大通院は山内一豊の法名です。大河ドラマ“功名が辻”を見ているので、なかなか興味深く拝見しました。
山内一豊とその妻千代の間には娘がおりましたが、6歳の時、はからずも亡くなってしまったそうです。その時、悲しむ夫妻の前に門に捨て子がありました。それがこの塔頭に夫妻の御廟を建てた湘南国師だそうです。我が子同然に可愛がっていましたが血統がつながっていないため、家来に反対され家督は継がず南化玄興の弟子としたそうです。仲のよい両親の為に建てたお墓は夫妻ともに同じ大きさかつ並んでいて、殿様第一の世の中で大変珍しいものです。本当に仲が良かったんだなーと分かります。他に家臣のお墓もあり山内家の菩提寺です。

満月蝋梅
千代は本当に夫の功名のために尽くした人で、生活費を切り詰めるために桝の底をまな板にしたり、布を接ぎ合わせてパッチワークのような着物を着たり。このパッチワーク着物から“千代紙”という名のモチーフになったのだとか。このようにして一人でも多くの家臣を養い、功名をたてる種を増やすことに努めたそうです。
山内一豊とその妻千代の間には娘がおりましたが、6歳の時、はからずも亡くなってしまったそうです。その時、悲しむ夫妻の前に門に捨て子がありました。それがこの塔頭に夫妻の御廟を建てた湘南国師だそうです。我が子同然に可愛がっていましたが血統がつながっていないため、家来に反対され家督は継がず南化玄興の弟子としたそうです。仲のよい両親の為に建てたお墓は夫妻ともに同じ大きさかつ並んでいて、殿様第一の世の中で大変珍しいものです。本当に仲が良かったんだなーと分かります。他に家臣のお墓もあり山内家の菩提寺です。

満月蝋梅
千代は本当に夫の功名のために尽くした人で、生活費を切り詰めるために桝の底をまな板にしたり、布を接ぎ合わせてパッチワークのような着物を着たり。このパッチワーク着物から“千代紙”という名のモチーフになったのだとか。このようにして一人でも多くの家臣を養い、功名をたてる種を増やすことに努めたそうです。