この日を境に世界が変わったという日があります。2011年3月11日は間違いなくそういう日でしょう。
次の一首などは、震災前とその後とでは、意味合いが全く変わってしまいました。
洪水はある日海より至るべし断崖(きりぎし)に立つ電話ボックス
(内藤明『海界の雲』)
平成8年(1996年)に刊行された歌集に収められているこの歌は、たとえ日付が付されていても、震災のイメージを伴わざるを得ません。
歌集刊行から15年後の大震災では、まさに海から襲ってきた高波が断崖を打ちつけ、防波堤を乗り越えて人々の生活を飲み込みました。断崖のうえに立つ電話ボックスは、岩手県大槌町にある「風の電話ボックス」をどうしても想起させます。
実際、この歌は3.11の黙示録として読まれることもあるようです。
ここに詠まれている、もともとの断崖の上の電話ボックスは、投身自殺を防ぐためのものだったのでしょうか。これから起こる不吉な出来事を象徴するような存在です。それでも、死に臨もうとする人が、心の叫びを届ける、かすかな希望の存在だったかもしれません。
あの日を境に、電話ボックスの意味するものは大きく変わりました。「風の電話ボックス」は、これから生きて行こうとする人が、もう死んでしまった人と連絡をとろうとする場所で、いわば鎮魂のための存在です。ちょうど、3.11をはさんで世界が変わることで、生者への通信が、死者への通信へと反転してしまったかのようです。
しかし、鎮魂もまた哀しみのなかでかすかな希望を求める祈りなのだとすると、世界が大きく変わっても、通信することが希望をもたらすことに変わりはありません。
同時に、死者との通信は絶望と背中あわせであることも事実です。妹の死を悼む詩「青森挽歌」のなかで、宮沢賢治が「なぜ通信が許されないのか」と絶唱したように。
あの日を境に現れた新しい世界とは、たとえ絶望と背中合わせであっても、死者と通信することを学んだ世界だと言えるのではないでしょうか。
仕事柄、今年もいろいろな申告書を見ます。そのなかに東日本大震災の被災孤児育英基金に多額の寄付を12年間続けている方がおられます。これも12年間の死者との通信なのだと思って、手を合わせる気持ちで、仕事をするようにしています。
写真は2020 映画「風の電話」製作委員会から借用しました。