中村哲さんの『医者、井戸を掘る』(2001年)『医者、用水路を拓く』(2007年いずれも石風社)を読み返しています。逆境にあっても常に前を向き、周囲を鼓舞しながら成果を上げる中村さんは、滅多に弱音を吐くことがありません。
そんななかで「ただ訳もなく哀しかった」と述懐している箇所があります。内戦による人々の離村が灌漑工事を遅らせ、飲料水欠乏が病気の蔓延と家畜の死亡をもたらします。それがまた離村を生むという悪循環を繰り返して、灌漑事業が賽の河原に石を積む作業のように思えたときのことです。井戸を掘る作業がようやく途についた2000年のある日のことをこう記しています。
しばらく沈黙の後、再び砲声が聞こえ始めた。
「ワレイコム・アッサラーム、ご挨拶だぜ。金曜日(イスラムの休日)くらい休まなきゃ、バチが当たるぜ」
砲声の中、村人は黙々と作業に励み、ポンプが水を吐き出すたびに、鍋やバケツを手にした女子供が水場に群がる。中にはロバの背に革の水袋を載せた少年の姿がある。向こうの村から何時間もかけて歩いてきたという。
私はただ訳もなく哀しかった。「終末」。確かに、そう感じさせるものがあった。ふと時計を見ると、9月15日、アフガン時間午後12時45分、私の誕生日である。54歳にもなって、こんなところでウロウロしている自分は何者だ。ままよ、バカはバカなりの生き方があろうて。終わりの時こそ、人間の真価が試されるんだ、そう思った。(『医者、井戸を掘る』32頁)
訳もなく哀しい、それは灌漑事業が遅々として進まないことを指して言っているのではありません。54歳になった自分と「終末」を思わせる現状との折り合いが、どうしても付かないことを指しているのだと思います。異国の地で、折り合いの付かない現状とみずからの志とを、中村さんはどのように結びつけていたのだろう、そんなことを考えながら、ニュースを見ていると、中村さんと親交のあった歌手の加藤登紀子さんがインタビューに答えていました。
NHK NEWS WEB に、そのインタビューが掲載されていましたので、引用します。
(加藤登紀子さん)
とても印象に残っているのは、2009年のクリスマスイブに「じゃあ哲さんに電話してみようか」ということになったんですよ。ペシャワール会の人たちと皆で「哲さんに電話しちゃおう」って。電話して「もしもし、メリークリスマス」って私が言ったんですね。そうしたら、しばらく応答がないんです。遠いから、どうしたのかと思っていたら、しばらくたって「トキさん、僕ね、クリスチャンだよ、実は」とおっしゃったんですね。泣いていたなと、受話器の向こうでね。とっさに軽い気持ちで「メリークリスマス」と言ったんですけど、哲さんは泣いているなと思いました。その時に、クリスチャンだったけれどイスラム圏の人たちの中で大きな信頼を得て、彼らのために命を賭けている、その哲さんの心の中のいろんなことが伝わってきた気がしたんです。その時の一瞬の嗚咽している瞬間が忘れられないですね。
(井上二郎キャスター)
それは「つらさ」なんでしょうか。それとも、何か別のものがあったのでしょうか。
(加藤登紀子さん)
現地では「メリークリスマス」はないわけだから、虚を突かれたというか。いろんなことを根本から乗り越えて、そして人の命を助けなければならない。哲さんの根底にある決意のすごさが、一瞬にして伝わってきた気がしましたね。
2008年に伊藤和也さんが銃撃され死亡した事件を受けて、「もう一切危険なところに若者を行かせるわけにはいかない」と、自分一人で背負っていく覚悟を決めた時期に、その電話の時期は重なるのだと、加藤さんは言います。
中村さんは命の危険だけではなく、「哀しさ」もひとりで抱え込もうとしていたのだと思います。