6月8日(土)曇り空に日差しも出る少し蒸し暑い一日でした。
かねて気になっていた鹿児島市谷山の史跡、清泉寺跡を訪ねました。
清泉寺(せいせんじ)跡の左手(下流側)は水道施設
国道225号を鹿児島市の谷山坂之上から南へ走ると下福元町影原交差点の少し手前に「清泉寺跡」入口の案内板があります。離合が難しいような生活道路を数百メートル進むとさらに小さな案内板があり、右折して坂を下ります。
鹿児島市水道局の施設が左手にあり、右手の空地に車を止めます。ここに鹿児島市の説明板がありますが、清泉寺跡とは無関係なようで見落としてしまい、その後の行動に手間取りました。
鹿児島市の史跡説明板
帰る前に説明板を読むと寺跡の磨崖仏の位置なども表示されていました。
史跡位置図
車を止めた場所の右手(山手側)が寺跡で墓地とのこと。
湧水汲場 説明板のすぐ横
私と入れ替わりで車が一台出て行きましたが、おそらくここで水汲みをしたのでしょう。
墓地跡などへの入口 フェンスを開けて右に入ると墓地
磨崖仏を見ることが目的でしたので墓地へは入らず、狭い通路を進むと水源設備があり対岸へは行けませんでした。
向うにも何か看板が
水路を隔てた遠くにも何か看板がありました。下流側に少し引き返し看板を目指しますが夏草が茂り足元がおぼつかない場所でした。
ようやく磨崖仏に気付く
15時過ぎに訪れたので日差しは林にさえぎられ、近づいてようやく磨崖仏と気づきました。
鹿児島谷山ライオンズクラブの案内板
二体の磨崖仏 左は在家菩薩磨崖仏
岩と林のバランスが美しい
磨崖仏について鹿児島県のホームページから引用して紹介します。
清泉寺跡の西側には,在家菩薩磨崖仏(ざいけぼさつまがいぶつ),妙有大姉磨崖仏(みょうゆうだいしまがいぶつ)があります。
在家菩薩磨崖仏は,立像で,高い崖面におよそ2メートル,右手に槍をもち,左手をそえており上体は裸体で,下衣のみ着けています。顔は壊されており,形相は不明ですが,日新公を神格象徴したものとの伝承があります。
右は妙有大姉磨崖仏
妙有大姉磨崖仏の像は,在家菩薩と並んで立っています。この像の右手は,胸前で剣を持ち,左手は腰に托しています。顔面や手足など,損傷を受けておらず,形相などをはっきりと捉えることができます。高さは2メートルを越えるもので,両足をしっかりとふまえた力強い姿です。日新公御夫人妙有大姉を象徴神格化した像であるとの伝承があります。(引用終わり)
林の中を進む 岩に刻まれた宝剣
薄暗い渓流
川向の仁王像 阿吽金剛力士像
阿吽金剛力士像磨崖仏(鹿児島県ホームページから引用紹介)
この両磨崖仏は台地の岩壁がL型になっている両面を利用して彫刻されたものです。一つは東を向き,もう一つは北を向いており,高さは共に2メートルを越えるほどです。川を挟んで丁度対岸の在家菩薩,妙有大姉と相対しています。
阿吽の像は共に金剛杵を持ち(阿の像は左手に,吽の像は右手にもつ),怒りを全面に表した形相をしています。廃仏毀釈よる影響を受けておらず,堂々とした彫刻を見ることができます。(引用終わり)
引用した鹿児島県ホームページ記事については「谷山市誌(昭和42年3月発行)」,「鹿児島市史跡めぐりガイドブック-五訂版-(鹿児島市教育委員会・平成28年3月発行」他を参考としており、「鹿児島県としての正式な見解ではないことに御留意ください。」との注意書きがあります。
画像をアップすると右側にも刻まれていました
撮影しているときは気づきませんでしたが正面仁王像の右90度にも仁王像が刻まれていました。
右側の仁王像
渓流を渡り対岸をよじ登れば仁王像の前まで行けたかもしれませんが、川岸は小さな岩に夏草と苔が絡み軽装備では登れそうにありません。ネット情報によると、対岸の山林斜面には仁王像に至る小道があるようです。
夏草が茂り訪れる人もほとんどないような場所でマムシも心配です。磨崖仏の存在感は素晴らしいですが、現状では一般におススメできる場所ではありません。少なくとも夏草が茂る時期は避けて冬から春先に訪れるのが良さそうです。最後までご覧いただきありがとうございました。
