好奇心旺盛なおばさんのワクワク日記

勉学優先のセン業主婦!
遠くに見える富士山を眺めつつ、ワクワクしながら学習などにいそしむ日々を書き綴っています

表記上の矛盾

2011-05-13 13:44:25 | ボランティア
文章を読んでいて、どうしても自分の中で消化できないときがあった。
なぜ分からないのだろう・・・

何故かどこかで、なんか違うんだなぁ~・・・ 違うんだなぁ~~ と言っている自分がいる。
それは書いてあること自体が分からないのではなく、その説自体を自分が肯定出来ずに受け入れられないときのようだ。

今回引っかかっているものもその類のようで・・・
こればかりはどうにもならない。
なぜそうなるんだ、と言っていても仕方が無い。
入力する際の規則がそうなっているのだから、そうするんだ、と受け入れるしかない。

文法上違うものであるにもかかわらず、表記上は同じ書き方をしなくてはいけない。
そこに違和感を感じる。

規則を詳細に見ていくと、個人の文章の受け取りかたによって意見が分かれることが大いにある。
一つの規則が、相対する意見のどちら側からも根拠と出来るような書きかたがされているところがある。

こう考えてみると、規則を作った側も限定する言葉を避けて、逃げ道を作っているかのように考えられる。
根本的な原因は、言語がまず先にあったから!といえるだろう。


『学研漢和大辞典 四角号碼索引』(四角号碼学会刊:安藤次郎)に次のように書かれている。

 いかなる事物も完全無欠なものはない。四角号碼法も完全無欠ではない。京都大学名誉教授平岡武夫先生のことばを引用させていただくと、四角号碼法が「先にあって、その原則に従うて漢字が作られたのであれば、番号はすべての漢字をカバーするでしょう。或る種の暗号文字のように。しかし、この方法は、既にある漢字を後から分析し帰納してゆくのですからカバーしきれない所、複数の番号化が可能な場合があるのは当然であり、自然です」と述べられるとおりである。 (後略)


先にある言語は規則に基づいて作られたものではなく、ある種のパターンはあってもそこには必ず例外が存在する。
加えて、時代と共にさまざまなパターンが出現してくるのであるから、規則で一くくりにできようはずが無い。

言語は時代の流れと共に発展し多様化し続けている。
どこまで行っても規則が追いつくことは無い。

今ある規則の中で、どちらかを選択するしかないのである。 
選択というよりも、妥協かもしれない。 
コメント
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