花浄土鹿児島

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風が冷たい妙円寺詣り 2018/10/27 (鹿児島)

2018-10-28 17:11:07 | 祭り・伝統行事
南国鹿児島も一雨ごとに秋が深まっています。
10月27日(土)午後、日置市伊集院町の妙円寺詣りフェスタに出かけました。
以下の画像は当日撮影したものです。

日置市伊集院町大田(おおた)太鼓踊り 13時41分 徳重神社境内


27日午後の伝統行事などのプログラム 日置市ホームページから


フェスタは27、28日に開催され27日午後には日置市内の郷土芸能などが奉納されました。妙円寺詣りについて鹿児島県観光サイトから引用紹介します。

鹿児島三大行事の一つ
鹿児島市内から日置市伊集院町までの約20㎞の道のりを歩いて参拝する伝統行事。敵中突破後苦闘の末、帰還を果たした島津義弘公をしのび、泰平の世に士気を鼓舞し、心身の鍛錬をするため、鹿児島城下の武士たち(庶民は明治以降)は関ヶ原の合戦前夜の9月14日(旧暦)、往復40キロの道のりを鎧・兜に身を固め、夜を徹して義弘公の菩提寺である妙円寺に参拝し始めました。

廃仏毀釈で徳重神社に変わってからも参詣は続きました。やがて、鹿児島三大行事として受け継がれますが、県民性の欠点である忍耐性や持続性の不足を補うものとして大きな意義があります。現在は郷土芸能の奉納や武道大会、家族連れで賑わうウォークリーなど、10万人を越す人出でにぎわいます。(引用終わり)

城攻めの様子を段階的に表現する大田太鼓踊り


鹿児島県内に今も伝承されている太鼓踊りの中でも特に動きの激しいものです。踊りの開始に遅れて境内に入るとシニア世代を中心に多くのカメラマンが集まっていました。雲が早く流れ日差しが途切れがちで、木陰との明暗差も大きく写しにくい場面もありました。

伊勢神社奉納棒踊り 日置市東市来町


吉利南区太鼓踊り 日置市日吉町


伊作(いざく)太鼓踊り(花熟里保存会) 日置市吹上町


昨年の妙円寺フェスタ初日は雨のため一部だけの奉納でした。今年は風が冷たく寒さを感じましたが徳重神社境内には多くの人が訪れていました。

徳重(とくしげ)太鼓踊り 日置市伊集院町


大バラ太鼓踊り(うばらでこおどい)とも言われます。バラは農具の丸口箕です。直径1m以上もある重い太鼓を全身で振り回し、後ろに反り返るようにして叩きます。

長大な矢旗も特徴的です。孟宗竹を2本継ぎにした20mほどもある矢旗を一人の太鼓打ちが背負います。太鼓打ちが倒れないよう数人で体を支えます。数方向に伸ばしたロープで矢旗のバランスを取りながら少しずつ移動し、太鼓も叩くという大変な踊りです。

境内に鳴り響く大バラ太鼓


薬丸野太刀自顕流の演武


薩摩日置鉄砲隊の演武


薩摩日置鉄砲隊は2015年に結成されています。矢旗には「鉄炮」の文字が使われています。火縄銃、馬上筒、抱え大筒、捨て奸(すてがまり)を含めた火縄銃の砲術が実演されました。黒色火薬による大きな音と煙には驚きました。3回程度の発射と想定していましたが、8回ほども発射され関ヶ原の戦を思い起こさせる大迫力でした。

捨て奸(すてがまり) 17時6分


捨て奸(すてがまり)は、戦国時代に薩摩国の大名島津氏により用いられた戦法の一つ。関ヶ原の戦いの退却時に敵中突破の手段として島津義弘が用いたことで知られている(島津の退き口)。座禅陣とも言われる。(Wikipedia)
座り込んでその場を動くことなく、命尽きるまで戦かったとの解説でした。

鹿児島市学舎連合会の参拝 17時37分


薄暗くなった徳重神社に鎧や陣羽織の武者姿を先頭に一行が到着、参拝をしていました。この時間帯でも熱心に撮影を続ける人もありましたが大半のカメラマンは徳重太鼓踊りまでの撮影だったようです。

今回は写友のMさんに声を掛け、最後の時間帯までお付き合い頂きありがとうございました。わずか半日で多くの伝統芸能などを撮影でき充実した楽しい時間でした。動画も含めて容量で20GBほども撮影していました。活躍してくれた2台のデジカメにも感謝です。
コメント (2)
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