かねて気になっていた鹿児島市谷山の史跡、清泉寺跡を訪ねました。
清泉寺(せいせんじ)跡の左手(下流側)は水道施設
国道225号を鹿児島市の谷山坂之上から南へ走ると下福元町影原交差点の少し手前に「清泉寺跡」入口の案内板があります。離合が難しいような生活道路を数百メートル進むとさらに小さな案内板があり、右折して坂を下ります。
鹿児島市水道局の施設が左手にあり、右手の空地に車を止めます。ここに鹿児島市の説明板がありますが、清泉寺跡とは無関係なようで見落としてしまい、その後の行動に手間取りました。
鹿児島市の史跡説明板
帰る前に説明板を読むと寺跡の磨崖仏の位置なども表示されていました。
史跡位置図
車を止めた場所の右手(山手側)が寺跡で墓地とのこと。
湧水汲場 説明板のすぐ横
私と入れ替わりで車が一台出て行きましたが、おそらくここで水汲みをしたのでしょう。
墓地跡などへの入口 フェンスを開けて右に入ると墓地
磨崖仏を見ることが目的でしたので墓地へは入らず、狭い通路を進むと水源設備があり対岸へは行けませんでした。
向うにも何か看板が
水路を隔てた遠くにも何か看板がありました。下流側に少し引き返し看板を目指しますが夏草が茂り足元がおぼつかない場所でした。
ようやく磨崖仏に気付く
15時過ぎに訪れたので日差しは林にさえぎられ、近づいてようやく磨崖仏と気づきました。
鹿児島谷山ライオンズクラブの案内板
二体の磨崖仏 左は在家菩薩磨崖仏
岩と林のバランスが美しい
磨崖仏について鹿児島県のホームページから引用して紹介します。
清泉寺跡の西側には,在家菩薩磨崖仏(ざいけぼさつまがいぶつ),妙有大姉磨崖仏(みょうゆうだいしまがいぶつ)があります。
在家菩薩磨崖仏は,立像で,高い崖面におよそ2メートル,右手に槍をもち,左手をそえており上体は裸体で,下衣のみ着けています。顔は壊されており,形相は不明ですが,日新公を神格象徴したものとの伝承があります。
右は妙有大姉磨崖仏
妙有大姉磨崖仏の像は,在家菩薩と並んで立っています。この像の右手は,胸前で剣を持ち,左手は腰に托しています。顔面や手足など,損傷を受けておらず,形相などをはっきりと捉えることができます。高さは2メートルを越えるもので,両足をしっかりとふまえた力強い姿です。日新公御夫人妙有大姉を象徴神格化した像であるとの伝承があります。(引用終わり)
林の中を進む 岩に刻まれた宝剣
薄暗い渓流
川向の仁王像 阿吽金剛力士像
阿吽金剛力士像磨崖仏(鹿児島県ホームページから引用紹介)
この両磨崖仏は台地の岩壁がL型になっている両面を利用して彫刻されたものです。一つは東を向き,もう一つは北を向いており,高さは共に2メートルを越えるほどです。川を挟んで丁度対岸の在家菩薩,妙有大姉と相対しています。
阿吽の像は共に金剛杵を持ち(阿の像は左手に,吽の像は右手にもつ),怒りを全面に表した形相をしています。廃仏毀釈よる影響を受けておらず,堂々とした彫刻を見ることができます。(引用終わり)
引用した鹿児島県ホームページ記事については「谷山市誌(昭和42年3月発行)」,「鹿児島市史跡めぐりガイドブック-五訂版-(鹿児島市教育委員会・平成28年3月発行」他を参考としており、「鹿児島県としての正式な見解ではないことに御留意ください。」との注意書きがあります。
画像をアップすると右側にも刻まれていました
撮影しているときは気づきませんでしたが正面仁王像の右90度にも仁王像が刻まれていました。
右側の仁王像
渓流を渡り対岸をよじ登れば仁王像の前まで行けたかもしれませんが、川岸は小さな岩に夏草と苔が絡み軽装備では登れそうにありません。ネット情報によると、対岸の山林斜面には仁王像に至る小道があるようです。
夏草が茂り訪れる人もほとんどないような場所でマムシも心配です。磨崖仏の存在感は素晴らしいですが、現状では一般におススメできる場所ではありません。少なくとも夏草が茂る時期は避けて冬から春先に訪れるのが良さそうです。最後までご覧いただきありがとうございました。