受ける おりょう・・・・?

いえ 娘です



おりょう は 先に
川沿いの旅籠の玄関先に通じる階段から薩摩藩邸に逃がした

そこで 待ち受けるのは

高杉晋作 からもらった ピストルを懐におっとりした感じで待ち受ける





では無く 坂本竜馬



狭い場所では 刀を振り回せない・・・・

振り下ろした先で 避けられたら
剣が柱に突き刺さり次の行動が後手に回る



バキュン

と打っても
当たらなければ柱に



さすが 竜馬
高知の日根野道場から始まっり
江戸の 北辰一刀流 千葉道場での 剣術修行の甲斐あって

たとえ 人に当たらなくても
柱の 節には大当たり



って ちょっと こじつけっぽい感じ・・・・・

でも のりこちゃんの日傘をピストルと思い込んでいる僕は
一列に並んだ捕吏に向かって撃てば

キット誰かに当たる





でも ピストルには 限度がある
装弾数だ

刀の攻撃をピストルで受け止めるも
刀と違い 鍔 が無く
竜馬の手に深手を負う



捕吏が怯んだころあいに

ひとみ
だっけか?
よしみ?

みよし だ~

逃げよう と この洗濯干し場から屋根ずたいに逃げた



幕府の連中はこうやって 打って出る
と思ったのでしょうが・・・・



屋根ずたいに逃げた 二人

 材木置場に潜んだ

もう諦めて腹を切りましょう

と みよし は言うが
腹を切るのはいつでもできる

今は その時ではない

やれることを すべてやりつくそう

と みよしを薩摩藩邸に向かわせた

江戸時代の物流はトラックが無いので
船で行われた

重い材木も船で運ぶ

当然竜馬が隠れた材木置場も川のそば
○十 の薩摩の紋をつけたちょうちんをぶら下げた船で
薩摩藩邸に匿われた


その時 その怪我を治療し看病したのが

医者の娘 おりょう

西郷隆盛が 傷に良い 温泉に行ったらどうだ


霧島温泉を勧められ

去年僕らも行った 霧島温泉におりょうと行った

それが 日本初の新婚旅行

と呼ばれている





僕は やっぱり 千葉道場の
さなこ さんが良いな~

竜馬が新しい世の中を作るために日本中を走り回る??

もし 船が無かったら 開国は 半年は遅れただろう

という 説があるくらい
竜馬が始めて江戸に来た日数より
大幅に短縮した日数で
京都まで行き来できるようになった 海上輸送



その船が出港するまでの短い時間
竜馬は 千葉道場へ挨拶に行き
さなこ とも合った

でも もう行かねばならぬ・・・・・

じゃ これ 形見代わりに
と着物の袖を引き破って
片袖を さなこ にあげた

明治以降も さなこは 
これは 竜馬さんが 結婚の約束 (婚約指輪の代わり)
にくれたもの

私は 竜馬さんの 婚約者

と 生涯独身を通した

けなげだな~


でも 竜馬も人の子
遠距離恋愛は難しい

そして
此度の 怪我

前日に行ったUSJの
バックツーザフューチャー
マーティー の両親が 結婚したのと同じ
ナイチンゲール症候群

でも まあ おりょうさんがいなかったら
その時に絶命していたかも知れないので
これで 由としましょう・・・・・・




と寂しく寺田屋を あとにする 僕



裏にある江戸時代から井戸

竜馬も飲んだ井戸水



そして

僕が 中学のP,T,A,の 役員をやらせていただいたとき
卒業式での挨拶

僕が 改革 を目指していたのは
総会
人が集まらないから
日程をこの日にしましょう

という提案を
その時の校長は

総会なんて 人が集まらなくて良い

えっ? 総会は P,T,A,の最高決議機関ですよ


そこから 学校長との軋轢が始まった

いじめの問題が社会現象となり
中学でも 会議が持たれ
僕は 事前の会合で人を集めた

本会議は 学校が召集した

でも 集まったのは 本会議のほうが全然少なく
出席した町内会長は

何故 本会議のほうが出席者が少ないんだ


当たり前じゃん
校長は 人が集まり 意見が沢山出るのを嫌うのだから

なんていいません


そんなことばかり

僕は 
P = ぺあれんつ 両親
T = てぃーちゃー 教師
A = あそしれいしょん 会

繋ぐ パイプ役に徹したつもりですが
他の役員さんたちは自分の子供を人質にとられ 
内申点に響く とばかりに 口をつむぐ

おいおい 中学は 高校の 進学塾かい? 予備校かい?



