仕事の移動の列車の窓から、辛夷(こぶし)の白い花が、一斉に咲いているのを見ました。私にとって辛夷は、いつもこうやって思いがけず遭遇する花です。そして、文学作品では、普通とは違ったかたちで描かれる花でもあるように思います。
堀辰雄の『大和路・信濃路』に収められている「辛夷の花」というエッセイでは、この花は変わった登場のしかたをします。
列車の近くに座っている夫婦が、車窓から辛夷の花が咲いているのが見えた、と話しているのを聞いて、堀はあわてて外を見渡すのですが見つかりません。隣で本ばかり読んでいた奥さんにそのことを伝えると、意外なことに、本を読みながらでも辛夷の花ははっきり目に入っていたというのです。
とうとう、花を見ることのできなかった堀は、しばらく目をつぶって、辛夷の花が山の端に立っている姿を、心のなかで思い浮かべるのでした。
ここでは、辛夷の花は直接には姿を現さずに、花を目にした周囲の人たちの姿だけが描かれています。
真っ先に咲いて春の訪れを告げる辛夷の花は、野山にあっては、いつの間にか咲いて気付かぬうちに消えています。そういうひっそりとした花の印象が、姿を見せなくとも、われわれの想像を促すのではないでしょうか。
宮沢賢治の短編『マグノリアの木』も、辛夷の花を描いたものと言われています。
険しい山谷を登りきった修行僧が振り返ると、霧の晴れた山谷のいちめんに、辛夷の花が咲いていて、それは「天に飛びたつ銀の鳩」あるいは「天からおりた天の鳩」のようだと賢治は書いています。悟りの境地に達してみると、今まで辿ってきた苦難の道も、清廉な花の咲き誇るところだったのです。
振り返ってみると、霧の晴れ間に突然現れるというのが、この花の控えめな特徴をよく表しているように思います。
茨木のり子の『花の名』という詩では、もっと違ったかたちで現れます。
列車の隣りに座った客から、早春のこの時期に大きな花を一杯に咲かせる白い花の名を聞かれて、「泰山木じゃないかしら」と深く考えずに答えます。父親の告別式の帰りの列車だったので、うるさく話しかける隣客をあしらって、亡き父の思い出にふけっているのでした。
「女のひとが花の名前を沢山知っているのなんか/とてもいいものだよ」
などと父から言われたことを思い起こしていると、突然、花の名を間違えて教えてしまったことに気付くのです。この時期に泰山木が咲いているはずもなく、「辛夷の花」と答えるべきだったのでした。
隣客はもう下車してしまっています。あまりに恥ずかしくて、茨木さんは父親から「お前は馬鹿だ/お前は抜けている」としきりに言われていたことを思い出す、という話です。
辛夷の花は実際には登場しないのに、辛夷の花がずっと咲いていて、今は亡き父と、父を想う娘を描いたこの詩を、陰で支えているように思います。細い花びらが柔らかい、たおやかな花の姿が、そう思わせるのかもしれません。