浪漫飛行への誘(いざな)い

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人生ピークの大晦日からはや25年

2024年12月31日 19時03分31秒 | 人生

ついに、また大晦日を迎えた。今までに70数回の大晦日を迎えているが、自分にとっては何といっても最高の大晦日はニューミレニアムを迎えるという1999年の大晦日である。もうあれから25年が経つというから、まさに「光陰矢の如し」で、英語で言えば、Time flies.である。

25年前の大晦日は、30日から伊豆方面の温泉宿に家族で宿泊していたが、昼すぎに一人で車で東京に戻り、渋谷のNHKホールに向かった。幸いにも何と約200倍(今では1000倍を超す)の抽選でNHK紅白歌合戦の観覧チケットが当った(60万通応募の内、約3000人のみが当選)からである。今の観覧応募はネット応募で一人1通のみで、当選した場合は2人で観戦できるが、当時は、往復ハガキを一人で何通も応募できるが、当選者1人しか観覧できないシステムであった。自分の場合は、約50通応募したが、それでも、59万7000通が落選したわけであるから、間違いなく奇跡的な幸運といえる。

当時、紅白観覧の席は事前に決められておらず、当日、先着順ではなく無作為に割り当てられるというシステムであった。約3000席の内、1階席が約400席、2階席が約1400席、3階席が約1200席といった感じで、1階席には、他に特別装置の設置や審査員席や招待特別席が設けられているようであった。会場に着いたのは、16時すぎであったが、ホールの前はすでに相当長い行列ができていた。そんな待たずに入場が始まったが、座席券を見ると何と1階席の前から12列目のほぼ中央という目が飛び出るような素晴らしい席であった。

また、最後に、今はもうやっていないが、当時は、紅白のどちらが勝ったかを数えるため、ボールが会場に投げられていた。審査員分と一般用合わせて十数個のボールが司会者から投げられたと思うが、幸運にもその内、2個をゲットした。折角なので、当時NHKに勤めていた大学の同級生に頼み、ボールと応援うちわに司会の久保純子(当時NHKアナウンサー)さんの自筆の記念サインをもらった。

第50回という節目の紅白であったが、ニューミレニアムを迎えるということで、普段なら23時45分で番組が終了し、「ゆく年くる年」に移ることになるが、その年は、紅白の中継が終わっても、出演者が全員ステージに残り、会場の全員で、ニューミレニアムのカウントダウンを行った。出演者が全員24時過ぎまで、ステージに残ったのは、この時だけである。

紅白観覧後、明治神宮にお参りし、そのまま、品川経由我が家に戻り、その足で羽田空港に向かった。品川では、ニューミレニアムにちなんだ2000番の切符を偶然手に入れた。羽田からは、千歳行のニューミレニアムのファーストフライトに搭乗し、朝6時44分に富士山頂よりも早く、日本で最も早くニューミレニアムの初日の出を拝む一人となった。人生一生分の運を使い果たした大晦日から元旦にかけてのこのような稀有な経験をしてから、早いもので、もう25年が経つことに驚く今日この頃である。当時は、出場者のほぼ全員を知っていて楽しめたが、今どきは半分も知らないので、紅白もそこそこしか見ないであろう。ただ、間違いなく言えることは、テレビ放送と生観覧では雲泥の差があるということである。

HP上の紅白観戦レポート: http://romanflight.web.fc2.com/kohaku.html


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