犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

瞬間サムライ

2024-03-16 18:01:36 | 日記

最繁忙期だった仕事も一区切りついたので、春の茶会に向けて本格的な練習の再開です。
これまで、ずっと洋服で稽古に向かっていたのを改め、今日から着物を着て出かけました。点前の足運びで袴を踏みつけて転びそうになったり、袖先が建水のなかに入ってしまったりと、着物で練習しなければ分からない注意点が幾つかあるからです。

旧宅では駐車場が自宅内にあったので、着物姿を人に見られることはなかったのですが、転居して駐車場が歩いて数分のところに離れて、着物姿で外を出歩くことになりました。
車を運転するので雪駄は紙袋に入れ、いつも履き慣れた革靴を履いて出かけます。袴姿で革靴を履くのは、まるで坂本龍馬のような妙な格好になったと思いながら、どうせ数分の距離なので誰にも見られないと思い、気にせずに表に出ました。
ところが、こういう時に限って、思いもかけない人に捕まるのです。

新居の近くは、最近観光ルートの一部に組み込まれるようになり、海外の観光客がルートを外れて我が家の近くまでやってくることがあります。ちょうど表通りに出たところで、外国人観光客の家族に出くわしました。
その外国人の子どもたちが「サムライだ、サムライがいる」と言って騒ぐのです。
両親が恐縮しながら寄ってきて、しきりに謝るのですが、「申し訳ないが、一緒に写真を撮っても構わないか」と、思いもかけぬ申し出を受けました。
そうやって、私は日本にまだいることになったサムライとして、外国人観光客の家族写真に収まることになったのでした。

笑顔で別れた後に、間違った文化交流をしてしまったことに、やや後ろめたい気持ちになりました。

私はサムライではないし、仮にサムライだったとしても、こんな変なコーディネートはしないのだ、雪駄に履き替えれば少しはサムライに近くなるかもしれないが

と、今は錆びついた英語で、釈明すればよかったとも思いました。
また、茶道の現状についても、幾ばくかの有意義な情報を提供できたかもしれません。

こんなサムライのような格好をしているのは、茶道文化をなんとか残そうという使命感からであって、そもそも茶道をやる男性などは、茶道人口のなかでも50人に1人くらいしかいない絶滅危惧種なのだ

と、伝えることができれば、一緒に撮った写真の有り難みも、幾らか増したのではないかと思います。
あの写真は、彼らの国でどのように紹介されるのだろうかと思いを馳せながら、駐車場に向かいました。


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