また、年末年始を迎える時が来た。紅白歌合戦を見るたびに思い出すのが1999年から2000年に移行したいわゆるニューミレニアムの年越しである。人生のピークはまさにこの年越しのタイミングであったと言えるほど稀有な出来事が重なった。当時のスケジュールと出来事を思い出してみるとこうなる。
(1999年12月31日)
19:30~23:45 節目の第50回紅白歌合戦をNHKホールで生で見る。しかも、座席は1階席中央前から12列目の
特等席
(観覧応募総数約60万通で約200倍の当選確率。観客席は約3000席あるが、
ほとんどが2、3階席で1階は関係者や裏口の人が多く、一般用の席は極めて少ないので、
ダブル幸運といえる。席がよすぎたため、テレビにも何回が映った)
23:30 紅白の勝負を示す勝敗カウントボールが7-8個会場に投げられたが、その内
2個を素手でゲット - 後に記念と思い、NHKの友人に頼み、ボールと応援うちわに
司会の久保純子さんのサインをもらった
23:45~ 通常の紅白は23:45で終了してしまうが、1999年はニューミレニアムの特別年であったので、
出場歌手が全員23:45以降もステージに残り、カウントダウンを待った
(2000年1月1日)
00:00 紅白の出場歌手といっしょにニューミレニアムのカウントダウンを行った
00:30 NHKホールから明治神宮に移動し、ニューミレニアムの初詣を行った
(すごい人出で大変であったが、深夜の初詣は人生最初で最後)
03:00 初詣の帰り、京浜急行の品川駅でニューミレニアム1月1日の2000番の切符をゲット
(たまたまであるが、切符を買ったら1980番であったため、閃いて、券売機の前で待機し、
1999番や2000番の切符を買い占めた)
05:50 羽田発新千歳行きのニューミレニアムの初便に搭乗
(当時ニューミレニアムで飛行機の計器が狂うのではないかと心配されていて、マスコミも
注目していたが、まさに日本で新世紀に最初に運航されたフライトであった)
06:44 窓側の席をとり飛行機の機内からニューミレニアムの初日の出を拝む
(高度8000mのため、富士山頂より早く初日の出を見ることができた)
09:20 新千歳発羽田行きの飛行機に乗り、東京へとんぼ返り。
12時頃~ 自宅に戻り、例年通り、テレビでニューイヤー駅伝を見る
とにかく自分の人生の中で激動の年末年始を迎えてから、早17年、本当にTime flies.である。
(1999年12月31日)
19:30~23:45 節目の第50回紅白歌合戦をNHKホールで生で見る。しかも、座席は1階席中央前から12列目の
特等席
(観覧応募総数約60万通で約200倍の当選確率。観客席は約3000席あるが、
ほとんどが2、3階席で1階は関係者や裏口の人が多く、一般用の席は極めて少ないので、
ダブル幸運といえる。席がよすぎたため、テレビにも何回が映った)
23:30 紅白の勝負を示す勝敗カウントボールが7-8個会場に投げられたが、その内
2個を素手でゲット - 後に記念と思い、NHKの友人に頼み、ボールと応援うちわに
司会の久保純子さんのサインをもらった
23:45~ 通常の紅白は23:45で終了してしまうが、1999年はニューミレニアムの特別年であったので、
出場歌手が全員23:45以降もステージに残り、カウントダウンを待った
(2000年1月1日)
00:00 紅白の出場歌手といっしょにニューミレニアムのカウントダウンを行った
00:30 NHKホールから明治神宮に移動し、ニューミレニアムの初詣を行った
(すごい人出で大変であったが、深夜の初詣は人生最初で最後)
03:00 初詣の帰り、京浜急行の品川駅でニューミレニアム1月1日の2000番の切符をゲット
(たまたまであるが、切符を買ったら1980番であったため、閃いて、券売機の前で待機し、
1999番や2000番の切符を買い占めた)
05:50 羽田発新千歳行きのニューミレニアムの初便に搭乗
(当時ニューミレニアムで飛行機の計器が狂うのではないかと心配されていて、マスコミも
注目していたが、まさに日本で新世紀に最初に運航されたフライトであった)
06:44 窓側の席をとり飛行機の機内からニューミレニアムの初日の出を拝む
(高度8000mのため、富士山頂より早く初日の出を見ることができた)
09:20 新千歳発羽田行きの飛行機に乗り、東京へとんぼ返り。
12時頃~ 自宅に戻り、例年通り、テレビでニューイヤー駅伝を見る
とにかく自分の人生の中で激動の年末年始を迎えてから、早17年、本当にTime flies.である。