その 卒業式のときに
奉書紙に 書いた言葉がこれ



坂本竜馬が
丁度君たちと同じ頃
まだ 時折 寝小便をし
ヨバタレ小僧
と 馬鹿にされていた頃に詠んだうただ

自分の道を信じて進んでください

と締めた

卒業式後 その紙ください


他の役員さんが来てくれた

一年 僕なりに一生懸命に 会長職をやったのに
誰も認めてくれない
と思っていたのが
そんな事は無い 一人でも 認めてくれた
と 心から嬉しかった 一瞬でした

これも 坂本竜馬 のお導きです



寺田屋前の川

 













僕が 何度本を読んでも
想像できなかった

横浜には 無い景色












船宿
ふなやど

寺田屋



海上輸送の要点だったのでしょうね



そこに きっと竜馬ファンを乗せた船が



遊覧しています



推進は 流石にエンジンです



川の反対側から
土手向こうの寺田屋



断腸の重いで 寺田屋をアトにする・・・・・


趣のあった銭湯

竜馬とは まったく関係ないです・・・・・





次に向かったのは
池田屋

今では居酒屋・・・・・











竜馬が 維新前夜 徳川慶喜が 大政奉還を認めるかどうかを
待っていた



その 池田屋



でも ここでは見つかりやすい
新撰組に目をつけられている

と 嫌がる 竜馬の手を引き・・・・・?



手を引かれているのは
疲れ果てた らいと・・・・・

遂に だっこ・・・・・



かくまわれたのは









酢屋
という 材木やさん



この二階に潜んでいた



そこに 誰だろう?

刺客がやってきた

お相撲さんの とうきち に寒いからしゃもでも食べよう を買いに行かせた竜馬

中岡慎太郎と 新しい国の形を考えていたところに
階下から物音

ほたえなや

と 叫んだ竜馬

でも その声は 刺客が襲ってきた
と知らせる とうきち の 声だった

今では当時の軒を高く上げ立て直されているが
軒の材料は その当時のもの

刀を振り回すことも出来ず

大体が 刀など 身辺に置きもし無かった竜馬が
刀を取ろう と 床の間に振り返ったところを敵の刀は振り下ろされ
頭を直撃し
脳漿がでた

状況は ダラスでケネディー大統領が暗殺されたのとよく似ている

清君(中岡慎太郎の変名) 刀はないか
石川(中岡慎太郎の変名)が大変じゃ

と 気遣いのきく 竜馬

でも 竜馬は そのまま絶命

この当時の話を 三日生き延びた中岡新太郎が後世に残した



竜馬は 北辰一刀流の腕を持ちながら
剣で人を殺さなかった

という



この酢屋 のホンの目と鼻の先の



土佐藩邸 跡



竜馬も 遊びに行ったのかな~





でも司馬遼太郎は長い 竜馬がゆく の最後に書いている

天に意志がある
としか この若者の場合 おもえない
天が この国の歴史の混乱を収拾するために若者を地上にくだし
その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした
この夜 京の天は雨気が満ち 星がない
しかい 時代は旋回している
若者はその歴史の扉をその手で押し
そして未来へ押しあけた







竜馬のお墓です



右から
坂本竜馬
中岡慎太郎
そして
左端に
藤吉



竜馬の目指した新しい日本が眼下に広がっています



その横の歴史館

竜馬
と言えばこの写真が有名ですが
長崎で写したものなのに
京都も
これぞ竜馬!!

って感じで あちこちにありました

















清水寺のすぐそば



甍のなみ

って感じ



清水寺に向かう

まるで 東京の表参道






そして 横浜に帰る時間が刻々と迫ります



あっという間の
二日

ライトは
三日



横浜より 西にある京都も
どっぷりと日が暮れ・・・・



疲れのピークをとうに越え
一人では走れず

もたれながら
駅前を走り回る らいと



電車の発車までの時間に
お弁当を選んでいます



まだかね~



僕の影響で
しっかり 竜馬のファンの娘

当然の流れで
ライトも好きになるかな~


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